2008年2月27日水曜日

赤坂のラーメン屋

東京出張の際にはいつも赤坂のホテルに泊まる事にしている。これは93年の渡米以来変わらない習慣。バブルが崩壊し、支店長でさえ東京出張の際は本社に一番近い八重洲富士屋に泊まっていたときも、自腹を切って赤坂のホテルに泊まっていた。

理由はいくつかある。まずは地下鉄が便利な事。そしてもう一つは「じょんがらラーメン赤坂店」に歩いていける距離に泊まりたかったからだ。という事で、前回の出張の際も小泉前首相もお気に入りのラーメン屋に入った。その日は既に夜中の12時を回っていたが、店内にはまだ3~4人の客がおり、入り口近くで一人でラーメンをすすっている初老の男の斜向かいに誘導された。

その男は紫の上着を着ていた。モノは悪くない、髪は金髪に染められていた。ただ短く刈り込まれていたので年齢の割に違和感はなかった。明らかに普通の人ではない。そして次の瞬間その男と目があった。人を委縮させる眼力はなかった。寧ろ周りの視線を意識している。こんな目をする人間は二流の芸能人に多い・・。

学生時代、京王プラザのボーイの仕事で多くの芸能人を観察した。そして打って変わってオークラでは財界や海外の要人の雰囲気を知った。その経験から、目の前でラーメン麺をすするその男からはその筋の人々特有の臆病感が漂っていた。そして、その目と対面したのは初めてではなかったのを感じた・・。

時代は遡る・・。

80年代初頭、西新宿の高層ビル群は寂しく、高架下の駐車場の廃墟では「太陽にほえろ」の撮影が行われていた。その一角の京王プラザには様々な光景があった。まずそのラウンジを事務所代わりに頻繁に使っていたのはアントニオ猪木の新日本プロレス。目の前であのブッチャーがソファーにふんぞり返っている姿は、彼とファンク兄弟の死闘に熱狂した自分には信じられない興行の世界の現実だった。

他にも山口百恵のヒット曲を書いていた阿木曜子は、一人で来てはノートに作詞をし、また石ノ森章太郎は、のちに彼の作品となるホテルのマンガの構想を練っていた。ただその時はまだバブルは始まっていなかった。

そこで初めて見たのがクレジットカード。銀行のキャッシュカードしか知らない自分には、VISAとロゴが入ったカードが何なのか判らず客に馬鹿にされた。そして、そんな都会の雰囲気や芸能人ややくざの興行の世界にも慣れてきた頃、「その男」が客として来た。

その男は芸能人ではなかったが、当時日本では知らない人は誰もいないという有名人だった。「コーヒー」その男が放った雰囲気は今でも覚えている。かっこよかった。これが殺人罪で起訴されるかどうかで世間を騒がせている男の余裕だろうか。まだ若かった自分には、雑誌のインタビューに答えていた彼がまぶしかった。

そして25年ぶりの「じょんがらラーメン」での「その男」との思わぬ再会は感慨深かかった。思い出せば、VISAカードのショック。客が駆使していた英語。また「その男」「三浦和義氏」が英語をしゃべっていたのをの目撃し、自分も英語を使いこなせるようになりたいと一念発起した事と今の自分は無関係ではない。

そうだ。ここまでの人生は、この犯罪者?によって感化されたのは事実だった。そして今彼は再び大事な事を教えてくれようとしている。神様はいた。やはり、悪い事をしてはいけないという真実である。

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