2013年4月16日火曜日

サッチャー女史について、(4・8のマネー原理プロから)

 

コストと犠牲を考える時がきている

サッチャリズムと同時進行したレーガノミックスと日本のバブル。この時日米では英国のような格差は生まれていなかった。やはりシティ(ロンドンの金融街)のビッグバーンで景気を回復した英国は、日米の先を歩いていたことになる。それが金融による景気回復の特徴だ。

その後米国は、ブッシュ政策でバブル景気のなかで格差が開いた。そして金融危機後、米国はバーナンキの超緩和金融政策で異次元の開きを迎えつつある。バーナンキはこの格差をコストと呼ぶ。

そしてアベノミクス。そろそろ負の影響が出そうな日本は、コレをコストと割り切れるだろうか。朝日新聞など、はコストとは言わず、犠牲というだろう。コストと犠牲。ずいぶん響きが違う。

それを踏まえ、添付写真を観て欲しい。全て今日のNYTIMESから(4・08)。女性はアフガニスタンで殺された若い米国の外交官。その横は、同じ週に米軍の無人爆撃機の空爆で死んだアフガンの子供たちだ。

彼女はイリノイ出身。非常に優秀な成績でジョンポプキンス大を卒業。女性外交官として異例の抜擢を受けて赴任したばかりで自爆テロに遭遇した。

一方、オバマ政権になって無人攻撃機によるターゲットKILLINGが3000人を超えた事が今日の同紙で報道されている。その中にこの子供たちがカウントされているのかわからない。子供はターゲットではないのでカウントされていないだろう。

オバマ政権の攻め手に欠く共和党は、ブッシュ政権時に比べ、極端に増加した無人爆撃機によるターゲットKILLINGが非人道的だと言っている。バカバカしい批判だ。だが感情的には納得してしまう。

オバマ政権は、デタラメな言いがかりで戦争を始め、10万人のイラク人を殺し、6000人の米兵を殺したブッシュ政権に代わってイラクから完全撤退を完了した。またアフガニスタンではビンらディンを仕留めた。

結果、双方の犠牲者は劇的に減った。だが無人爆撃機による子供たちの犠牲は避けられず、CIAや特殊部隊に頼る一方、外交官の犠牲も彼女だけではない。

どうしようもない世の中の犠牲。コレは平和のコストなのか。彼女は地元の学校に援助資金で購入した文具を届ける道中に殺された。日本はこのグローバルポリティカルマクロの峻厳の中で、相対的に優先順位をつけていく覚悟ができているのだろうか・・


< 痰壺を持ち込んだ会議 >

そのサッチャーが亡くなった。尖閣にからんでいずれ紹介しようと思った話がある。1982年、まず日本に寄ったサッチャーは、多忙なスケジュールをこなし北京に入った。待ち受けたのは趙紫陽

サッチャーはフォークランド紛争に勝利し、意気揚々と中国に入った。ところが、晩餐会では趙紫陽だけが出席。リーダーの鄧小平はなんと同じ迎賓館の別の部屋で行われた金日成の歓迎パーティーに出席していた。今では考えられないスケジュールの鉢合わせである。

当時、鄧小平が大英帝国より共産主義の同胞を優先したのは当然。ただそれはイデオロギーだけではなく、サッチャー訪中の本題、香港返還に向けた初会合にむけ先制パンチを狙ったといわれている。

当時の中国の国力は今とは違う。一方サッチャーは国内景気と戦いながら、フォークランド紛争では鉄の女の本領を発揮したばかり。彼女は100年前に香港返還を約束した条約は、当時の清政権が存在しない以上無効と考えていた。

そして後に結ばれた二つの条約を前提に、領土の返還はしても、香港の人々の民意を優先し、(ほとんどが英国にとどまることを支持)期限が来ても統治の変換はしないというが英国のボトムラインだった。

ところが、翌日サッチャーと会談した鄧小平は更に衝撃を与えた。まず紳士淑女の英国のマナーに慣れた彼女に対し、タンつぼを横に置き全くのマイペース。そして彼女が変換を渋ると、ならソ連国境を警備する軍隊を動かすと脅した。(香港に向けて)

その後、外交的な交渉が繰り返されたが、最終的に全面譲歩したのは英国である。これはまだ国力が弱かった頃に英国を屈服させた中国の話。よって今の中国が尖閣を奪いにくるのは当然。だから英国のエコノミスト誌は、日中は必ず戦争になるとのカバーページを出したのだろう・・。


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