2009年10月15日木曜日

悪は善よりも正しい

前項の続きとして6012年という世界史感はオバマの理想の実現性を否定する。なぜなら歴史ではオバマ以上の立派な人もいただろう。だがその人々の存在で世界が変わったかは定かでない。寧ろ歴史の転換点では善よりも悪が強く正しかった例が多々ある。その事例の中でも金融に関わりながら現代を生きる我々に最も関係するのがJAMES USSERが英国に渡る前、英国がヨーロッパの2流だった頃現れた「ヘンリー8世と言う悪」が英国を変えた事ではないか。

彼については以前も述べた。6人の妻の内、二人を断頭台に送り、性欲の果てに梅毒で死んだとされるこの狂王は純粋なカトリックだった。だが、ローマ教皇を頂点とするカトリック支配の欧州の序列で英国はフランスやスペインより格下。そんな現状に不満を感じる中で彼は若い妻を欲した。そして彼はカトリックで禁止された離婚を断行。また国民を納得させる為にローマンカトリックに代わる独自の教会を樹立。それが今の英国国教会に繋がる。結果彼は同時代やや遅れて比叡山を焼き討ちした織田信長と同じく、政治を宗教から切り離し国王として宗教の上に立った。またスペインやフランスの国王が教会を保護する中、トマスクロムウェルを使いカトリック教会の財産を没収させ、それ英国王室の私財とした。結果高まった不満はクロムウェルに押し付け、彼を断頭台に送るとその潤沢な資金でフランスやスペインとの戦争を支えた。そして王の死後、当時はまだ大海を支配していたスペインが海賊を取締らない英国に怒り海軍を送ると、娘のエリザベスはその海賊を使ってスペインを迎え撃った。海賊に貴族のルールは無用。「赤壁」を彷彿させる船ごとの火責めという手段にスペインの無敵艦隊はあっけなく負けてしまった。

この様にヘンリー8世後の英国は異端や悪者を用いてローマンカトリックの権威という「旧態の善」を超えた。そして英国自身が新しい善(スタンダード)になり、いつの間にか英国紳士などという言葉が生まれた。ただここで興味深いのは「紳士」という言葉のイメージと英国の歴史との違いだ。「紳士」には約束やマナーを破らないというイメージがある。だが英国の歴史が示唆すのは英国は当時としてはルール違反だった「長篠の戦い」が最も得意だったという事になる。

余談だが、マナーという点で多くの日本人のイメージを直しておく。16世紀にメディチ家で生まれ、その後優雅を極めたブルボン王朝で完成したとされるテーブルマナー(ナイフとフォークの使い方)が英国に伝わったのはヨーロッパでもずっと後だ。従って史実に沿った映画やドキュメンタリーを見ると、その時代(チューダー王朝時代)まで英国では国王や貴族はテーブルで肉を手で千切って食べるシーンが多い。尚日本の高給ホテルなどが押し付けるテーブルマナーやナイフフォークのルールは実はこのフランスでの最後の姿を模倣した古典。こんなモノは英国から更に独立した野蛮な米国ではどんな高級レストランでも全く見ない。

そして英国が受け入れた「悪」で最も重要だった悪は言うまでもなく「金融」である。これはヘンリー8世後に宗教が多様化した事で、啓蒙に芽生えた新宗教やユダヤ人が知識と共に英国に集まった事が大きいと考える。JAMES USSERはまさにこの時代を生きた事になるが、ユダヤ人を追い出してしまったラテンの強国と、シェークスピアを輩出しながらユダヤ人の能力を利用する懐の深さを持った英国の違いは大きかった。

最後にヘンリー8世のもう一人の娘メアリー(長女でブラディーメアリーの語源)が行った弾圧(カソリック以外の宗教の弾圧)によってこのアメリカが産声を上げた事を触れておく。彼女は父ヘンリー8世がスペイン王室の母を裏切った事が許せず、父の死後(長男の死を経て)自分が女王になるや方針を旧態へと戻した。結果、父の時代に芽生えた新宗教の多くが弾圧され、その一部がメイフラワー号に乗って米国大陸を目指した。そしてこの精神が今の「共和党保守派」の理念に引き継がれた。しかし金融の支配が強まった英国の支配を嫌い独立を成し遂げた「建国の精神」は今や米国でマイナーな存在になりつつある。ただ米国がこのまま英国化したとしても6012年という「世界の年齢」から考えれば自然なのかもしれない・・。



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