2012年1月2日月曜日

絆と法律

正月の風物詩の箱根駅伝は、出場している大学は関東勢ばかり。ある意味東京偏重の象徴で、言ってみればローカル番組。このローカル番組を国民的行事のようにしてしまう読売テレビの威力・・。
 
ただ走っているだけならつまらない。そこで学生のバックグラウンドを紹介し、物語にしてしまう。そこに倒れこむ選手の姿。この情緒が日本人には必須なのだ。ただこちらのテレビJAPANで観戦した米国育ちの息子達は、熱くなるポイントが判らない様子だった。
 
それにしても、東洋大学の柏原選手は「神がかり」な存在である。昨年は「なでしこ」に神の意思を感じた。彼の強さはこれまでのアマチュアスポーツの中で異次元。そしてインタビューで柏原選手が繰り返したのは「絆」。仲間との絆、出身地の福島との絆だった。
 
米国では「絆」は戦争映画では大げさに表現される。一方実社会では「絆」は邪魔になる。なぜか。最初に浮かぶのが弁護士の数。米国の弁護士は有に100万人を超える。300人に一人の割合は日本の50倍だ。つまりそれだけ弁護士の需要があるのが米国社会である。
 
そんな中いつも見ている情報サイトに衝撃を受けた。そこで、家族ぐるみで付き合ったある母子家庭が材料になっていた。3年前の悲報が思い出された。

父親を病気で無くし、気丈なお母さんに育てられた青年は、同じ地区に住む日本人学校の子供のリーダーとして活躍していた。妹は娘の同級生、母親思いの青年はシカゴ一の名門高校の卒業。大学進学が決まっていた。ところがその青年が列車に轢かれてしまったのだ。

その悲劇から3年、残された母娘に判決が降った。サイトは興味深げにその顛末を紹介していた。
 
衝突の衝撃で青年の体は破壊され、その「部分」が駅のホームで列車待ちをしていた女性を直撃した。女性は二箇所を骨折。その後の生活に支障が出ているという。判決は、医療費から慰謝料のその全てを、息子をなくした母親に支払えというものだった。
 
その時青年はヘッドホーンをしていたという。踏切を渡ればホーム。彼は自分が乗る列車は確認したはずだ。ところが別の特急列車が猛烈な勢いで各駅列車を追い抜こうとしていた。彼は気づかなかった。 
 
原告を弁護した弁護士は、裁判で青年を「愚か者」と呼んだ。実際に青年を知る立場としては受け入れられない。ただ死者に鞭を打ってでもこの国ではお金は大事。弁護士の評価は裁判で最後はどちらが金を手にしたかで決まる。
 
小泉改革後日本の司法制度は大きく変わった。弁護士も増えた一方で、今仕事がない若い弁護士が大勢いると聞く。ソレはいい事なのか、悪いことなのか。日本人は自分でその答えを見つけるかしない。

個人的には、 司法制度の前に、変えるべきは米国が敷いた憲法だったとずっと考えている。日本はこの「絆」をどう守っていくのだろうか。


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