2010年4月13日火曜日

報いと償いの消失

全米オープンを勝つためには運が、そしてマスターズを勝つためには神のご加護がいる・・。これは昔聞いた言葉だ。だがこれまで「運」と「神のご加護」の違いが判らなかった。しかし今回のマスターズではその違いが理解できた気がする。

勝利を決めた後、乳がんと闘っている夫人を抱きしめるミケルソン。中継は無言でそのシーンを捉えた。そして勝利インタビューで「家族愛」の大切さを強調する彼からは、今回「神」はタイガーに勝たせてはいけないという決断をしていたと感じた。

そしてこれはタイガーにとってもいい結果だったのかもしれない。タイガーは随所に彼らしい神業を見せた。ただその一方で引き続き信じられない精神的なミスも犯していた。この苦しさを乗り越えなければ彼の本当の復活はないだろう。

さて、今回のタイガーも然り、過ちは簡単には消せない。そして万物の原理として、その報いは償いが終わるまで必ず追いかけてくる。時にそれは世代を超える事もあるだろう。その意味で今米国ではベービーブーマーと言われた世代は自分たちの犯した過ちの償いを自分で清算する事が出来ないでいる。それはどういう事か。

ちょうど一か月前、NBCは同局を引退したジャーナリストのトムブロコー氏を迎えてベービーブーマーの特集を組んだ。番組ではその世代を代表としてビルクリントン前大統領からトムハンクスまでが登場、この世代の価値観を語っていた。

そして冒頭名門ミシガン大学を70年代に卒業し、一昨年の金融危機まで優雅な中産階級の生活を堪能した夫妻がインタビューに答えた。「確かに自分達は良い時代が永遠に続くと思っていたかもしれない。でも今となってはそのライフスタイルを変える事は無理。ソレがベービーブーマー世代です・・」と開き直っていた。

その通りだろう。そしてこのベービーブーマーの過ちに対する報いは次の世代に持ち越されようとしている。国家財政は疲弊し、何よりもこの国からモラルが消え去ろうとしている。たまたま彼らの子供と自分の子供が学校で重なる。甘やかされたベービーブーマーのその子供達の消費に対する規律のなさには時に日本人として言葉を失う時がある。

その米国経済について、先週エコノミスト誌は「虹」を表紙にして晴れ間の可能性を示唆した。だがその内容は厳粛だ。記事は確かに危機は和らいだ、だが米国が本当に復活するためにはこれまでの「借金」と「消費」を両輪としたライフスタイルから、「貯蓄」と「輸出」を両輪としたライフスタイルに変える必要があると警告した。そしてこのマクロの根本的な転換がない限り、米国はこの晴れ間の後で再び暴風雨に見舞われるとしている。

同感。だがエコノミスト誌の警鐘は無駄だ。なぜならバッタがアリになれないように、米国のベービーブーマーには日本人の様な緊縮生活は無理だ。そして引き継がれた負の遺産はさらに甘やかされた次の世代へと引き継がれる。

一方で今週のビジネスウィーク誌には、「米国は困難を克服、史上最強になって復活した」との記事があるという(未読)。エコノミスト誌が英国の高級紙であるの対し、ビジネスウィークは米国の経済紙。どちらに客観性があるかは言うまでもない。

いずれしても金融危機を乗り切るために、中央銀行のルールを書き換えてドル資金を流し続けたバーナンケ。FRB議長の彼の言葉がすべて物語っている。彼は「大恐慌にしたくなかった・・」と語った。

だが1930年代の大恐慌はその前に浮かれ過ぎた時代があり、恐慌はその報いだったとするならどうだ。そしてその報いと償いの時代が戦後まで続き、その苦労の結果として米国は史上最強の国になったのではなかったのか。

実は私自身が米国ではベービーブーマー世代だ。(米国のベービーブーマーとは1946年から1964年までに生まれた人を指す)。そして自分達の過ちを自分の世代で償う覚悟があるかと問われれば、正直イエスとは言えない。ただマスターズに神がいるように、次の次代の勝者は自分の過ちの償いを自分ではできないそんな覚悟の無い者からは生まれない事は確信している。これからもこの国で暮らすなら、その運命は覚悟している。




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