2012年5月15日火曜日

武士という市場原理


清盛が面白くなってきた。だが視聴率が回復する気配はないという。この面白さが伝わらないのは残念。仕方がない。この時代、日本は今と同じ平和ボケだった。だから面白さが伝わらないのだろう。

NHKには視聴率よりも大事な使命がある。NHKは今の視聴者のレベルに合わせるのではなく(それは民放の仕事)、このままいけばよい。

ところで、添付した資料はJPモルガンのディリバティブの内訳である。今話題の損失の本質は今某メディア向けに執筆中。ただもし概要が知りたければ、真マネー原理プロにも一部載せた。

この表を観ると、JPのデリバティブの総額は圧倒的である。こちらで今のJPモルガンを観ていると、その力は清盛の頃の平氏に似ていると感じる。我が世の春・・。

しかし平氏は最後は皇室の権威の前に消滅した。直接倒したのは源氏。だが、それを操ったのは後白河法皇だ。

今回の大河は、彼まで到達する過程の皇室の持つ権威の魔性の描き方が斬新で良い。だがそれは一般にはドラマとしてつまらなく思えるのだろう。

妻にはそんなところに注目するのはおかしいと言われた。だが一方で彼女もここまでの展開で、切腹がない、死罪がないことは気づいていた。そう、この時代は死罪が殆どなかったのである。

平安時代、朝廷が都で死刑を断行したのは800年代の薬子の変が最後。その後は反逆をしても死罪はなく、せいぜい流罪。そんな時代が350年も日本では続いた。(義家の東北など、地方征伐は別)

清盛の平氏はその延長の武士であり、時代の最後。それを倒したのは野蛮な源氏だった。

そもそも市場原理は野蛮でなければならない。欲と欲がぶつかり、強者は弱者を殺す。必要とあらば親兄弟を殺し、人前で腹も切る。源氏の野蛮さには市場原理と同様の強さがある。

80年代までの米国市場にもこのような野蛮が溢れていた。kill by sword, killed by swordだ。ところが銀行証券の堺がなくなり、金融市場は貴族なのか、武士なのか判らない市場になった。

すると、間違いを犯しても、命まで取られる事はなくなった。金融危機後、圧倒的な力を持ったのがJPモルガンと、ジェイミーダイモン会長である。

会長はFEDの権威を無視し、規制強化をもくろむオバマ政権に公然と反抗した。

「イフ」で平氏の存続だけを考えるなら、清盛は頼朝や義経を殺さなかった事を悔むのではなく、本来後白河法皇と朝廷を潰すべきだった。時代はまだ平安。当時の彼には十分できたはずだ。だが清盛はしなかった。

一方旧約聖書では、堕落した人間に怒った神が起こした大洪水を生き残ったノアの末裔は、いつのまにか神を侮るようになり、ついには神をも越えようとバベルの塔を積み上げていった。だが神が言葉を与えると、あっけなく崩壊したという。

これも、神(宇宙)という市場原理の力だろう。逆に言うと、日本に市場原理が必要かどうか。それは聖書の代わりに1500年続く皇室を持つ日本の大きなテーマでもあろう・・。

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