週末のニューヨークタイムスには昨年のミシュラン騒動が取り上げられている。まずは結果として今回東京が得た星の総数が本家であるパリと、世界の富の中心のニューヨークの合計を上回った事は、世界の食文化の中心としての東京の面目躍如であり日本の誇りであろう。
その裏で同紙が注目したのは、いくつかの和食店では星獲得の打診を含めたミシェランの取材を一切拒否していた事。例として取り上げられた寿司店では、今回星を得た和食店では例えばアナゴ料理に関して、ナイフとフォークで食べる事を前提にした盛りつけになっている事例を挙げ、ミシェランの判断基準と日本文化の神髄は相入ない可能性があり、彼らから星をもらう事の意義に疑問を呈していた。
一方最新号のエコノミスト誌は日本について非常に批判的な見方をしている。背景は、90年代の停滞からいまだに浮上しない日本に対し、表題をJAPAIN(日本の痛み)として日本を暗に批判していた。ただ内容は同紙としては主観的な内容。いつもの客観性を欠き、まるでWSのレポートの様な記事になった。おそらく背景は次の様なことだろう。
1 米国の影響がいよいよヨーロッパまで波及する気配がある中、本来西側を代表する経済大国でありながらアジアの発展の恩恵も受けやすい地理にある日本がまったく浮上してこない事へのいらだち。
2 JAPAINとの表現がある様に、米国は日本が90年代に嵌った資産デフレからの長期停滞型の縮小均衡社会を非常におそれている。
ところで当の日本はどうか。私は今の日本は意外に面白いとみている。なぜなら外国からのこの様な批判に対し、これまでの日本慌てふためいていたが、こちら(米国)から見た限り、今回はサブプライムの影響が軽微だった事もあってか外国からの批判に慌てる様子がない。
そもそもJAPAINは日本だから経験できた痛みだともいえる。言いかえると、冬が続いてしまったが、日本は貯えがあったアリだったので何とか生き延びれた。一方米国型資本主義で潤った信用創造レバレッジ社会は、貯金をする事を忘れてしまったキリギリスで溢れている。
これまでは米国が世界を引っ張った。だが今は、皆がグローバル消費拡大型社会を目指した時代から、地球環境問題などを絡め、流動的なサバイバル型へ変わろうとしている。ならば指導者は、独自の価値観を追及する義務がある。
その意味では冒頭の和食の職人の考え方。また格付け機関が全てだった時代に、彼らの価値観を堂々と批判した奥田会長率いるトヨタの独自力はもう少し注目されるべきだろう・・。
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