2012年1月25日水曜日

日産センチュリー証券コラム1/7の抜粋

アメリカ新素描          1月7 日作成
 
 <2012年はどんな年か>
 
あけましておめでとうございます。いよいよ2012年が始まりました。今年もよろしくお願い申し上げます。
 
さて、日本滞在中に本屋に立ち寄ると、そこには2012年がまるで大恐慌の年になるかのような本が沢山並んでいました。

筆者自身リーマンショック後の2009年には、2012年頃には大変なことになるだろうと予想していました。なぜなら、当時のオバマ政権のなりふり構わぬ救済策をみて、恐らく次の大統領選挙の頃に、その弊害が出るだろうと思ったからでした。
 
 しかし、年末に山岡大臣まで「2012年はユーロが崩壊し、金融大津波がやってくる」などと発言したのを聞くと、どこかに違和感を覚えました。

 災いは予想すると来ず、あるいは予想とは違ったところに現れるモノです。ならば本屋で目にした似たような悲観論は、どこか的外れの可能性を感じます。

 一方米国は大統領選挙が面白くなってきました。共和党の予備選は、大方の予想通りロムニーが強いようです。これは党内の現実派と、オバマ政権の救済からも漏れた中間層が、オバマを倒す可能性が一番高いとされる彼に傾いたからでしょう。

 しかし、原理原則派とオバマに失望した若者は、ロムニーでも、オバマでもない候補者を探しています。
 そんな中、TEA PARTYなどの共和党の原理原則派は、サントラムとギングリッチ、さらには一部はロンポール支持に分裂しています。

 予備選の後半、これらの支持が一人に一本化されてくると、その時点でロムニーに対抗しうる可能性は十分残されているでしょう。
 
 そして、場合によってはロンポールが共和党を離脱し、第三の候補に転換する可能性があります。彼はもともと若者に支持者が多いリバータリアン(自由主義者)です。

 もし彼が現状に不満を持つ若者の支持を引き寄せることができるなら、これまで逆を向いていた反ウォール街の若者と、TEA PARTYの一部が合体するかもしれません。

 その時は、92年の大統領選と同じ波乱の本選が予想されます。そこで、92年の大統領選を振り返ってみます。


<92年の大統領選とは>

 92年は大統領選は、東西の軍事的対立が終わり(冷戦勝利)、また第一次湾岸戦争で米国の指導力が発揮された後の選挙でした。つまり、現職のブッシュ政権は、対外的に米国の一国支配を固めた立役者でした。

 ところが米国内ではS&L危機が起こっていました。それまで好調だった住宅市場を牽引した住宅ローン信用組合(SAVING&LOAN社)が多くが破綻、(3247社中747社)、結果、住宅市場が落ち込み、景気が悪くなってたのです。

 ここまで説明すればお気づきでしょう。92年、米国は対外的軍事作戦で勝利する一方、国内では住宅市場が景気の足を引っ張る今と同じ構造不況にありました。それでもこの時点では70%を超えていたブッシュの支持率は、再戦に十分と思われました。
 
 そしてこの時の民主党の予備選も今回の共和党の予備選と似ています。現職大統領の支持率の前に有力者が立候補を見送り、予備選は混戦でスタートしました。

 最後勝利するクリントンも全国的にはまだ無名に近い状態。彼が有名になったのは、彼の立候補を聞いて昔の愛人が彼との過去の関係をメデイアに漏らしたことが切欠でした。
 
 大統領になった後もクリントンは、女性問題で妻のヒラリーに助けてもらった実績があります。実はこの時もクリントンはヒラリーに窮地を救ってもらいました。ヒラリーが噂を否定する事で、候補者として無名だった彼は危機を脱し、名前も全国的に売れたのです。

 このようにして始まった民主党の予備選は、アイオアからニューハンプシャー、更にメイン,サウスダコタとそれぞれ別の候補者が勝利する状態となりました。そしてクリントンがやっと勝利したのは5番目のジョージアでした。
 
 しかし上位が互いを攻撃する中、失言などで失脚。すると、後方に位置しながらもスピーチで「中道」を強調したクリントンが次第に注目されるようになりました。

 そして3月のスーパーチューズデイで一気にトップに躍り出て、民主党の候補者としての勝利を確定しました。ただこの時点で主役は現職のブッシュでもクリントンでもありませんでした。主役は2月になって大統領戦に参入した第三の候補者「ロスペロー」だったと言えるでしょう。

 ロスペローは伝説のビジネスマンでした。若い時、IBMのセールスマンとして1年間の売上目標を2週間で達成するという偉業を成し遂げ、独立してからも数々の投資で成功、世間は彼のカリスマ性に注目しました。

 その彼が選挙の骨子に掲げたのは、NAFTA(北米自由貿易協定)への反対と、レーガン・ブッシュと続いた財政拡大路線に歯止めを掛ける現実問題でした。
 
 NAFTA反対は保護主義の民主党路線、一方で財政規律は本来の共和党路線です。ロスペローは2大政党の看板を一人で抑えることで一躍支持率でトップに躍り出ました。

 そして本選が始まり、6月の段階での支持率を見ると、ロスペローが39%でトップ、続いてブッシュの31%、この時点でクリントンは25%の支持率でした。
 
 この事態に動揺したのは現職のブッシュ陣営でした。ブッシュ陣営はロスペローへの攻撃を開始。ロスペローは家族の身の危険を理由に選挙戦を降りるという異例の事態になりました。

 ところが、その後にロスペローへのネガティブキャンペーンはブッシュ陣営によるデッチ上げだということが判明しました。するとロスペローは10月に再び度本選に参入。結果本選では20%弱の票を得ました。

 そもそも米国の大統領選挙は実質12前後の州で勝敗が決まりるといわれています。なぜならNY州は誰が候補者でも民主党。逆にテキサスが共和党以外になることはないからです。結果、オハイオなどの五大湖の周りとフロリダなどが激戦になります。
 
 そして92年、現職のブッシュはクリントンに負けました。結果を分析すると、第3の候補のロスペローが20%もの票を得る中、ブッシュは重要な州でクリントンに競り負けました。ただクリントンに負けたというより、ロスペローの参加により、動揺した彼らが自滅したという方が正しいでしょう。

< 第三の候補への期待>
92年と比べ、リーマンショック後の今の方がはるかに深刻です。もし第三の候補者が出るなら、国民がの不満が第三の候補を押し上げる潜在的エネルギーは今年の方が大きいでしょう。

 突然第二のロスペローが現れるか。あるいはロンポールが大化けするか。興味深く見守っていきたいと思います。                       

                                      以上





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