2012年3月18日日曜日

死に方の権利 (真マネー原理プロから)



 HBOのスポーツ特集で、世界一の鳥人の特集があった。(写真)彼は「死ぬのは怖くないのか」と聞かれて、「普通の人は自分をクレージーだと言うが、僕にとっては、毎日6時起き、1時間電車に乗り、オフィスで10時間座り、また1時間電車に乗って家に帰る・・のを30年続けるのがクレージー・・」と言っていた。

 さて、日本で孤独死が話題だ。メディアは「セルフニグレクト」と呼んで亡くなった人を憐れんでいる。だが亡くなった人は本当に憐れんでほしいのか、疑問である。

 そもそも今の世の中には、衣食住が整った刑務所に好んで行く人がいる。その時代が過ぎた米国では、最早罪を犯しても簡単には刑務所に入れない。

 少し前、退職した警察官が、態々別の州で強盗罪を犯して刑務所に行った事が話題になった。持病を抱え破産した彼は、地元の刑務所では、病気の治療できないと知っていたという。

 人は生まれ方は選べないが死に方は自分で決める権利がある。最近ひっそりと亡くなった人の中には、自分の意思で、「助けてもらわない事を選んだ」人もいるのではないか。

 ならば、その人たちは「憐れみ」を望んでいるとは思えない。逆に、孤独に耐えられない弱い人が、彼等を自分のレベルで憐れむのはその人たちに失礼だとさえ感じる。

 武士の頃の日本はそんな国だった。日露戦争当時、日本がGDPの10倍の戦費を調達できたのは、日本が洋装した最初のアジア人だったからではない。世界を知るピーターシフ(ユダヤ人投資家)は、当時の日本の指導者が、命をかけて約束を守る武士だった事を知っていた。

 一方で今はこれだけの流動性がある。そこでは市場が大騒ぎしても、最後はギリシャですら何とかなる。ならば、モラルがある国には必ず投資家は現れる。

 日本はトリプルCの格付け会社の格づけを心配する必要はない。それよりも、世界に冠たる日本人のモラルをどう維持するか。武士でない人びとが政治をするようになった今の最大の課題だろう・・。