日本では立て続けにプロレス関係者が亡くなった。そんな中で日本より先に米国ではTV放送が完全にアナログからデジタルに移行したが、アナログ放送時代に隆盛を誇った日本のプロレスは今後どうなるのだろう。実はそのヒントは北朝鮮で捕まった二人の米国人女性記者の話からも窺える。まず彼女たちはあのゴアも出資したカリフォルニアを拠点とした小さな局のスタッフだ。そしてその媒介はローカルのケーブルやYAHOOなどのネット。いわゆるデジタル網で発信している。
そのような小さな局が発信する情報は、3大ネットワークやCNNなどが発信する大味なニュースよりも現代において実は真実に近いという評価ある。ただ一方で、危険地帯に少数のクルーで乗り込みゲリラ的な活動をするリスクは大きい。今回も彼女達はカメラマンの男性と3人だけで取材をしていたというが、この様な過小資本の団体の行動に対しては不測の事態でも国家からの救済が遅れる事も多い。今回はまさにそのパターンだったらしい。
振り返って日本のプロレスはアナログTV放送の目玉として発足当初はまさに米国の3大ネットワークに匹敵する影響力があった。流石に私の時代では力道山は知らないが、馬場や猪木を介して力道山が敗戦後の日本の国家高揚の役割を十分に果たした事は想像できる。そしてその戦いが真実ではなく演出であるという批判はその目的が達成される過程ではどうでもよかったのかもしれない。
ただ世の中が豊かになり情報が多様化してくると、プロレスの演技性はマニアを除いて支持を失った。結果プロレスはその存在意義を戦いの真実性に求め、組織の細分化と過激性が促進された様に思われる。だが一部を除くとその過小資本団体の経営は苦しく、リポーターがカメラマンを兼務するように団体の社長がメインイベンターとしてリングに上がる事が恒常となった。しかしやはりどこかに無理が溜まるのだろう。何百回、何千回とこなしたはずのバックドロップの受身を46歳の三沢は失敗した。
そして先にTVの完全デジタル化が完了した米国ではニュース系のMEDIAに劇的な変化が起こっている。まずどの新聞社も経営危機である。最近はWSJでさえ株価に関係なく記事のゲリラ化(すっぱ抜き)が進んでいる。恐らくヘッドライン伝達ではネットに対抗できない中での競争激化の影響だろう。そして情報の氾濫に飽きた受け手は情報に個性と真実を求め始めた。今やネットでまず情報が広まり、ソレを3大ネットワークが後からカバーする事に全く違和感はない。結果MEDIAは益々細分化されるのではないか。
要するに個人的な印象として「デジタル」のインパクトは「情報のゲリラ化」である。三沢の死や北朝鮮に捕まった記者もソレと無関係ではない。そして受けてとしては情報のデジタル化で選択肢が増えるメリットはあるだろう。ただ写真や音楽の世界では究極の美の表現はデジタルでは不可能だと専門家は言う。また昨今の相場の値動きはいたってデジタル的だがその勝者は必ずしもデジタルの専門家ではないようだ。
ところで自分がデジタル人間かアナログ人間か、簡単に判断する方法をサイトで見つけたので紹介する。まず「祈り」をする時に指を組むが、その時にどちらの親指が上に来るか。左手の親指が上に来る人は右脳が鋭敏である可能性が高く、右脳は直感や感覚をのアナログ的な能力を発揮するという。そして右手の親指が上に来る人は左脳、即ち計量分析等のデジタル思考が得意な人との事である。まあ真実により近づくためにはデジタルとアナログの両方のバランスが重要である事は理解できる。だがまず自分の特徴を把握する事はその一歩かもしれない。
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