2年前このブログを始めた時、最初に話題にしたのは「タンポポ」だった。それは金融危機が起こる1年前、既に一部では住宅市場が値下がりを始めていたデトロイトの嘗ての高級住宅街の庭に咲き乱れたタンポポの事だった。(政府が公式に認めた住宅市場の天井は2007年10月。しかし自動車産業が完全に崩壊したデトロイトではその時既に高級住宅街でも荒廃が始まっていた。その手入れのなされない庭に咲き誇るタンポポはまさに未来を語るあだ花だった・・)
ところで、今朝のニュースで米国の90%の経営者が年内にも景気は底打ちすると考えている事が紹介された。経済の専門家も概ね同じ感覚だが、このような前向きな姿勢が好結果をもたらしてきたこの国の歴史からすれば当然の結果である。だがその歴史を支えたもう一つの原理原則、市場原理の効果としての経済の新陳代謝は今回無視された。そしてその事には今の米国人は触れたがらない。
そんな中でWSJが生活面の記事で面白い現象を伝えた。そもそも現代人の何人がタンポポが食べられるという事を知っているだろうか。冒頭で紹介したようにタンポポはこちらでは庭の天敵、忌み嫌われる象徴だ。ただ記事によると戦前までは米国でも食べられていたという。そして記事よると最近はこのタンポポなどの雑草が再びこちらの食卓に上り始めたという。
記事はその背景までは解説していなかった。恐らくは元々健康ブームに乗ってスーパーが野菜コーナーの端にでも置いたのだろう。だが今はタンポポだけでざっと計算しても国内全体では年間2億円の売り上げになっているという。(WSジャーナル)想像だが、そのままではニガイが茹でると丁度いい味になるあのタンポポの味を知らない現代の米国人が、生活に余裕が無くなる中で試しに買っていく。そして仮に美味しければこれからはホウレンソウの代わりにその辺に生えているタンポポを使う?そんな変貌する米国人の姿が目に浮かぶ。
さて昨日株は経済指標として重要な消費者信頼度指数が好転したことで大幅高となった。ただ心理が好転する事と実際の消費が伸びる事は重ならない事もあろう。ズバリ、この米国人が雑草に目を向けるようになっては実際の消費は伸びないだろう。そして米国でも自給自足がブームになる時、世界経済は米国に代わる消費大国の登場を受け入れる事になるかもしれない。
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