2014年7月13日日曜日

 アメリカで流行らないドラマ  7月8日レター抜粋 








                

幹事証券がIPO(上場)をアナウンスしながら上場日を引き伸ばし、大勢を巻き込んで盛り上がりを演出することを「PUMP AND DUMP」という。たいていの場合、上場後下がるのでDUMP・・

アリババはなにやら8月に上場になっているようだが、ならば先回りしてモメンタム系に売りがでた雰囲気もある。米国と欧州金融機関の関係がギクシャクしているなかで、アリババの幹事構成はお寒い。

ところで、先週からTVジャパンでも「ルーズベルトゲーム」の放送が始まった。過去、この作者のドラマは下町ロケットと半沢直樹を観た。下町ロケットには素直に感動。また銀行経験はないが、市場を観ている立場から、半沢直樹をそれなりに楽しんだ。

そしてルーズベルト。最初の印象は「奇をてらった」タイトル。この内容に「ルーズベルト」というタイトルをつけるのは軽々しいという印象。この風潮では日本人が世界史の重要性に気づくのはますます遅れるだろう。

いずれにせよ、米国では融資を軸に物語が展開する半沢直樹やルーズベルトは経済のツボから外れている。なぜなら米国では銀行(融資)は企業の生殺与奪を決める存在ではない。ドラマの主役としてはインパクトに欠ける・・

いうまでもなく米国経済の根幹は直接金融。消費がGDPの8割になり、中古住宅の上昇が庶民の財布になってからは、銀行の役割は多様化したが、庶民のアメリカンドリームを支えたのは、モーゲージ関連の証券市場の発達。

そして若い企業を育てるのは前述のIPO。つまり半沢直樹ではなく投資家だ。

言い換えると、正義の定義が多様な米国では、銀行マンの正義は世の中の正義としては薄い。結局、これまでアメリカを支えた経済の正義とは、市場原理そのものだったと思う。

IPOなかにはデタラメの会社も混じる。FACEBOOKのように、最初から決議権がない部分IPOの変なガバナンスへ飛躍することもある。だが最終的に不正義は空売りで潰すこれが市場原理という正義

欲望のウオール街は善より悪が似合う。彼らとどう付き合うかは個人投資家の自己責任。まさにこの国の民主政治に自分の裁量で参加する自己責任。だからこそ、長年この国では民主主義と市場原理は車の両輪だった。

だがリーマンショック後のアメリカは変わった。中欧銀行が市場原理を歪め、市場をコントロールしている。そこはFEDへの信頼が前提となっている。これは性悪説が前提のアメリカでは異例。

いずれ米国は市場原理主義のフェアウエイに戻ってくるとして、日本は銀行主義。銀行に社会的責任を負わせる国民感情のまま、証券主義の米国の制度をやたらと取り入れている。

日本の銀行は国民が期待する正義感に縛られ、行動が限定されているのに、ルールはアメリカの圧力でけっこう開放された状態だ。ならばそこで自由に動きまわるのは誰だろうか・・

前向きに考えるなら、かっこいい日本の証券マンが活躍するドラマが日本では必要だろう。

でも半沢直樹の続編は、彼は証券子会社へ出向する物語らしい。証券物語でも銀行マンが主役になるようでは、その効果はあまり期待は出来ない・・

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