2008年2月26日火曜日

大統領の資質

選挙の今年、こちらでは再びレーガンブームだ。共和党はもちろん、民主党も誰が一番レーガンに近いか。単純な米国人に最も分かりやすく、インパクトを与える上で絶好の「レーガン」をどの候補者も真似しようとした。ところで我々の世代までの日本人にもなじみが深いレーガン大統領とは一体どんな人だったか。この話題は何度か触れてきたが、今日もう一度お浚いしたいのは彼が提唱した当時の「SDI計画」である。

通常政策とはブレーンが練り上げるモノ。レーガン政権もう一つの特徴だったレーガノミックス然りである。しかし、SDI計画においてはレーガンの独壇場だった。その裏話は「AMERICAN PRESIDENT」シリーズでも触れられている。

レーガンは突然スタッフ集め、思いついた様に宇宙空間に巨大ミサイル基地を造り、そこから仮想敵国ソ連弾道ミサイルを撃ち落とすという壮大な計画を話し始めたという。ただ専門家も含め、当時の政権スタッフは陰で笑ったという。

「そんな事出来るわけがない・・。」「映画の見すぎじゃないか・・(同時期に007が似たような題材の映画を作った)」スタッフの蔭口を他所にレーガンは構想の具体化をブレーンに要求、そしてその構想を大々的に世界に向けて発表したのである・・

当時、西側諸国は米国が債権大国から債務大国へ陥落した事を心配した。そんな中で債務超過に更に輪をかけるこの構想をいぶかしがった。ただ世界でその計画をただ一人真に受けた指導者がいた。それがあのゴルバチョフだった。

佐藤優氏によれば、少なくともゴルバチョフ本人はソ連崩壊を想定した訳ではないという。しかし災いとなったアフガン戦争、また農業生産の低下から共産主義体制の限界を感じた彼は、ソ連体制の延命を図って米国と妥協する道を探った。「このままでは米国に追づいできない・・」ゴルバチョフにそう決心させた最後の一撃はこのレーガンのSDI計画の発表演説だったのではないかと当時の米政権スタッフは自嘲君気味に「AMERICAN PRESIDENT」で回顧している・・。(DAVID GERGEN氏)

歴史は本当に面白い。トルーマンドクトリンから始まり、アイゼンハワー ケネデイー ジョンソン ニクソン フォード カーターへと引き継がれた米国大統領の最大の難題、ソ連共産主義体制への挑戦は、実はどんな時でも陽気だったレーガン大統領の個性から生まれたの無邪気な発想によって達成されたのである。

要するに、政権スタッフは有名大卒の実務家的なエリートで固めても、国の運命を決定する重要な決断を彼らがする訳ではない。米国人が最後に運命を託すのは大統領本人の決断。米国人が大統領に求める個性とは究極的にこの陽気さ、それがレーガンの成功例なのである・・。

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