2013年1月16日水曜日

ワシントンDCが首都になった理由

クラブインベストライフが無料化され、このブログをリンクしていただいた記念に、一部マネー原理プロから抜粋しました。

http://www.investlife.jp/

 
 
日銀総裁の人事が注目されている。そんな中JPモルガンのジェイミーダイモン会長がNY連銀の理事の職を去った。彼はリーマンショック直前、2007年に理事に就任した。その後殆ど公にならないこの立場に静かに座っていた。
 
そもそも地区連銀は民間組織、よって人事が公表されることは殆ど無い。FED法で決まっているのは、9人の理事の中で、3人は地元の金融機関から選ばれること。後は3人が有力企業、3人が識者といった区分けだ。そしてこの9人が地区連銀総裁を決める。
 
NY連銀では3人の銀行理事の中に、2009年までゴールドマンサックスのフリードンマン元会長も入っていた。つまり金融危機でNY連銀から巨額な救済を受けたJPとGSの関係者がそのNY連銀の理事だったということである。

そのGSの株を管轄当局であるNY連銀理事長の任期中に買い増したフリードマン氏が罪にならなかったのは驚きだ。ただ今はそんなことはどうでもいい時代になった。そんな中でダイモン会長が辞めるのは、上院にエリザベス・ウォーレン女史が入り、このままではもっと批判にさらされることが明らかだからだろう。
 
オリジナルのドットフランク法では、NY連銀総裁の人事にも改定安が盛り込まれていた。ワシントンのFRBの理事を同じく、「上院の承認を必要とする」が盛り込まれていたのだ。これはクリス・ドット氏の案。

一方法案の共同発起人のバーニー。フランク議員は、クリス・ドット氏の引退後、FOMCに参加するメンバーからタカ派を締め出すという法案を画策した。さすがに実現しなかったが、NY連銀総裁人事も不問になった。

さて、ワシントンDCが首都になった理由は、米国に中央銀行を設立することに反対していたトマスジェファーソンと、中央銀行設立を主張していたアレキサンダーハミルトンの妥協の産物である
 
当時ハミルトンは人口や経済で圧倒するニューヨークを首都にすることを主張。一方権力の集中を嫌うジェファーソン。結局独立戦争で州が背負った負債を国家が引きつぐ事。また首都をニョーヨークより南の中間に置くことで二人は妥協。そこがワシントンDCになった。
 
そして20年に限り、初期の中央銀行が設立された。(ファーストバンクオブUSA)。ただ予定通り20年で消滅。その後中央銀行なしの時代に米英戦争が勃発。再び資金が無くなった米国は、もう一度暫定的に20年間限定の中央銀行を設立した(セカンドバンクオブUSA)。
 
20年後、中央銀行は有効だとする東部の意見を押さえ、アンドリュージャクソンは1837年に中央銀行を完全に米国から消した。

この後70年以上米国は中央銀行な存在しなかった。(日銀の方がFEDよりも歴史が古い。ここは注目。維新直後の日本は、米国ではなく欧州を参考にした)だから常に資金不足。散在する民間銀行は、ローカル紙幣を発行するものの完全には機能しなかった。
 
そして南北戦争で更に資金難になった米国は、リンカーンが地銀の一部を国営に換え、財務省が発行した紙幣(グリーンバック)を流通させた。それまで実質米国内の基軸通貨はスペイン銀貨だった。
 
いずれにしても、この時代の米国は中央銀行を頑なに拒んだ。この不便さが、米国では金融(中央銀行を頂点とした信用システム)より、証券(投資)が発達した背景だと考えられている。
 
ところが冷戦後、歯止めが取れ銀行と証券を分けていたグラススティーガルが廃止されると、案の定のバブルが発生した。そしてその崩壊・・

その後は独立の志とは相反し、米国も嘗ての欧州のように金融が国家を支配する状況に入ってしまった。今の我々はこの歴史的転換点にいる。

そして今の共和党は、中央銀行の重要性を主張した東部重商主義者に、元来ジェファーソンの民主共和党の流れを汲み、南北戦争後も南部のスピリットを継承した人々や、リンカーンの移住政策で西に移り住んで自力で生きた人々の子孫で構成されている。今の共和党の中で金融に対する考えがまとまらないのはここに原因がある。
 
一方民主党は都会に済む移民や黒人、進歩主義者で構成されている。多くは政府の救済プログラムの恩恵を受ける立場。ゆるい金融政策にも賛成である。
 
こうなるとTEA PARTYが「この国に中央銀行ははいらない」「財政規律は重要だ」などと言ったところでそれが米国の総意になる事は最早にないだろう。フィスカルクリフから国債残高上限枠問題にかけての議論が、金融市場やヘッジファンドには「議会のカブキダンス」と揶揄されるのはこの絶対構造がある。

フィスカルクリフと国債発行枠は本質は同じだが市場へのインパクトは違う。まずフィスカルクリフは国内の需要の話。一方で国債発行枠は利息の不払いというテクニカルデフォルトの可能性の話。米国のソブリン性を揺るがす話である。
これで(国債発行枠問題)二度とカブキダンスはさせないとオバマが言うのは、政権を預かる立場としては当然だ。
 
しかし、だからこそ追い詰められている共和党の一部が噛み付くかどうか。これも民主主義の一端である。


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