野茂が引退した。日本では彼の引退を惜しむ声と、ドジャースの重鎮ラソーダ氏による米国人評が話題になっていた。ラソーダが野茂を評価するのは当然、ただ野茂に対する米国人の評価は日本人考える程は高くない。両リーグでノーヒットノーランを達成した野茂の事はそれなりに今も米国人野球ファンの記憶にある。しかし彼は最後まで自己表現があまりにも下手だった。下手だったというより意図的にソレをしなかった。
米国社会は自分から同化しない存在に対し冷たい。旬な時はいいがピークを過ぎれば人々の記憶から消えて終わりだ。イチローにも同じリスクがある。何日か前の日経新聞に、同僚がイチローを批判しているとの記事があった。野茂もそうだったがESPM(スポーツチャンネル)のインタビューでもイチローは未だに英語で答えようとはしない。実はここに彼の将来の評価に対して大きなリスクがある・・。
そんな中で二日目のTHE OPENで首位になったK.J.CHOYがESPNのインタビューに驚くほどの流暢な英語で答えていた。彼は30歳で渡米して8年、今はメジャーで勝っても違和感がないレベルまで来た。試合中の彼は韓国人男性特有の険しく寡黙な表情を崩さない。よって決してファンに人気がある選手とは言えない。ただ一方で彼の英語からはイチローや野茂にはない「同化力」も感じる。個人的にはこの差は米国在住の日本人と韓国人の標準的な境遇の違いが実は関係しているとみる。
まず全米の日本人人口は80万人前後らしいが、日系米国人としても重複する加州とハワイでの人口が半分以上の50万。残りの30万のは所謂駐在員である。一方200万人と言われる韓国人は戦後の移民が大半、そしてその半分は非合法との分析である。要するに、戦時中の不幸はともかく、既に米国に同化して余裕がある日系移民か或いは駐在員という比較的恵まれた環境にあるのが米国の標準的日本人社会とするなら、米国の韓国人社会にはまだまだ悲壮感が残っている。
この悲壮感からの圧倒的な家族のパワーを支えに多くの韓国人女性ゴルファーが米国を席捲している。彼女たちの成功に刺激を受けながら巨大な米国韓国人社会は米国に同化していく事の重要性も皆が認識しているはずだ。そしてこの同胞と同じ感覚がなければK.J.CHOYの英語はあそこまで進歩しなかったのではないだろうか。
個人的在米経験から端的に米国における日本人と韓国人の違いを表すキーワードは駐在員と難民。通常駐在員の立場では同化の必要性は希薄である。それと同じく多くの日本人プロスポーツ選手にとっても米国はチャレンジの場であっても彼等に母国を捨てた難民の悲壮感は感じない。その意味で彼らの活躍はスポーツ駐在員の活躍でもある。ただイチローは誰の目にもメジャートップの一人であり、また野茂が大リーグへの道を切り開いた功績は誰も否定できない事は言うまでもないが・・。
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