2012年7月17日火曜日

平和の祭典の前後

日本はなぜこんなにオリンピックが好きか。一言で言うと平和だからだろう。日頃平和に安住する国民が4年に一度スポーツでナショナリズムを体現する。これは刺激だ。また日本では金メダルが同等に扱われる。つまり「君が代」が世界に向けて流れることに価値を感じている。だが国家の存亡をかけて実際に戦争をしている国、またサッカーが戦争の役割である国。或いは米国のように1896年の近代五輪(アテネ)よりも早くベースボールとフットボールのプロの試合が始まった国では日本ほどの盛り上がりはない。

ただそんな話とは無縁にオリンピックを日本人として堪能したい。それは同じ。だが終わったら、(ちょうどその頃終戦記念日)日本ではもう少し現実的に平和の意味を考えてほしい。オスプレイの配置。原発の今後。あまりにも日本国民は直情的だ。前にも言ったが、自分の力で国防を担うと宣言しない日本がなぜ米国のオスプレイ配置に文句を言う。広島長崎の悲劇を経験した日本が悲劇ばかりを主張し、なぜどのように両市が汚染を克服したかを話さないのか。コレは日本だけが知る成功体験だ。広島長崎がいまだに汚染されていると思っている外国人はそれなりにいる。

結局政治は何を基準に政策を打つのか。俗に言う平和ボケの中、一般からのアンケートでは正論は得られない事もある。リスク管理と危機管理の混同。危機が国家なのか人命なのか。その選択を迫られ場合の優先順位の覚悟を国民に促すのも政治の使命だ。この力技をするのは誰か。避けていては無責任。ただし国民に選ばれなければ政治家は無力。よってある程度メデイアの援護が必要だ。

週末、役所広司が演じた「山本五十六」を観た。この映画のいいところは徹底的にMEDIAを叩いていること。一方的に東条とその周りの成功体験者による判断ミスにせず、当時の世論構成ではメデイアの役割も大きかったこと下品なまでに誇張しているのがいい。日本人は一度失敗すると次は全てを否定する。映画のエンデイングでは、メディアとして戦争を煽った香川照之が、戦争に負けると今度は米国の民主主義を盲信する今の日本を予兆させる役を上手く演じていた。少しでも長く平和を維持したいなら盲信ではなく準備。ロンドン五輪が終わったら、そろそろ前向きな準備を始めよう・・。

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