2012年4月16日月曜日

下品な主張

写真の女性は米国の女性コメディアンのサラ シルバーマン。中絶の権利を弁護する立場の彼女は、ジョークを交えてこの写真を公開した。(両方とも偽物)

言うまでもなく米国で中絶は重要な問題だ。中絶を擁護する立場の医師は、反対のたち場をとる過激派から殺されるリスクもある。

個人的にはPro Life (中絶反対主義)でもPro-choice(中絶擁護)でもない。しかしなんでもあからさまに主張するこの種の表現は下品だと感じる。

ところで、渡米した直後(93年)、こちらである日本人女性に関して論争が起こっていた。彼女は日本人男性と結婚して子供が二人できたが、離婚後、将来を悲観して入水自殺を図った。

しかし、彼女は自分だけ助かってしまった。論争とは子供二人を殺した罪で死刑もありうるなか、日本人社会から彼女を弁護する運動がおこっていたのだ。

当時は彼女に同情した事を覚えている。結局彼女がどうなったかは判らないが、米国で長く暮らし、今は彼女は十分極刑に値すると考えるようになった。

尊厳死は尊重したい。だが、何もできない子供を巻き込んだ一家心中は許し難い殺人である。子供の可能性を自分の経験で判断している不遜。そんな親はいい時はモンスターぺアレント、悪くなれば自暴自棄ではないか。

世界には宗教的理由で娘を殺す親もいる。少し前、米国で年頃の娘3人を車ごとで水中に沈めた父親が逮捕された。イスラムのおきてに反し米国化した娘達を恥じての殺人だったが、黙認した母親も罪に問われた。

このような悲劇は今後も防げないかもしれない。だが少子高齢化をこれほど危惧する日本なら、もう少し明確にすべき事がある。無理心中は重大な殺人。死んだ親を不起訴にしてはならない。