2008年10月9日木曜日

<今日の視点>ノーベル生活学賞

そもそも米国による一極支配の終焉が他国に及ぼす影響は様々な症状を持つが、今回の金融危機で米国の権威は失墜、またドルはユーロ通貨が自滅した為通貨としての相対価値は維持されているものの、単なる消費財としての商品群からは一線を画して乖離を始めたゴールドに対しては価値を失い始めている。その本質を一口で言うならスタンダードの崩壊。即ち世界が目指したはずの権威と価値の消滅である。ただそんな中で現在もその権威と価値の存在を証明したのがノーベル賞だ。

そして今回は日本人が一挙に4人受賞するという快挙。そこで私はスエーデンに提案したい。独自の人間学からすれば、所詮は「流行り、廃り」だったかもしれないノーベル経済学賞を廃止して(そもそも経済学賞はノーベル賞の原型になかった)これからは新たにノーベル生活学賞を設けるべきである。ただ生活学賞とは何だ。ヒントは平和賞。世界平和に貢献した人にノーベル平和賞がある様に、宗教で人を殺さず、他人に迷惑をかけず、友好を貴しとして己の消費のみに固執することなく世界平和と地球環境に則した生活を実践した人や国家に送る賞である。そしてそれは市場原理に替わる価値だ。 この価値観は性悪説の国々には理解不可能だろう。しかしスエーデン人には理解されるのではないかと個人的には考える。

さて昨日の討論ではマケインは、私が大統領になれば、財務省に強制退去の危機に瀕した国民のモーゲージを買い取らせ、利率を再考し、国民が支払いの継続が出来る様にモーゲージのリセット命令を出すと言明した。本来共和党保守派のマケインも先の金融法案あたりから自分を見失なっていたが、ここまで来ると最早見苦しさを超えて頭がおかしくなったレベルである。ただ追い込まれた米国はFEDにせよ、財務省にせよ、またSECにせよ、次々にモラルという表現を超え気が触れた様な話ばかり持ち出す。SECは時価評価を辞めてMARK TO MODELなど訳のわからない事を言い出した。以前「中国の輸出食品」と「米国の金融商品」は世界に中毒症状をばらまいた点で同類だとしたが、ここにきて改善に本気の中国に比べ米国はまだごまかしの姿勢が見える。

直接金融が齎した功罪の罪の部分であるCP市場の機能停止というシステム問題はともかくとして、今回の最大の問題は、市場原理の恩恵を受けた米国が己(国家と国民)が失敗した時点でその原理によって本来は退場しなければならないにもかかわらず自己否定が出来ない点だ。そして周りもその矛盾を解決できない。また暗黙のうちに始まった社会主義への流れを公式には認めようとしない。従ってこれまで米国を模倣してきた国家群にも混乱が生じている。ただ昨日緊急救済案を発表した英国ブラウン首相が直接金融機関に資本を注入する点を強調して何度も「米国とは違う」と言っていた事はこれからの米英関係も含めて注目されるのではないか。

いずれにしても協調利下げに参加者しなかった日本は今回の危機を「回周遅れ」で免れただけではないかもしれない。本来日本はイソップが云うところの蟻だ。これまで蝉の米国に(本来イソップ童話の原型は蝉と蟻だったが、蝉がキリギリスに変わった)散々バカにされ続けたが、自ら冬を受け入れた点を評価されるべき時がきたのかもしれない。そしてその延長線にノーベル生活学賞があってもいいのではないか・・。

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