2011年12月18日日曜日

常在戦場

東京のホテルの深夜、石原慎太郎知事が定例記者会見を開いていた。

相変わらず横柄な対応。

彼の東京への自信過剰をみて改めて思ったのは、

「東京」は日本人でなければ築けない空間ということ。

さほど大きくないスペースに、これだけの人が存在できるのは、

タクシーの運転技術が優れ、駅では人がリズムを守るからだ。

技術面のインフラの確かさは日本人の特性。

そして一人一人がスペースを要求しない。

その根本にあるのは他人に対する安心だろう。

異種類の人間が集まる街では、あの満員電車はあり得ない。


ところで、石原知事は、新潟が県から道州制になろうとしていることを馬鹿にしていた。

米国では新潟の情報は入らないが、その隣で育った。

あの県には長岡藩伝来の「常在戦場」の精神があるのは知っている。

そんな中、前原大臣が「 地域の安全保障のためには米国との同盟強化が肝要」と言った。

多くの人は大臣の言葉に違和感を覚えないだろう。

だがこれは正解ではない。

まず、1945年8月15日以降も、広義の戦争はずっと続いている。

経済で直接人は死なないかもしれない。

だがその結果において、多くの人が生き、多く死んでいる。

これは今も世界が「常在戦場」である証拠だ。

むしろ今のミリタリーは通常は抑止力。

張り子のトラに怯え、まともに交渉ができない国は、経済のいくさで負ける。

冷戦終了後、日本はこの戦いでアメリカに苦戦してきた。(クリントン政権)

そして前原大臣が間違っていると考える根拠は、

米国とくっついていれば、中国は手を出さないという幻想を正論にしようとしている事。

中国とてやる時はやる。だが、本当に戦争をしたいのは中国なのだろうか。


米国のわがままを受け入れても、平和ならいいという考え方は否定しない。

なら日本は不満を言うな。そして日本だけがその姿勢でも、世界がそうなるとは限らない。

このまま民主主義の負の側面が続くと、国民はどこかで独裁を望むのではないか。

その時は歴史は同じ場面に直面する。

ならば結局は日本自身が強くなることしかない。

sそうなれば他国は簡単には手を出さない。


日本は米中の中間に立ち、

地球にとって不幸な彼らの紛争を回避させる役割もできる。

中国は日本にそれを期待し挑発しているふしがうかがえる。

だが一方的な中国脅威論に怯え、日本は米国には無防備だ。

しかし余裕がなくなった米国は本性を現し始めた。

グアム移転の負担金拒否。親日国家イランと取引を脅すのは、

イラクがイランに変わっただけで、オバマの米国はブッシュの米国とさほど変わらない。

違いは、イラク戦争はブッシュ政権主導、イラン制裁は議会が主導している。

いずれにしても、明石元次郎が活躍した日露戦争から、

太平洋戦争を経て日本は「小作人国家」になってしまった。

皮肉だが、だから東京という最高傑作ができたのかもしれない。

しかし、政治家がまでが少し頭がいい程度の小作人では、

日本は自らの運命を切り開くことはできない。

それは究極の安全保障の放棄。

そして、あの戦争で日本に責任があったとするなら、

米中の間に入る勇気を持つことが、本当の平和への貢献である。

それは、米国べったりではあり得ない・・。







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