2007年6月6日水曜日

殺人狂時代

“YOU CAUSED ME TO DO THIS・・(お前たちが悪い)”恐ろしい話だが、自分の中にも4月に殺人鬼となっしまった韓国人青年が感じていた米国社会に対する怒りを感じる事がある。彼は10歳前後の頃に米国に来た。撃たれた人は全員が複数の弾傷を抱えていたという事から、最後の瞬間まで彼の心を支配した深い闇がこれまでのどの事件とも異質の残酷さを残す・・。

慣れない英語圏での生活の中、懸命に近所づきあいを通して米国に溶け込もうとした親の苦労を見ながら彼は育ったはず。同時に「裕福な子供に対する怒り」、「不作法な米国文化に対する怒り」をその心の内面に育てていったのだろう(CNN)。精神科に通院した経歴を持つ彼が残した怒りのメモは、冒頭の言葉とともに辛辣な長文の批判で埋められていたという(ABC)。切欠は女性関係かもしれないが、彼はいつか必ず爆発するタイプだったはず。周りがもう少し注意を払う事で事件が防げる可能性はなかったのだろうか。

ところで、自分の場合は米国社会に対して怒り感じた時は、ダウ先物を売り向かう事で怒りを解消してきた。結果その瞬間怒りは解消できたが、見返りにバランスシートは常に深い傷を負った。彼の様にいつか爆発して大量の米株の空売りをしけたい心境は消える事はない。だがそれはまだもうすこし先の事としよう・・。

最後に有名な映画の有名なシーンを一つ紹介したい。全く普通だった人間が突然金の為に平気で次々に恋人を殺す鬼畜に変身する。しかし破産と共に彼は我に返る。そしてその時に自分を駆り立てたモノが本当は金への欲望ではなく、欺瞞に満ちた社会に対する怒りだった事に気づく。そして絞首刑になる直前、神へ捧げる言葉はあるかと聞かれた彼はこう答える。“これまでも神とは仲良くやってきた、仲良くできなかったのは人間社会に対してだ・・。私は確かに死刑に値するだろう。だが欺瞞の中で大勢人を殺した人間は時に英雄あつかいされるている・・ばかばかしい世の中だ・・。(チャップリンの殺人狂時代から)

チャップリン映画を見る人が少なくなった今、彼を紹介した次の様な面白い記述があったからだ。著名なドイツ人の舞台監督曰く、「チャップリンが今の時代にいないのは芸術家としては残念だ。だが、チャップリンの映画が頻繁に見られるような時代(必要な時代)が再び来る事はもっと残念である・・」

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