2009年5月6日水曜日

国家元首不在の憲法

NHKの「JAPANデビュー」の第2回を見た。内容は5月3日の憲法記念日に合わせた「天皇と憲法」。まず明治の大日本帝国憲法は本来優れた内容だったとした上で、現代は嫌われ者の山県有朋の私利私欲で政党政治が弱体化し、代わりに軍部が台頭したために同憲法は輝きを失ったという判断を下していた。これは多くの作品で長州での山県の先輩、大村益次郎の横死を惜しむ一方、山県が仕切った陸軍において薩摩を押さ込むという縄張り争いのために無能な乃木を重要な役につけたとして山県を批判する司馬遼太郎と同じ立場に基づいている様子だった(二百三高地での若者の無駄死)。

そして、東大を舞台にした天皇機関説の攻防と日本の右傾化を直接結びつけた解説は歯切れが良く、これまでのNHKの特徴である客観性の枠を超えられない退屈さと比べるとかなりの迫力に仕上がっていた。しかし、憲法を語る際にまずは一番重要な点であるはずの新憲法における国家元首の規定について全く触れていないのは、やはりこの特集も米国の検閲を通過した証拠だろうか・・。

無論私はその道の専門家ではない。だがそもそも憲法で国家元首の規定がない事は異常だと考えている。今は日本国民の皆が勝手に天皇か総理大臣を想定しているだけだ。だが他国から見れば日本がこれだけの大国になっても憲法で国家元首を規定しなくても国民が平気でいること事態が信じられないはず。これでは日本の国家元首は米国(大統領)?という笑い話が永遠に続いても不思議はない。

何事も曖昧にする事で平和が続く事のメリットは否定しない。ただ社交辞令はともかく、北朝鮮どころか実は友好国の大半も本心では日本を独立国とは思っていないのではないか。米国の衰退とともに曖昧が許される時代は必ず終わる。そんな中でも日本国民がこの事実に無関心でいる間はどんな優れた憲法番組も結局は無意味である。



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