2014年6月7日土曜日

ノルマンデイーは誰のためだったのか





毎年6月6日のD-DAYには、顧客向けコメント(TAKIZAWAレター)、このブログ、そしてFACEBOOKにも同じビデオを貼ることにしている。

    We will accept nothing less than full victory (完全勝利以外受け入れない)  

アイゼンハワーのこのスピーチは、その迫力でトゥーロン砦を前にしたナポレオンの鼓舞と双璧だと思う。(参考:http://marukano-gb.blogspot.com/2013/03/blog-post_7.html )

そして下の添付は、連合軍がノルマンデイー上陸に成功した翌日のFTの一面。上陸に成功したことで、債券とフランスの鉄道株が買われたことがトップの位置で紹介されているただ全体としては大きな扱いではない。

         

このことからも、この時既に趨勢は決しており、英国内は落ち着いていたことがうかがえる。なんとなく、ECB傘下の大陸欧州では、ギリシャ危機の頃に際立っていたドイツの保守派インフレ強硬派が何処かに行ってしまった今の雰囲気に似ているではないか。

それでもD-DAYは米兵にとって試練だった。もしヒトラーが「チャーチルの仕組んだ罠」に引っかからなければ、ノルマンデイー上陸作戦は、もっと悲惨なものだったはずだ。

上陸前、チャーチルは連合軍の上陸場所をカモフラージュするため、前線から退いていた米軍のパットン将軍を呼び戻すことをルーズベルトに進言した。

その少し前、マッカーサーとともに第一次世界大戦を終わらせた立役者のパットンは、米軍のイタリア戦線の先陣を切っっていた。ところが、野戦病院で米兵を見舞った際、戦場に戻ることを怖がった米兵をひっぱたいてしまったのだ。(さすがパットン)

この事実が米国内で広まり、米国民からパットンに対する非難がおきた。しかたなくルーズベルトはパットンの前線任務を解いていた。

隠居状態とはいえパットンの名声はヒトラーも恐れるところ。チャーチルは、猛将のパットンを風船にペンキを塗った偽の大戦車軍団とともに、カレーの対岸に駐留させることをルーズベルトに進言した。さすれば、ヒトラーは連合軍はカレーに上陸すると判断し、ドイツ軍の主力をそこに置く。

ヒトラーはまんまとチャーチルの策略に嵌った。ノルマンデイーに上陸が始まって72時間たっても、ヒトラーは現地からの報告を信じず、カレーの主力部隊を動かそうとはしなかった・・。


もともと英国人やフランス人は、ドイツ人や日本人は当然ながら、時にはアメリカ人と比べても陰謀や策略では一枚上の印象。その象徴の一人、チャーチルは若くして政治家としての地位を保証されたエリートだった。

ところが第一次世界大戦で政治家として自分が立てた作戦が失敗、おびただしい犠牲を出し、彼は解任された。失意の中、チャーチルがとった次の行動は、なんと志願して、一兵卒で前線に出ること。ここがなんといっても彼の凄さ。

ただルーズベルトが密約を結んだのはチャーチルだけでない。キーパーソンはスターリンだ。チャーチルは二人を引きあわせた。

D-DAY の7ヶ月前、ルーズベルトはチャーチルを介してスターリンとテヘランのソ連大使館で会談。アメリカが対ヒトラー上陸作戦を敢行する交換で、スターリンに日本への参戦を約束させた。

このテヘラン会議で最も優位だったのはスターリン。スターリンはスターリングラードの攻防で住民と兵隊100万人を犠牲にし、ドイツの主力部隊の一つ第6軍30万を殲滅していた。

まだまだいくらでも犠牲を出す覚悟はあると豪語するスターリンに、民主国家として同じことは出来ない英米は、スターリンに一歩譲るしかなかった。

このあたり、今のプーチンロシアを考える上でも重要な点だと思う。(同じではないが・・ちなみにソ連全体の犠牲者1500万人前後)

そのプーチンはノルマンデイーでオバマと会ったという。日本の報道は当然オバマびいきだが、本当はどうだっただろう。任期が残り2年のオバマと今のプーチンとどちらと仲良くすべきか。直前にフランスがロシアと軍事面でBIGDEALを断行したことが物語る。

フランスはアメリカが自国のパリバ(銀行に)莫大な罰金を課したことに反発。ウクライナ問題では率先してロシアへの経済封鎖を誘導しながら、肝心な要の軍事でBIGDEALを結んだ・・

さすがフランスはタレーランの国。タレーランはブルジョアでルイ16世の側近だったにもかかわらず、革命ではちゃっかりルイ16世を裏切って生き残り、革命後の混乱を収めるために英雄ナポレオンが登場すると、今度はナポレオンの側近になった。

そしてナポレオンが敗北すると、責任はすべてナポレオン個人にあるとし、敗戦国フランスを代表してウイーン会議に臨み、敗戦国のフランスを外交で勝利に導いてしまった・・

フランスはカール大帝の大昔とナポレオンを除けば、歴史的に戦争に強いとはいえない。ところが政治はいつも勝ち組。その原点は個人的にはタレーランと考えるが、今やIMFや初代ECB理事長などの重要ポストはなぜかフランス人だ。

この点で、国連でいまだに敵国条項が適用される日本やドイツと対照的・・。

そういうことで、D-DAYの究極は、フランス領のノルマンデイーでドイツ人とアメリカ人が殺し合い、その結果、アメリカにはアメリカ人が大好きなヒーロー物語が残り、一方で領土はヒトラーからフランスに戻り、英国の金融市場は潤った・・。さすが英仏

なにやら今の金融市場の頭と尻尾の隠れた格差。尻尾の参加者は、自分が尻尾だとしらない状況に似ていなくもない・・。

日本の安倍首相は地球儀を俯瞰する外交で頑張っている。ただ個人的には、その昔フランスのドゴール大統領を訪問した池田首相が、ドゴールからトランジスタのセールスマンが来たと、影で馬鹿にされた経験を活かして欲しいと思う・・。













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