難役の岩崎弥太郎にも触れ、それなりに満足した「竜馬伝」の後、今年の大河ドラマは酷い。そんな中で民放で秀逸な時代劇を観た。先日テレビ朝日が放送した「遺恨あり」。実話らしいが、脚本俳優演出の全てに満足した。何よりも「遺恨」というテーマが良かった。
ところで、メディアは今の中東情勢を民主化へのプロセスだとという。そうだろうか。本質はこの「遺恨」ではないか。そもそも日本人は民主主義を自分流に解釈している。それは日本人が本当の民主主義を望んでいない裏返だ。それを一番感じるのが「水戸黄門」。あの番組は40年以上続いているが、民主主義を代弁していない。それは「大岡越前」も「遠山の金さん」も同じ。これらの番組は為政者に正義があれば、社会が平和になるという理想を表している。
つまり日本人が本当に望んでいるのは民主主義でなく平和である。確かに本当の民主主義の不効率で醜い。成長が止まった国では醜態だ。それでも米国が民主主義を貫くのは、独裁主義よりは良いという消去法に他ならない。性悪説ではどんな清廉君主も最後は腐敗する。そしてそこは中東も同じだ。
リビアは建国以来憲法も議会もないらしいが、カダフィーと国家が若かった70年代まで民衆は熱かった。世界を敵に回し、堂々とミュンヘンオリンピック惨劇の実行犯を受けいれたカダフィー。国民は彼に歓喜したではないか。だが熱気は去り、不平等が生まれ、怒りが生まれた。すると遺恨があちこちに生まれた。そして今崩壊を迎えている。だがそれでも中東の多くの国民が期待するのは恐らく新しい指導者であって、「議会と法律」ではないだろう。
そういえば「遺恨あり」で重要な役どころの中江兆民が、ルソーが原点とされる有名な民約訳解を手に民主主義の理想を語るシーンがあった。「国家の為に人民がいるのではない。人民のために国家あるべきだ。そしてその人民を守るのが法です・・。」
確かに素晴らしい理想。だが筆者が今この国で観ているのは「人民のために国家があるべき」が行き過ぎ、国家そのものが危うくなる初期現象である。そしてそのきっかけになった金融危機ではこの国の内部でも遺恨が蔓延した。だが結局政権は原因の金融に贖罪を求めるのはやめ、逆に彼ら許す事で経済の表面的効果を優先させた。それが今の金融市場の姿である。
では結果生まれるであろう世界からの米国に対する遺恨を、この国はいつまで無視するのだろう・・。
From: OTakizawa
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