2009年5月8日金曜日

普遍の力

もう一度何かを学ぶとしたら何を学びたいか。それは社会がどう変化しようともソレ自身は変わらない普遍的なモノだ。例えば医学。唐突だが嘗て私にはメンターがいた。彼は1914年ハンガリーで生まれた。最高学府で法律を学び彼は法廷弁護士になった。ところが二度の大戦でハンガリー帝国は二度敗北。大戦が終わると故郷のトランシルバニアはルーマニアに併合された。共産主義を逃れドイツの難民キャンプで2年過ごした後に彼は家族とともににオーストラリアに移住した。家族5人38歳の時だった。そこで彼は無骨なオーストラリア人に混じり鉄道工夫として再出発をした。その彼との出会いは25年前の事だ。当時彼は70歳を超えていた。そして恩を返せないまま5年前彼は亡くなった。彼からは多くを学んだがある時が彼がポツリと言った。「せっかく学ぶなら法律ではなく医学でも学んでおくべきだった。なぜなら国が亡くなれば法律は変わる。だが何時でも何処でも人は人だ・・」

そうだ。法律や経済上のルールはいざとなれば変えられる。その意味では国家がポンジースキーム(円天のようなマルチ詐欺。だが国家が行うと詐欺ではなくなる)を展開するのは国家だけの特権と考えることもできる。そしてそれらを駆使すれば経済を元の姿に戻す事も理論上は可能だ。だが世の中には人間がその都合で変える事ができるルールの世界と変える事ができない自然科学の世界がある。これ以上人間が謙虚さを失えば、最後は宇宙物理(地球環境)や生物学(病気の蔓延)等の普遍の力で淘汰されるだろう。


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