(写真は戦死前のサイモンバックナー将軍 WIKIPEDIAから)
米国ではバトルオブオキナワを、Typhoon of Steel(鉄の大嵐)と呼ぶ。この言葉の響きから、米国の歴史で沖縄戦がどう伝わったかをまず日本人は感じるべき(停泊中の米国艦にカミカゼが体当たりした)。
太平洋戦争末期、沖縄がいかに悲惨な目に会ったか。本土で暮らす日本人は普通に知っている。自分もその一人だった。だが米国生活が長くなり、自分が沖縄についてどれほど無知だったかを知った。
米国で沖縄は特別な存在である。昨年HBOはスピルバーグ/トムハンクス制作のPACIFICを報道した。番組は数々の賞を取りここでも触れた。
ガダルカナルからミッドウエーの海戦。さらに米軍の死者が日本軍を上回った硫黄島。そしてクライマックスの沖縄へと、日本が消耗していく中、実は沖縄戦は日本が敵の大将首をとった戦いだった。
沖縄上陸の前に勝敗は決していた。だが米軍18万に対し、日本軍10万が最後の抵抗を試みた。日本軍最高指揮官の牛島満は、沖縄県民の避難を考慮したとされる。だが本土までの輸送が不可能と判断され、逆に県民は残された楯になってしまった。
結果、9万の日本兵(つまり9割)と、最大15万人の沖縄県民が死んだ。しかし、米軍も司令長官のサイモンバックナー将軍が日本兵の機関砲の前に死んだ。彼は米軍戦死者の歴史で、現役軍人としては現在も最高位である。
司令長官を殺された米国の衝撃は大きかった。これが最終的に、広島・長崎につながった可能性もある。米軍死傷者は全軍18万人のうち6万人。バトルオブオキナワは、死傷者数と、イラク戦争後に有名になった後遺症(Combat stress reaction)48%は、今も史上最悪の数字である。
これが、米国にとっての「オキナワ」。
これほどの犠牲を払った沖縄を、米国が簡単に手放す事はない。一方本土で安穏と暮らす現代の日本人のどれほどが沖縄が受けた衝撃をイメージできるだろうか。
米軍に守られるのを当然と考え、沖縄は基地による経済効果があると、多くの日本人は冷めている。だが沖縄への認識がこの程度なら、日本はプエルトリコのような米国の特別保護区に格下げされるのがふさわしい。その方が民主党のいう「国益」に合致してるかもしれない。
日本にずっといたら、自分自身ここまで沖縄に気を使うことはなかった。だが今は日本人として己の無知を恥じている。
沖縄は、独立国として中途半端な安穏を優先した日本を選ぶか、苦しくとも、独立する気高さをもった日本を選ぶかの、日本人としての試金石だろう・・。