2009年5月4日月曜日

豚の教え

日本では今年、連休にサラリーマンが資格取得のために短期講座を受講するケースが目立つという。実は米国でもこの日曜日は全国の高校で一斉テストが実地された。(SAT)私事だが今年は娘が受験にあたり、普段興味のないこの種の話題に引きずりこまれる事が多い。そんな中で大手進学塾の帰国子女受験の情報サービスで偶然昨年度の東大受験の過去問題というものを目にした。それは以下のたった2問題である。(A,B)

<平成20年度、東大文科二類外国学校卒業生特別選考小論文問題>

A 17世紀、イギリス人のウイリアムペテイは下記の様な項目についてイギリスを100とした場合のフランス数値を比較し、人口が少なく面積も狭いにもかかわらず、イギリスの国力はフランスに劣らないとする結論する根拠とした。これについて以下の二つの問いに答えなさい。

     イギリス・ フランス
土地面積   100  ・ 273
人口     100  ・ 135
聖職者数   100  ・ 1350
船員数    100  ・  25
手工業者   100  ・  25
内陸から海までの平均距離
       100  ・ 542
貴族ではない一般庶民の一人当たりの消費額
        100 ・  86
国王の華美(注)100 ・ 300
国民一人当たりの貿易額
         100 ・ 33

注)ペテイは、国王の華美は一般庶民から富を取り立てる(徴税の)割合に応じていると考えた。それゆえここの数値は徴税の過酷さを表している。

1) ぺテイは「国力」をどのようなものと考えたと推測されるか。
2) あなたが考える「国力」とはどのような概念か。「国力」をはるか上で重要だと思われる要因を具体的に挙げつつ、説明しない。また、それは1)で解答したペテイの考えるそれに比較し、どのような点でメリットがあるのかについても述べなさい。

B(出願時に選択した日本語以外の言語で解答する問題)

市場経済の論理では「売れたもの」が生き残っていくことになりますが、必ずしも「正しいもの」が生き残っていくとはかぎりません。「正しいもの」が市場で評価されるためには、どのようなことが必要と考えるか、あなたの意見を述べなさい。

(以上、大手進学塾サイトから)

まずこの問題をみて驚いたのは、東大が考えさせる問題を出している事は明白としても、Aの歴史問題、そしてBの時事問題は非常に非アメリカ的な出題である事である。Aの問題の出題意図は明確であり、個人的には非常に良い出題と感じた。だが米国で高校まで過ごした帰国子女にとって 中世ヨーロッパ史をこの切り口で問う事は非常に馴染みが薄い。また問題Bは市場原理と消費社会の現代の矛盾を問うている様だが、コレも米国が主導したこれまでの社会に対するアンチテーゼの香りがする。同塾の情報では この問題には世界中の帰国子女2000人が挑戦し4人が合格したとの補足があった。ただ個人的にはこの問題傾向からは、東大文化二類は米国の影響を受けすぎた高校生には最早興味がないのではないかとの印象を受けた。

ところでやや唐突だが、最近の話題の「豚」に注目した。個人的に東大に縁はないが、その昔の東大総長が卒業生に対し「太った豚になるより痩せたソクラテスになれ」との句を送った話は有名だ。またイスラムとユダヤで豚を食さない理由として、豚は人の排せつ物まで貪る「不浄物」であるからという話も聞いた。だが一方で毛沢東はその豚の習性を「残飯を処理し、その糞尿は畑の肥しとなり、最後には人間に食べるられる」と評価し、国民に豚の飼育を奨励、そして自らの大好物として死ぬまで豚の角煮を愛した逸話がある。

要するに豚は究極のリサイクルの象徴としてその合理性に価値を見出す事も出来れば、一方で宗教の観点からは忌み嫌われる象徴にもなる。この観点は恐らく前述の問題Aが意図する民間の活力が主導する近代的な生産消費社会への進展と、宗教に支配された非合理性社会の停滞が後の国力格差に決定的な差を生む要因となった事と重なる。個人的には東大総長が残した言葉の意味を、豚はそんな人間の思惑とは無関係に考えることなくひたすら貪りひたすら太る事で消費物としての価値を高める生き物の象徴であり、その対極として卒業生を送り出したのではないかと考えている。(東大関係者で総長の真意をご存知の方はご教示ください)

そして金融市場も本来は豚とその支配者の数値が適正水準で存在する事が長続きの原則だったが、情報のスプレッドが無くなった事で知のスプレッドも消えたと錯覚した大勢が傲慢に支配者を目指し、実は皆が豚の様になってしまった顛末が昨年からの出来事だったように思える・・。


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