2007年6月9日土曜日

ダブルスタンダードの勧善懲悪

米国在住14年の後半の7年間、憩いだったソプラノス(TV番組)が今週末で終わる。以前、この番組の事をここで紹介した。日本ではまだやらないこの番組の事を、確か、コッポラの「ゴットファーザー」と、橋田須賀子の「渡る世間に鬼はない」を足して2で割った様な番組と評した。要するに主役は悪人である。ニュージャージーのイタリアンマフィアの親分が主役である。彼はそのダーティービジネスで敵対者は殺し、裏切者は躊躇せず抹殺する。だが家庭では恐妻家、出来の悪い息子に悩む父親の姿は所謂橋田番組が始まる・・。

ドラマでは、先週までに対立するマフィアに仲間の大半を殺された。家族を避難させた彼が今週末の最終回でどうなるのか。死ぬのか生き残るのか。WSでも人気のこの番組の結末に対して既に全米ではNYを中心に賭けが始まった。その話題は今日CNBCでも特集になっており、今のところ2:1で生き残る確立が優勢のようだ。いずれにしても番組の結末は来週報告する。

ところで、本日はパリスヒルトンが健康を理由に刑務所を5日で出所した事も話題。そういえばサミットが締めくくられたドイツでは、最終日にブッシュが重要な会議を欠席したが、ともに好き勝手に生きている印象を周りに与える。パリスヒルトンにはヒルトン財閥の金があり、ブッシュには米国の大統領としての権力がある。

米国が世界平和を牽引する指導者としての立場を捨て、利益重視、実利主義に転換した頃からTV番組だった「SOPRANOS」は社会現象になった。そもそも米国は大岡越前の様な清廉潔白のキャラは好まず、弱い人間が敬虔なクリスチャンなる事や、隠れて精神科に通院しながら大統領やギャングの親分という特殊な職務を全うする姿に親しみを感じる。

だが言い換えればこれらは人間の甘さを逆手に取ったダブルスタンダードである。米国は法律の適用ではダブルスタンダードを嫌うが、人間のモラルにおいてのダブルスタンダードには寛容である。それも特に金と権力の保持者にそ傾向が強くなった。そんな風潮の中で自分も含めて視聴者はソプラノスに親しみを感じるようになった・・。

ところで、米国が大統領のモラルの低さを容認し始めた起点はどこだったのか。知られていないが米国が超大国になる以前は、男色家もいれば女癖が手に負えない人もいた。だが転換点はクリントンだった。

彼はワシントンやリンカーン、ルーズベルトといったMtラシュモアの顔の主役が築き上げた米国大統領の執務室の権威の象徴の中で破廉恥行為に及び、そしてバレてしまうと開き直った。しかしここで重要な事は彼個人のモラルではなく、繁栄のピークを迎える過程で米国人はそのクリントンを許してしまった事だ。

個人的にはバブルの本当の定義はここにあるとみる。裏を返せば、マネーの過剰流動性も時代が変われば過剰が取れている可能性があるが(バブル崩壊)、本当のバブルは人間のモラルの低下の中にあるのではないか。

その意味で最終回のトニーソプラノスはどんな運命が待っているか。やはり彼は悪人、死ななければいけない。それがこの国の底に流れる清流と信じる。

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