久しぶりの日本では丁度サミットが開催中だった。サミットは70年代に始まり、冷戦後はG7にロシアが加わり、そして今回は更に世界中から主要人物が集まっていた。
会議では、参加者が増えれば増える程、重要な決定がなされる確率は減る。イベントとして盛り上がる日本を尻目に、事前に外国のマスコミは今回のサミットの重要性の低下を皮肉っていた。
だが、少なくとも現時点でまだ世界は平和である事が確認できただけでも、このイベントは全く無意味という事ではなかった。しかし今回の会議がサミットの歴史の転換点にはなるだろう。なぜならそもそも「サミット」と言う英語の意味は「頂点 頂上」である。その鋭利な形状は中国やインド、更には南米やアフリカと言う国が新たに参加する事によって頂点の角が削られる。即ちそれは「会議」がエベレストから八ヶ岳高原になる様なモノだ。
持論だが、組織や「世界」を動かす上で理想の形はこのサミット(頂上)型である。頂点の支配者(層)が知識と情報の適度な格差を保ち、それが下方に下ると同時に拡大していく。このピラミッドの形状が世界に存在する事は貧富の差とは別の意味で実は重要だった。
しかし冷戦後のフラット化は国力だけでなく知識や情報までフラット化してしまった。これではそれまでサミットを構成した層が世界を動かす事は不可能だ。多国家が利害関係で四つに組めば世界は動かない。そのまま行きつく所まで行くだけだ。特に情報の露出はイラクで失敗した米国が深刻。
その昔「サミット」と言う言葉が相応しかったあの86年の東京サミットから22年が経過した。頂点が削られてしまった事が象徴的だった今回の洞爺湖サミットは、この会議の未来を示している・・。
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