2012年12月12日水曜日

レッセフェール:なるようにしかならない


フィスカルクリフを念頭においているのだろう。CNBCのスティーブリースマンが、ツイッターで、「ウォール街は、経済をぶっ壊すのは欧州危機でも、国内の雇用でもなく、ワシントン・・。」と思っていることを紹介している。
今更何を言っているのだろう。もともとワシントンは民意を代表しているのであり、ソレは政治家の問題では無い。

リーマンショックは、今だに実体経済への打撃の度合いでしか語られない。だが、実は民主主義の政治システム維持しながら、資本主義経済を標榜すると、社会がどうなっていくかという実験の始まりが本質である。これは、リーマンショックの前から、米国の住宅市場が崩壊したらどうなるかの答えとしてずっと主張している)

答えは自明の理。車の両輪として民主主義と資本主義が機能するには中間層が不可欠だった。だが今は中間層が消えかかっている。一方進歩的民主主義は、建国当時のような「土地を持ち、責任を持って社会に参加する人だけが投票権を持つ」システムではない。
要はこの自明の理を説明しない無責任な政治家と、自分主義が当然になった現代人の宿命。この結果起こるであろうとことに気づいていたマルクスはさすがだと思う。

そもそも「フィスカルクリフ」という名前を誰が付けたのか。この本質は、昨年の8月に米国債の格下げと、利払い停止の事態を避けるために結論を先延ばしたこと。その時は相場関係者はこの政治妥協を好感していた。
アメリカですらこの様なので、これから自由主義経済を掲げる世界がどうなっていくか。恐らく成るようにしか成らない。ただこの「なるようにしかならない」が本来の「市場原理」の意味だ。(レッセフェール:アダムスミス・・、ケインズが登場するまでの経済はその流れだとおもうし、老荘思想にも通じる概念だと思う)

それが日本ではいつの間にか「市場原理」=「競争の原理」となった。個人的には、「市場原理」には逆らえないが、「競争の原理」は必ずしもフェアを意味するとは考えていない。
資本主義を主導したとされる米英の歴史をみても、完全なフェアな競争などが存在した過去は殆どない。つまり競争の原理が市場原理と思っているのは、バブル崩壊後、米国型のスタンダード化に巻き込まれた日本で広まった錯覚である。(意図的に広められたかもしれない。同じ感覚でTPPを考える人は危ない)

いずれにしても、ソーシャリズムなのにキャピタリズムであるかのように言ったり、フェアではない競争を「競争の原理」とする風潮を冷静に見たほうがいい。なぜなら、その錯覚は、両方を使い分けする人々(米国ではリスクの社会化と利益の独占化を達成した今の金融が代表)を利するだけである。

個人的にフラット社会や計画経済がいいとは思わないが、もう少し庶民が本質に気付かないと、いずれ必ず起こる反動が必要以上に大きくなる。それは避けたい。
金融市場に中央銀行が介入し、価格変動の市場機能を止める行為は、宇宙の持つ市場原理への反抗であり、最後は必ず鉄槌が下る、ただし、相手がいる世界において、考える時間を稼ぐ意味と、座死の無意味さから、ストラテジーとして円安政策を今は支持する。
そのためにも、選挙もたけなわなら、政治家はもう少し言葉の意味を大切にすべきだろう。

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