2009年2月18日水曜日

任命責任

本日のWSジャーナル紙の一面トップは中川前財務金融大臣のインタビュー時の顔だ。ただ本来この困窮の最中にその本質とは無関係の記事をWSJの一面トップに持ってくる程米国に余裕はない。従ってトップ扱いは写真だけである。そしてこの現実が日米関係を象徴している。恐らく今の日本はヒラリーの来日で浮かれた状態だろう。前にも述べた通り、今ほど米国が日本を必要としている事はあっただろうか。この状況で日本を有効に使うためには飴と鞭が必要だ。ヒラリーを使った懐柔と一方で日本に己のレベルの低さを認識させて「独立への芽」を摘む政策が同時進行している。即ちこの政策は「ペットの躾」と同じだ。成功するペットのしつけは犬の気持ちになって喜ばせること。だが同時に重要なのは犬に自分が人間だと思わせない事。残念だが日本は自分がまだアメリカのペットと同じレベルである事を認識すべき。そしてその状況から脱却するためにはまず任命責任を明確する事だろう。

いずれにしても戦後を支えたの自民党政権がここまで醜態をさらした以上ここから先の任命責任は麻生総理ではない。曲がりなりにも日本が民主国家ならここからの任命責任は国民にある。そしてその専門ではない日本政治を米国との比較で敢えて言わせてもらうなら、国務大臣は民間から選んだ方が明らかに有効だ。認識では議員内閣制の現行では国務大臣は数人を除いて国会議員でなけれならなかったはず。だがそもそも小選挙区の激戦を勝たなければならない国会議員が政権の政策を担当する大臣を兼務する事は物理的に無理だ。理由は二つ。選挙を闘いながら大臣として政策を履行するための十分な知識を大臣自身が身につける事は時間的に難しい。そして今回のような失態で大臣の座を失職すればすぐに失業の身となる米国の大臣と比べ、日本のように辞めても議員としては安泰なら職務期間中の緊張感が同じであるはずがない。この緊張感の希薄が結局は官僚任せの体質を永続させ、また世界で通用しない人材を大臣として外交上の表舞台に送り出している遠因だろう。

英国の首相の名を呼び間違えた麻生氏と世紀の酔っ払い会見をしてしまった中川大臣。世界が困窮する中でGDPがマイナス12%となっても実はちゃっかり生きていかれる日本に対し世界は驚いている。どうせなら大臣の失態も日本の余裕であってほしい・・。


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