2008年3月1日土曜日

ハンフリー小話

バーナンケの議会証言は、以前公式には「ハンフリーホーキンス」といった。これはその昔ハンフリーとホーキンスの両議員が、半年に一回のFED議長による景況感証言を提案した事に端をはっする。そしてそのハンフリーという人は、40年前、ニクソンと68年の大統領選挙を戦った民主党大統領候補者である・・。

この人の話を持ち出した背景は、70年代の再来が懸念される今、時局がどことなく60年代後半の米国の内情に似ていると感じたからだ。その前にまず先日の討論会をもって、事実上民主党の大統領選挙予備選は決着がついたと断言しよう。最早「通常の手段」ではヒラリーの逆転の可能性はない。ただ「通常の」手段でない場合どうなるか。結果的だが、68年の大統領選挙でハンフリー氏が民主党候補者に選ばれた背景は、通常の結果ではなかったのである・・。

話は前後する。その当時大統領だったのはリンドンジョンソンである。これも奇遇だが、彼はヒラリーの人生に多大な影響を与えた人だ。ヒラリーはそもそも共和党の一家に生まれたが、ジョンソンの政策に感化され民主党に代わった経緯を持つ(社会保障制度と健康保険)。そしてそのジョンソンは社会保障を充実させたにもかかわらず、不人気がたたって現職大統領でありながら再再選への立候補を途中で断念した。(ベトナム戦争とケネデイー暗殺疑惑で不人気だった彼は、NHの予備選に辛勝したもののウイスコンシンの結果に落胆したといわれている・・)

ただジョンソンが撤退した最大の理由はロバートケネデイーの台頭だった。JFKの悲劇の後、その意志をつぎ、人権運動でも人気の高かかった弟が大統領になるのはいかにも米国人好み。ただその展開を警戒する現職のジョンソンとロバートケネデイーの関係は常に不安定だった。そしてジョンソンが撤退し、立候補したロバートケネデイーは大票田のカリフォルニアで勝利した。これで舞台が整った思われた瞬間再び悲劇が起こる・・。

持論だが、70年代に米国が停滞した背景は、OILショックなどの経済的な要因だけが原因だったとは思えない。60年代後半は、反戦や人権運動等の社会変革運動が盛り上がった。そしてその原動力となったのは若者。その若者にとってロバートケネデイーは今回のオバマの様な希望の象徴だったはず。その彼が暗殺されてしまう米国社会の構造への嫌悪感。若者による現実回避の風潮は、間違いなく当時の米国の足を引っ張っただろう・・。

ヒラリーの後退とオバマの台頭はどことなくリンドンジョンソンとロバートケネデイーの関係を思わせる。だが同じ悲劇は困る。70年代はまだ米国が頂点を極める成長過程にあったが今は違う。そして紆余曲折の結果68年の大統領選に民主党として選ばれたのはハンフリー氏・・。ハンフリーホーキンスには実はそんな小話もあるのである・・。

0 件のコメント: