2008年9月23日火曜日

<今日の視点>米国のパラリンピック

先週、株の安値は混乱の乱高下の中では生まれず、寧ろ規制が強化された後の静かなマーケットで付けるだろうと予想した。ところでFED(中央銀行)の発表を額面通り受け取れば、本日は長いWSの歴史が終わった日である。FEDが本気で規制を強化するなら、ゴールドマンとモルガンスタンレーが銀行になるという事は両者を支えた優秀な人材は恐らくはプライベートエクイテイーなどに流れ、残った会社にはこれまでの利益水準を稼げる人はいなくなるという事に等しい。

それはポールソン財務長官の救済案についても同様だ。民主党の重鎮とマケインは政府が税金で不良債権を買い取るにあたって対象となる金融機関のトップの給料に上限を設けるべきという点を頑固に主張している。マケインは選挙対策もあり40万ドルという具体的な数字を出している。ただこれまで40M(億)を取っていたCEOが40万ドル(4千万円)ではプログラムへのインセンテイブ(参加意欲)が薄れるとポールソンは反対している・・。

いずれにしても、米国は暫くは「見えざる手」を失う事になるだろう。そんな中での注目はロシアと中国。そして別の意味で日本が評価されてもいい。理由は北京オリンピックとその後に続いたパラリンピックを見れば一目瞭然だ。まずパラリンピック競技を米国は殆ど報道しなかった。オリンピックであれ程マイケルフェルプス一辺倒だっただったNBCは、いくら金にならないとはいえ、MEDIAとしての品格が疑われる様な温度差である。そしてきちんと報道していたNHKでは、前回との対比で閑散とした4年前のアテネのオリンピックスタジアムが映し出されていた。そもそも米国がパラリンピックの報道に興味がないのは判る。ただ日頃は人権や人道を叫んでも、それぞれが勝手に動きだしたユーロ圏の求心力のなさの本質がこんなところでも覗えた・・。

その点中国は違った。オリンピックに続きパラリンピックにも満杯の観客が入っていた。それが政府主導の結果かどうかはわからない。ただその求心力と日本の報道の姿勢はそれぞれの観点で次の時代への光明を感じた。また旧ソ連の流れをくむロシア圏の国々は、競技の結果に対して覚悟を決めていた。禁止薬品に対しても他の先進国の躊躇とは対照的なしつこさだ。彼らにはモラルという言葉は通じない、ただそれはそれで限界で戦っている証拠だろう・・。

ところで嘗ての米国には健全な体に健全な魂が宿っていたはずだ。ただその時代が終わり、皆が金と消費の世界観にどっぷりと漬かってしまった。そして金融もスポーツもステロイドが蔓延、ついに米国は転でしまった。ステロイドの時代の継続が不可能になった今、米国は暫く彷徨うのではないか。なぜなら今の米国は、転んで起き上がってみるとこれまでの成長を支えた欲望への「見えざる手」が意図せずに折れてしまった危険を感じる。この姿が私には米国自身のパラリンピックがこれから始まろうとしている様にも見える・・。

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