今週のエコノミストの表紙はフェイスブック。「A fistful of dollars」との見出しだった。「A fistful of dollars」を直訳すれると「握った金」。この場合は「金を握っている奴」がいいだろう。ただそれほど多いイメージではなく、これから7兆円で上場しようかという話にしては少し違和感。そこで何を言いたいのか読んでみた。結論は、今の流動性からすれば、「凄い」というなら、それが巨額になるのも当然と言ったニュアンス。つまり、米国を取り巻くマネー全体が巨額だという話だった。
ところで「Fistful of dollars」といえば、セルジオレオーネが、黒澤明の「用心棒」をリメイクしたイタリア映画の「Per un pugno di dollari」(邦題 荒野の用心棒)を英語にしたものである。 説明すると、南欧あたりで、欧州人監督が、米国人俳優を使って撮った西部劇を(日本では)マカロニウエスタンという。これで有名なった代表がクリントイーストウッドやジュリアーノジェンマ 。ジョンウエイン時代の米国人からすれば、アメリカでやらないアメフトの様なモノだったはず。ところがこの映画は米国でも大ヒットした。タイトルは、イタリア語をそのまま英語にし、「Fistful of dollars」になったということらしい。ただこの作品からはなぜこのタイトルになるのかは違和感だろう。
ストーリーは、長年宿場を二分した二組の悪者が、決着をつけようと突然現れた用心棒にどんどん金をつぎ込んでいく。だが用心棒は代金を吊り上げながら結局どちらにも味方しない。そして喧嘩が始まり、双方の人数が少なくなっところで現れ、全員をやっつける・・。
このタイトルにしたレオーネ監督はイタリア人。三船のチャンバラより、黒沢のシナリオに共感したのではないか。さもなくば、こんなタイトルでは変だ。面白いのはこの変な欧州映画を当時の米国人が受け入れた事だ。96年にこの映画を今度はハリウッドがリメイクした。タイトルはラストスタンディングマン。用心棒役はブルースウイルス。ドンパチが本質の映画になっていた。
言うまでもなく黒沢映画の本質は人間の本質を描くことだ。欧州人が共感するのは当然だろう。「用心棒」は、三船敏郎の魅力に加え、金の亡者になった悪者を手玉に取る主人公が冴え渡っていた。そういえば、当時無名だったイーストウッドはこの作品でブレークしたが、彼はスーパーボールのハーフタイムにクライスラーのCMとして「道半ばのアメリカ」という作品を出した。選挙も絡み賛否両論。ただこれは必見である。http://www.youtube.com/watch?v=_PE5V4Uzobc&feature=player_embedded
ダーティーハリーの印象の彼が、監督として深い人間模様が描くのが意外だった。ただアカデミー賞に特別ゲストとして招かれた黒沢に、会場でイーストウッドは、あなたがいなければ今の私はないと言って抱きついたという逸話からすれば彼の作品に黒沢の匂いがしても不思議ではない。いずれにしても、英国エコノミスト誌が、フェイスブック上場を控えたアメリカ市場に「Fistful of dollars」とつけたことは、偶然か、何か意味があるのか、ぜひ聞いてみたい。