人間が我慢をしなくなった・・。冷戦が終わり「重し」が取れた先進国の人間社会は、一部日本の様な例外を除いて皆が我慢しなくなったといってよい。その意味での米国の転換点を思い起こしてみた。そこで注目したのはTVだ。TV番組は世相や世情を先取りする事で視聴率を稼ぐ。よってここにヒントがあるのではないか。
この10年間米国で最も話題となったのはTV番組はここでも何度も紹介している「ソプラノス」である。CNBCは番組の中の場面を引用し、最終回の場面をクリントン夫妻は自分たちが演じ、そのパロデイーをインターネットで配信する事で選挙戦への弾みを狙った。そして、私自身もこの番組にハマった。この番組の特製スタジアムジャンパーをネットで購入した。40過ぎてそんなものを着ている日本人は恐らく私だけだろう。
しかし一体この番組の何がそこまで面白かったのだろう。振り返ると答えは一つ。主人公のイタリアンマフィアは家庭では普通の親父。娘の成長に目を細めながら出来の悪い息子に悩む。気性の激しい妻はいつもヒステリー。そして仕事はギャング。裏切りに悩み、カウンセリングに通いながら人を殺す。
主人公のキャラクターが、斬新でありながら庶民的なコントラストの妙が人気の秘訣なのは間違いない。しかし人気の理由はそれだけではなかったと考えている。まず一つに人間の劣化。真面目な番組は、人がもっと真面目だった時代に多かった。主人公のトニー ソプラノスは人殺しだ。仲間の裏切りも許さないが、自分にとって都合が悪い相手は誰でも殺す。要するに、家族という個人的、最少単位の社会では彼は我慢をする。
しかし逆に本来我慢をしければならないはずのソーシャルな社会で彼は我慢できないのである。要するに社会に対して甘え、自分の弱さを暴力で表現している。そしてそれが今は共感を呼ぶ時代になったのである。
最初はこの「劣化」はTVや映画の中だけだと考えた。しかし今の米国の現実は違う。一見世界の中の正義を言っている大統領候補者も、実は自己の利益で世界全体の正義を考えているに過ぎない(特にヒラリーとマケインの世代)。そしてWSをみると、高給を食んだ彼らは、自らの失態や失策を反省するよりも助けてもらう事が当然という有様である。故に本来規制当局の役割もあったはずのFED(中央銀行)の責任(グリーンスパン)は大きいが、今さらどうする事も出来ずに右往左往している。
私自身の劣化も含め、結局はここにソプラノスが受け入れられる土壌が出来ていたのである。
ところで、70年代は60年代の好調の後に起こった苦難だった。その意味では繁栄の90年代を振り返る今と同じだ。ただその時の米国人はまだ「耐える事」を知っていた。だからボルカーは短期金利を20%まで引き上げられたのだ。その時代の名作といえるTVが多かった。「大草原の小さな家」。最近DVDを購入した。子供にも見せたいのだが彼らはどうやっても興味を示さない。
モラルを問う力がなくなると、米国は自らのモラルの低下を他に許容させ、大混乱になった後で自身が暴力的な解決策で打開するといった事を考える可能性がある・・。ベアスターンの倒産などどうでもよい。どうみても世界は悪い方向に向かっていると思わざるを得ない・・。
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