2010年5月1日土曜日

旧約聖書の教え

スイスのバーセルにある国際決済銀行は毎年デリバテイブの想定元本の総額を発表する。その数値は2007年の6月末には天文学的な6.7京円という規模になっていた。しかし2008年の6月時点では数値は5京円まで下がっていた。結局ソレが脱水症状を引きおこし、世界経済は麻痺した。そして注目の2009年6月末の数値が最近発表された。数値は再び6京円の大台になっていた。ここで注目すべきはその数値は2009年の6月末時点である事。即ち、今の金融市場を見ても明らかな通り、その後のデリバテイブの規模は再び増加の一途をたどっている可能性が高く、もしかしたら現時点では金融危機前のピークを超えているのではないか・・。

だが、これだけデリバテイブや金融市場には流動性があっても、実物経済には資金が行きわたらない。だから日本ではデフレが止まらず、米国では証券会社などの市場関係者のみが再びわが世の春を謳歌している。そんな中で起こったのが今回のゴールドマンサックスの詐欺疑惑だ。そしてこの事件への反応は様々。そもそも法律的に白黒つけるのが難しい中でコレが議会での金融改革法案成立に拍車をかけたのは確かだ。従って政権による謀略説も筋は通る。ただ法律的な話ではなく、ゴールドマンサックスを初めとする金融市場関係者が人間として重要な何かが欠けていたのは事実である。

そこで思い出したのは旧約聖書だ。その創世記、ノアの警告を無視し、酒池肉林に溺れた民衆は大洪水で一掃された(ノアの箱舟)。そして時が経ち、再び平和になると、大洪水を生き残ったノアの子孫は大洪水を起こした神を侮る様になった。すると今度は人間が神になれば大洪水の様な天罰は二度と起きないと考えた。そこで天まで昇る塔を建てようとする。それがバベルの塔だ。だが神が人間に複数の言葉を与えると、そのバベルの塔では混乱が起きた。そして言葉によって逆に意思の疎通ができなくなると、塔は崩壊してしまった。

個人的に、過剰流動性という大洪水に溺れたはずの金融市場は、助けてもらうと今度はバベルの塔を立て始めたとずっと感じてきた。株高に浮かれた市場関係者の発言には、株さえ戻れば全てうまくいくとの驕りがあった。そんな中でゴールドマンの話が出てきた。旧約聖書が教えが正しいなら、いずれ何らかの形でその塔が崩壊すると、その時金融は地域ごとの細分化が進むと考える。なぜなら、複数の言葉を与えられた人間がバベルの塔の崩壊後、世界に散らばって国々を構成した様に、たとえ不便になってもリスク分散のためには離れた方が良い時がある。(それがデリバテイブ規制の本質だろう)北欧などの一部の人々が実践している地域通貨はその延長だと考えるが、実は建国直後の米国でも安易な金融に頼らないスピリットがあった。(注1)

ただそんな話は死に物狂いで金融市場で儲けるためにポジションを張る我々にとっては非現実的だ。だが、皆が金融市場で儲けようとする事が、そのまま世界の発展に繋がる時代が永遠である保証はない。そんな時、神の意志ではなくとも人間の歴史は不思議な調整機能を見せた。だから曲がりなりにも人間社会はここまで来れた。そして、デリバテイブを原子爆弾として悪玉扱いしてきたあのバフェットが、自分の会社のためにそのデリバテイブ取引を規制から外すように議会に意見するようなった。

私には彼の変節はソノ期が熟し始めている予兆にしか見えない。バフェットは金融危機の最中にゴールドマンに特別契約の投資をした。これは一般の投資家にはできない優遇された内容だ。この時点で彼の投資スタイルは以前とは違うものになっていたが、仮にこのGSへの投資が失敗に終わるなら、それは彼もそろそろ市場から引退する時が来たという神のアドバイスであろう・・。


注1 (独立後の最初の戦争である米英戦争で米国が苦戦したのは、欧州に確立していた金融カルテルの米国への介入を拒んだ事による資金不足が原因とされる。だがその英軍を天王山で撃退したのが20ドル札の顔、軍人アンドリュージャクソンである。そしてジャクソンは大統領になると、彼は10ドル札の顔であるアレキサンダーハミルトンが創った初期の中央銀行を廃止した・・)



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