2008年12月31日水曜日

<今日の視点>ある遺稿

南九州の制空権
すでに敵の手中にあり
我らが祖国
まさに崩壊せんとす

生をこの国にうけし者
なんぞ 生命を惜しまん

愚劣なりし日本よ
優柔不断なる日本よ

汝 いかに愚かなりとも 
我ら この国の人たる以上
その防衛に 奮起せざるをえず

オプティミズム(楽観)をやめよ
眼をひらけ

日本の人々よ
日本は必ず負ける

そして我ら日本人は 
なんとしてもこの国に
新たなる生命を吹き込み 
新たなる再建の道を
切り開かなければならぬ

若きジェネレーション (世代)
君たちは
あまりにも苦しい運命と
闘わなければならない
だが 頑張ってくれ

盲目になって生きること
それほど正しいモラル(道徳)はない
死ではない
生なのだ
モラルのめざすものは

そして我らのごとく死を求むる者を
インモラリスト(不道徳)とは人は言わん。

<林尹夫 遺稿、文藝春秋09年1月号より引用>

尚、林尹夫氏は京都大学文学部西洋史科在学中に学徒出陣。
昭和20年7月28日、夜間索敵哨戒飛行中に敵の迎撃を受けて死亡。

2008年12月30日火曜日

年末、市況模様


12月に入った直後から年末年始からの世界情勢の変化を危惧する話が聞かれるようになった。時勢がらオバマ就任に合わせてのテロをイメージしていたが、まずは中東の古典的材料が復活した。ただ考えてみれば停戦協定が切れる期日を考慮すれば、今の閉塞感を打開する上でも再び中東が材料になる事は必然だったのかもしれない。

それにしても1日の攻撃としてはガザ地区の死者数はおびただしい。この死者の数だけで今後の展開をイメージすると空恐ろしいのも事実だ。だがその前に中東問題の基本をお浚いすると、まずパレスチナと一口にいってもガザはハマス、一方西岸地区はファタの勢力下である。過去10年はガザ地区が騒がしいく、最近はパレスチナ問題=ガザ地区と勘違いしている人が多いらしい。だがパレスチナの穏健中道はファタの下西岸地区でイスラエルと共存している。よって個人的判断基準はこの古典が70年代までのような世界の災いになってしまうかどうかは実はガザではなく、西岸地区の今後次第である。逆にいえば、戦闘が西岸地区まで波及しないかぎりこの問題は恐らくは誰かが意図している策略の範疇に収まる。そして相場もその連中の意図している方向に動くだろう。ただこれは危険なゲームの始まりである事は間違い。リスクは事態がそのコントロール下を逸脱していくことである。

そんな中で今の市場はホリデーシーズンと相まってまだトランス状態(薬の効果でぼうっとしている状態)である。この麻酔が覚めてまずどちらにブレるのか、今のところ明確なシグナルは出ていない。だがシナリオ通りだとすると世界情勢は悪化の様相になるだろう。下手をするとガザ(ハマス)からそのままイラン、更にはオバマ政権が一気にパキスタン/アフガニスタンの魔境地帯にまで巻き込まれるかもしれない。するとしばらくはドルと商品は下がり切らず、株はリ(イン)フレ期待からの援護射撃と企業と消費の悪材料が交錯する展開になるだろう。一方金利はFF(政策金利)の限界が近い以上は市場として主役になりにくいはずだ。せいぜい為替の受け皿程度の役割ではないか。

その今後の相場の主戦場となるべき為替市場が行き過ぎの反動で固定?に戻るような事態になれば、本当に金融機関によるマネーゲームの時代は一旦終わってしまうだろう。この市況の読者にとってはその時が実は本当の恐怖である・・。

2008年12月27日土曜日

年末特集<今日の視点>文系人材の欠乏

今オバマ次期大統領はハワイで休暇中である、その彼の見事な裸体(上半身)をいわゆるパパラッチが盗み撮りした。一方私自身はクリスマス休暇中に怠惰にもネットでTVドラマを探していた。そしてネットに掲載されたオバマの上半身を偶然見てしまった。ショックだった。私もそれなりに運動はしている。だが引き締まった彼の体は4歳年下の自分を蔑むに十分だった。

オバマは忙しい立場でも6キロのジョギングを欠かさないという。だが48歳にしてあのカッコよさは黒人というDNAを差し引いても、彼自身の努力の程が窺われる。実はオバマは幼少時代どちらかというと小太り気味だった。以前オバマ伝を書いた時、彼の母は小学生のオバマに出勤前の朝4時から3時間勉強をさせたという話を紹介したが、勉学同様今の彼の無駄のない体躯は恐らくその後の努力の賜物だろう。一方で永田町を牛耳る日本の政治家は赤坂界隈で身に纏った脂の量が貫録を現す時代がまだ続いている。

言うまでもなく日米は今歴史的苦境の真只中。経済の復活は政治家の英断の範疇にある。そんな中無論オバマはこちらでも特別な存在である。だから皆が期待している。一方の日本はこの局面にあってもこれまで同様の「脂的政局」を見せられているだけで新しい英雄による新しい国づくりの躍動には程遠い現状である。そしてこの差を考える上で幾つかの逸話を思いだした。それは幕末に咸臨丸で米国に渡った二人の英傑が初めて目の当たりにした米国について奇しくもその本質を突いた言葉を残した事だ。

勝海舟は日米のシステムの違いを端的に「我が国とは逆で、米国では上に立つ人はそれ相応に優秀である」との言葉を残し、また福沢諭吉は初代大統領ワシントンの子孫の行方を米国民が知らず、興味さえ持っていない事に米国躍進の本質を掴み取っているのである。即ち「政治家に本当の実力が備わっている事」そして「優れた政治家を選ぶ力が結果的に国家のシステムに存在する事」という現代に通じる二つの要素をこの二人は見抜いているのである。相場の世界にも通じるが、物事の本質を瞬時に掴み取る事と、改善を目指して一流を模倣する事は別の才能だと考える。この二人の英雄はまさに前者かもしれない。そして日本の戦後はこの二人のような資質が徐々に欠乏していった時代ではなかったか。

この疑問にスッキリとした意見を提供してくれたのが「国家の品格」の著者の藤原正彦氏だ。彼は最近雑誌の対談で面白い分析を披露した。戦後の名著の一つ、かの「きけ、わだつみの声」を紹介する過程で、彼は特攻で死んでいった学生には東大や慶応の高学歴者が多く、その遺書群の中に漢詩から西欧文学、また哲学やマルクス等の幅広い教養の跡を感じるというのである。そしてここからが藤原氏の分析だが、当時の特攻隊は文系学生が主体で理系の学生は即戦力として温存された為に戦後まで生き残った人が多く、それが日本の産業力復活の原動力になったとしていた。(文芸春秋より)なるほど。私の義理の父も戦後の日本の技術力を支えたエンジニアだが、以前に同様の話を聞いた覚えがある。だがこの話からも日本の文系学生のレベルの絶頂は実は戦前だったのではないかという疑念がよぎる。

そう言えば中曽根元総理は自身が徳富蘇峰で日本史の外郭を確立した事と、小泉元総理が司馬遼太郎の小説をよく持ち出した事を皮肉っていた。そして最近は麻生総理お気に入りの「ゴルゴ13」を読んで「麻生君は馬鹿だね」と雑誌で語っていた(週刊誌の新聞広告から)。この判断はやや老人の偏見の可能性も残しながら日本人として笑えない部分もある。

いずれにしても急速に景気が悪化した直後に日本政府が出した初案は総額2兆円のばら撒きだった。ただ米国からみるとこの策はこちらで殆ど効果がなかった春先の還付金の二番煎じにしか見えない。だとするとなぜ2兆円も出して効果がなかった還付金をマネをするのか。日本の技術はノーベル賞や昨日の宇宙ロケット技術の話題からも独自の力は維持されている様子。だがその技術力を活かすための総合力としての政治力、そしてその根幹となるべき文化(系)の力はいつのまにか偏差値上の案記力や米国のモノマネのスピードが尺度になってしまったと感じるのは私だけだろうか。

ところで金融の世界でも相場を理系の人に任せる事が流行りだして久しい。ただそれが100点満点の回答ではなかった事は既に証明された。やはり総合力では文系と理系の両方の資質が不可欠という事だろう。ただ一人の人間が二つの資質を身につけるのはやはり難しい。現実的には双方を兼ね備えた人を探し育てるより、マネジメント上は双方の人材を適度に整備する方が簡単である。ただこれまでの常識に反して日本の社会(実業)に欠乏しているのは実は文系の人材ではないだろうか。標準化された「文系」は溢れている中で本物の文系の人材が実はいない。そうだ。あの特攻で散っていった学生のような・・。そんな事を感じる年の瀬である。

2008年12月24日水曜日

<今日の視点> アメフト(力)

年末になり、こちらではアメリカンフットボールのシーズンも佳境を迎えている。昨日は摂氏-25度という極寒の中、伝統のシカゴベアーズ対グリーンベイパッカーズの試合が行われた。勿論6万人が入るソルジャースタジアムは満員である。中には裸になって盛り上げようする馬鹿な若者達もいた。

そもそも米国人のアメフトに対する熱狂は日本からでは絶対に解らない。ただこのエネルギーは凄いの一言だ。昨日あのスタジアムで一体どれだけの熱量(科学でいうところの)が生まれ、そして消費されただろうか。個人的にも過去幾度もシカゴベアースのゲームには誘われた。だがシカゴの寒さの中でゲームを見る気には一度もならなかった。そして今年は天候だけでなく皆の懐も極寒のはず、そんな中どのくらいの観客が入るか興味深かった。結果はTV画面に映し出された観客の数に圧倒された。

元々格式や常識を重んじ儒教に基本的価値を置く日本人は相撲や駅伝が好きだ。だが、天候も寒く、確実に懐も寒い今の米国人があれだけの熱量を生み出せるとしたら、それは「アメフト力」とでも呼ぶしかない。そしてこの「アメフト力」が持つ「無謀な力」は世界を支配しながらもどここかで政治や貧しさを感じさせる「サッカー力」とも異質である。強いて言うなら、私があの裸の若者達に感じたモノは、その昔甲板の米兵が突っ込んでくる神風特攻隊に感じた恐ろしさではないか。

そして「相撲力」や「駅伝力」からの常識で米国を分析する事はもしかしたら間違っているかもしれないと感じだ。なぜなら米国は指導者に「マジック力」があればこの「アメフト力」を最大に引き出す事が可能だからだ。そしてその熱量は測り知れない事が昨日の熱気が証明している。

いずれにしても、これまで私自身はアメフトに狂う米国人の無知と無謀さを覚めた感覚で観てきた。しかし実はこの熱量の創造力を本当は見習うべきかもしれない。

2008年12月23日火曜日

<今日の視点>マネーシャーマニズム

朝から面白い話だ。最近、水をえた魚の様にバーナンケ(中央銀行議長) の顔が活き活きしている。その理由は明らかである。まだ市場が市場の原理で動いていた時代、FED(中央銀行)は絶対的だったとはいえ、市場での1プレーヤーとして自己を抑制していた。従ってFEDがその絶対性を堅持するためには市場の動きに精通した人間、或いはそれが出来ると周りから信じられる人間がFEDを支配する事が不可欠だった。それが絶頂期のグリーンスパン前議長である。

その意味でバーナンケは市場のプレーヤーとしてのカリスマ性は前任者よりも最初から劣っていた。従って彼は就任以来どこかでその自信の無さを引きずり、その言動が激動の過程にあった市場の他の参加者による非難(捌け口)の対象になっていった。しかし時代は変わった。表面はともかく、一時的かもしれないが本質では市場の時代は終焉し、デフレ下の統制の時代が始まった。そうだ。彼の時代が始まったのである。だから世の苦境とは裏腹に水を得た魚のように彼は生き生きし始めたのであろう。

そしてデフレの専門家である彼はドルをばら撒きはじめた。ただここからが面白い話だ。朝のCNBCでは誰かがこの現実を皮肉り、それならいっその事米国民全てに10億円ずつ配ったらどうかというのである。真に本質を言い当てた話。そして計算したところ、3億の米国人に10億円ずつ配った場合、ドル換算で3「QUADRILLION」日本円にして「30京円」が必要になるという。(QUADRILLIONは1兆ドルの1000倍の位)

そう言えば以前視点では世界で蠢くデリバテイブの全額は1万円札を月まで積み重ねた金額でも追いつかないと表現した。38万キロの月までは3.8京円を積み重ねれば到達するが、記事を書いた9月の段階でデリバテイブ(派生金融商品)の総額は6京円に迫っていたのである。その時この「京の時代」の到来に興味をもった雑誌社から原稿執筆の依頼があった。そしてその記事は韓国の有力月刊誌にも転載されたとの連絡があった。一体これは何を意味するのか。

まず麻薬の重症患者が禁断の治療を諦め、痛みを止めるために更に麻薬を求めたとする。そしてその麻薬は単一機関の専売特許だった場合どうなるか。別の誰かがこの権利を共有しようとするか、或いは奪い取ろうとすると、歴史はその誰かを犯罪者にするか、または抹殺してきた。今のバーナンケはこのマネーシャーマニズムの崇拝の対象となった。夏までの批判が崇拝の対象に代わったのである。CNBCで自分の番組を持つジム クレーマーはその代表だ。そして英国や日本軍(関東軍)が中国や満州以南を支配した方法と同じ終末の麻薬政策、中央銀行によるマネーシャーマニズムを巷では量的緩和と呼ぶ。そしてその政策には新しい規模の金の位が必要になる。それが「京」や「QUADRILLION」である。

昔なら天文学の入口でみただけの「京」や「QUADRILLION」という位がマネーの世界では必要になり始めた事を世界も感じ始めた。ただ多くがそれをどう受け止めるべきかまだ分からない。「未来のインフレ」などと教科書的な話をしてみても代替価値としてのGOLDの値動きもいまいちだ。当然だろう。激痛に耐えかねてモルヒネ(麻薬)を打ち始めた体は最早覚醒しない。痛みの除去と引き換えにぼんやりとした感覚の中で生命体はその最後を迎えるだけだ。それを通常シャーマニズムでは「トランス状態」という。そうだ。今世界はトランス状態に入ったのだ。だが未来志向で言うなら、世界は一旦死に、今度は新しい体で再び生き返る過程に入ったとも言える。しかしその過程においても麻薬だけでは大した有効需要は生まれなかった事実も歴史は証明している。

今オバマ政権が真似始めたあのルーズベルトのニューデイール政策だけでは米国は復活しなかった。そう、マーシャルプランだ。そして、ヨーロッパの復興を舞台にした有効需要がマーシャルプランだったとするなら、新政権の黒幕は次はアジアを舞台にした新マーシャルプランを既に練りはじめている気配を感じるのは私だけだろうか。



2008年12月20日土曜日

<今日の視点>コロンブスの卵

20年前、中京圏で証券営業の仕事をしていた時の話だ。取り引き先の何人かの中堅企業の社長が同じ逸話を紹介してくれた。トヨタが無借金会社に変貌できたのは、その昔まだトヨタが資金繰りに苦労した時代、銀行に冷たくされた事がきっかけだったという。臥薪嘗胆、それ以降トヨタは銀行に頼らない会社経営を目指すことになった・・。

その意味では今起こっている金融危機からの困窮は変革へのチャンスでもある。ただ勿論全員が生き残れるわけではない。恐らくは早く自己否定を敢行した者。また早くコロンブスの卵(卵は潰してたてる)に気がついた者からその切符を手にする事になるだろう。しかし本日はそのトヨタでさえも71年ぶりに赤字になるかもしれないという話が米国の朝のニュースでも大々的に報道されていた。今はそういう時代だ。サバイバルの時代、中途半端な感覚(の人や会社)はいらないという事であろう。

2008年12月17日水曜日

<国家の焦点>プット/コール レシオ

今日のFOMC(中央銀行の金利操作)が何を意味しているかは言うまでもない。既に始まっているが、これからは痛んだ民間のバランスシート(資産)を一時的にせよ国家(FED)が引き受けるというメッセージである。

民間で発生したリスクを国家のバランスシートで引き受ける行為は、判断の失敗の責任を問われない場合、憂いを残しながらの新型社会主義政策である。そして米国はあくまでも国家とそのバランスシートを市場参加者の一人としてカウントする事で「市場原理の旗」は降ろさないという茶番を演じている。

まあそんな経済のイデオロギーなど本当はどうでもよい。どの時代も経済は政治判断の結果であり、イデオロギーなどは一種のトレンドであって絶対性などない。その時代の国民が幸せならいいのだ。その意味もあり「視点」ではフリードマンが亡くなった数年前から彼の原理が支柱となった市場原理は冷戦以降に流行ったトレンドにすぎず、米国でもケインズが主流だった時の方が長いと主張してきた。そう、これからはその主流に戻るのである。

そして官僚統治が続く日本では困難である事を承知で言うと、今こそ日本が米国に見習うべきはこの政治判断の迅速性である。考えてみるとこのブッシュ政権は小泉/竹中ラインに市場原理の徹底をあそこまで迫った政権である。ところが一旦システムが崩壊すると、そこからの転換は早かった。大統領選挙という変節もあり、国家が最大の利益を得るためにどう動くべきかの政治的判断は迅速だった。一方で属国の日本はあまりの米国の変節の速さについていけてない様子である。

ところで米国では「コロンブスの卵」の話は聞かない。だが今回の金融機危はFED(中央銀行)の機能を一気に拡大させた効果を持つ。これだけのFEDの権限の拡大は慣例やルールの枠組みが支配する平時ではなかなか進まなかっただろう。そうだ。今回の金融危機は実はFED機能拡大の為のショック療法に使われたのだ。そしてその発想の根源はあのコロンブスの卵である。

一方で悲観的な現象面の解説と常識にとらわれた中で改善策が見つからず無駄に時間が過ぎているが日本である。言い換えると日本は潰さないで卵を立てる方法をまだみんなで探っているような認識の甘さを感じさせる。いずれにしても重要な事はこの金融危機は経済問題ではなく政治判断の問題だとの認識である。しかし日本からのNEWSを見る限り、政治家は事態をまだ経済の問題と勘違いしているか、あるいは判っていても政治判断する責務から逃避している様に見える。

ところでそんな統治の立場としての日米の違いもさることながら、国民の価値観からの救済の本質の違いも大きい。昨日NHKでは派遣労働者の苦境をセーフティーネットの不備を説く議論で代弁していた。ただこの議論は全く無意味だ。なぜなら日本はシステムを完全に米国に同化したまま救済案の向かうベクトルが定まっていない状態である。その事例はプット/コールのオプションで簡単に説明できる。

まず「コール」とは、商品が値上がりした場合、その商品を実際には買っていなくとも値上がりした分を受け取れる権利である。一方「プット」とは、商品が値下がりした場合、その商品を売り損ねても値下がりした分を補填してもらえる権利である。そしてそのオプションとは、それぞれの権利を得るため保険と考えればよい。

そして米国はこれまでコールオプションの国だった。その代表が金融機関の報酬。ヘッジファンドも銀行のトレーダーも結果に応じて報酬が天井なしに延び、一方で結果に関係なくファンドは入口で2%の手数料を徴収し、また銀行のトレーダーも失敗しても給料から引かれる事はなかった。要するに成功した場合の報酬には上限がなく、失敗した時の損失は保険料の損失だけに限定されるコールオプションの原則がこの国の成長を支えたのだ。

一方日本人の本質は元々プットオプションを持つ事であった。この保険を持つ事で成功した時に浮かれ過ぎるより困った時の社会保障の確保を重視してきたのである。ところが日本のシステムは小泉/竹中コンビが推し進めたコールオプション型社会への変革が途中で止まり、今は静止状態である。このまま進むのか戻るのか。静止状態から転換ができていない。

これは相場と同じだ。間違えたと思うなら直ちに転換が必要。一方このまま進むならそれも良し。後は天運である。問題は脳死状態が長く続く事。米国はオバマ政権がコールオプション主義を変えるだろう。そしてそのスピードも速い。一方日本は現象面の悲観とその解説に留まっている。今のサバイバルの時代にぐずぐずしている暇はない。この時間の使い方に対する政治的決断力の欠如が日本の致命傷にならない事を心から願う。そうだ。今日本の政治に必要なのはあのパフォーマンス力だ。邪道だがここは小泉元総理にもう一度登場を願おう。そして彼は叫ぶ。「みんな、俺は間違えた。急いで引き返そう・・」と。


2008年12月16日火曜日

フリードマンからケインズ回帰、そしてマルクスへ

そう言えば数年前に出版されたプレストウィッツ氏の「東西逆転」では、苦境に落ちた米国が国境を接するカナダとメキシコ、更には太平洋を挟んだ日本を巻き込んで新しい経済同盟圏の枠組みを模索するシナリオがあった。先週、一部で言われたカナダがBIG3救済に協力するような話はこのプレストウィッツの政策を彷彿させる。 ところで、元々共和党政権は「カナダの資源」と「メキシコの労働力」と「日本の金」と「中国の市場」を必要としていた。4カ国は当然その事を承知していたはずだが、政権が民主党になった以上今後はまずは米国の出方を探らざるを得ない。そんな中では今日のWSJには米国債バブルの記事がある(米国債は実力以上に買われすぎ)。 これまでも米国債のバブルは言われてきた。だが実際にはここまで金利が低下した。そうだ。世界の逃避資金が米国債の他に行き場がなかったからだ。ただ世界各国は自国の政策においてケインズに回帰し始めた。結果金利水準が低すぎる米国債に投資する余裕がなくなってくるのは自明だろう。 いずれにしても、世界はフリードマンから再びケインズに戻ろうとしている。しかしそのケインズが働かないと、今度はいよいよマルクスが登場する番だろう。

2008年12月13日土曜日

折れた背骨

日本のニュースで世界経済は「複雑骨折」という表示があった。なる程、ただ世界経済が複雑骨折なら、実は米国はこれまで米国を支えてきた背骨が折れた状態である。今日はその話をしよう。まず。昨日自動車メーカー救済法案が上院でが不成立になった後、民主党上院を率いるリード氏は「明日の証券市場を考えると恐ろしい」と発言した。実はこの発言は背骨が折れた今の米国の本質をを表している。

その発言は正しい。そしてリード氏の議員として国家を憂う発言には違和感を覚えない。しかし昔の米国なら順番が違ったはずだ。順番とは本来市場は経済や国家運営の結果を表す場である以上、その上下運動は当然であり、たとえ下落してもそれで新陳代謝を促進する事が市場の機能だった。しかし民主主義=多数決の原則の中で過半数が市場の負け組になると、そのプリンシパル(背骨、原理、原則)に従順な共和党は今や変人使いされ、非難の対象である。

そしてその金融に支配された米国でこれまで名門と思われてきたファンドで5兆円規模の詐欺事件が起きた。NASDAQの会長まで勤めたマードフ氏が率いたファンドは5兆のうち1.7兆円は紛失状態。マードフ氏はファンドが元々不可能な利回りを提示し、そして運用の損は新たな投資家の資金で穴埋めする事を何十年に渡り続けてきたという。

これほどの規模のファンドでいかに情報開示とその精査がいい加減だったか。このファンドは1960年に設立されたファンドで既に認知度が高かった事が逆に盲点となったのだろう。いずれにしても「これは氷山の一角にすぎない」とあのデニスガートマン氏は言うが、この状況からは益々ファンドビジネスからは資金が流出、結果としての株式市場のダメージは大きいだろう。個人的にはGMの破産よりこの事件の方が来年に向けての悪材料である。

このような話は米国がマネーという魔物によって建国以来のプリンシパル(背骨)を失った事を象徴する。そして一見正しいようで実は場当たり的になってしまった民主党の政策を代弁するリード上院院内総務の発言は背骨が折れた外今の米国そのものを象徴している。




2008年12月12日金曜日

<今日の視点>ゾンビ国家

メリルリンチ証券の看板アナリストのが朝からCNBCで妙な事を言っている。論理は正しい。だが、米国が日本の不況の後追いをしている可能性をお恐れる出演者に対して、彼は「日本程ではないが米国のバブル崩壊も日本と同じ・・・」だから我慢が必要と言っていた。

メリルを代表する彼の「米国のバブルが日本程ではない・・・」という表現を聴いては笑うしかない。全く逆だ。だからメリルは最早単独で存在していないのだ。また同席の別のファンドマネージャーは、日本は倒産すべき金融機関を存続させたとして当時の日本の銀行をゾンビ銀行と呼んでいる。この発言に対しても笑うしかない。なぜなら今の米国はゾンビ国家以外の何物でもない。

そしてそのゾンビ国家米国では、ゾンビ化政策に対する期待が驚く程だ。それは皮肉にも昨日発表されたオバマへの支持率が全てにおいて7割近い事でも証明されている。そう言えばゾンビ映画のパターンはどれも同じだ。増殖するゾンビ群から逃げ惑う人間。まともな人間が一人また一人とゾンビ化する恐怖をゾンビ映画は追っている。

私も米国できちんと借金を払いまじめに生きようとすると、最近はゾンビ映画と同じ恐怖を感じる。そしてオバマに熱狂するゾンビ化した米国人は自分が既にゾンビである事を知らないし、また認めてもいない。これでは早く自分もゾンビなった方がいいかもしれない・・。

2008年12月11日木曜日

栄光の(Big)3から、お荷物(Burden)3へ

嘗て米国が物づくりをしていた時代、GM フォード クライスラーの自動車メーカーは米国の繁栄の象徴だった。そして人々はこの3社を尊敬の念をこめてBig3と呼んだ。しかし時代は変わった。英語で「お荷物」や「負担」の事をBurdenという。今の米国にとってBig3はBurden3となった。

そんな「お荷物」を共和党保守派は絶対に救いたくない様子である。オバマも承認し、ブッシュ政権も成立止む無しと妥協したBIG3救済法案をこの期に及んでまでその凍結を目論んでいる。当然だ。彼らはプリンシパルの男達だ。たとえBIG3 が過去の英雄でも、市場として役割が終われば消え去るべし、常に新陳代謝の中に米国の発展があると信じている。そして先の金融法案では下院の共和党保守派が救済法案成立阻止で意地を見せた。そして今回、この自動車救済法案では今度は上院の共和党保守派が成立を阻止するために頑張っている。

ところで上院は下院にない特権がある。それは最終的な法案採決は議員の多数決によるが、上院は質疑にかける時間に制限がない。よって下院では議長のナンシーペローシがその裁量で強引に採決に持ち込む事ができるが、上院では議員全員に所謂「牛歩」に持ち込む特権がある。

牛歩を阻止するためには100人の上院で60人の合意が必要となる。ただそれは先の選挙で民主党が圧勝した来年の上院でも一人かける状態。よってBIG3救済法案はいずれは成立するとしても、今上院で牛歩が起これば成立が大幅に遅れる可能性が出てきた。GMは来年の話をする余裕はない。今月の資金繰りが苦しいのだ。この共和党の抵抗によって場合によっては目先の資金に苦しいGMは倒産の可能性が出てきた。

さて以前より米国はデフレは誰も助からないが、インフレは誰かが儲かると言ってきた。今はインフレが何よりも恋しい。そのためには春先に150ドルまで暴騰した原油先物に様々な規制をかけて強引に壊した時の逆をすればよい。元々も原油先物市場は小さい。そしてその原油先物を最後まで抱えてしまったヘッジファンドの多くは10月にギブアップした。よって今原油先物に売りを出す邪魔者はいない。

そう、春とは真逆の政策をすればよい。多少のガソリン高は犠牲だ。最早庶民の消費力はガソリンが下がっても回復しない。それより原油先物等の商品をもう一度復活させ、それに株を連動させた方が資産価格の戻しは早い。今米国の株式が戻り始めたには実はその連動が始まったからである。その意味ではBIG3の救済は関係ない。その点では新陳代謝が既に始まっていると言える。

2008年12月10日水曜日

強面から宦官へ

今年は何かとシカゴが注目されていると感じていた。今は過ぎ去ったとはいえあの商品市場ブームからオバマフィーバーまで、確かにシカゴには追い風が吹いていた。そして昨日、シカゴは予想通りCITY OF THE YEAR(今年最も注目された都市)に選ばれた。

選出理由にはシカゴで撮影されて大ヒットした映画のバットマンの影響もあるという。そしてデイリー市長はこの勢いをオリンピック誘致までつなげたいはずだ。しかし本日はシカゴ抱えるイリノイ州でとんでもない事件が起きてしまった。なんとオバマが抜けた後の上院の議席を埋める人選の権限を憲法で一任されているイリノイ州知事が権限を乱用、裏で議席を競売にかけるという前代未聞の行為で逮捕されてしまったのである。

そもそもイリノイ州知事が逮捕されるのは前任者に続いてである。それどころかこの州では現職を含めて過去5人の州知事のうち3人が汚職で逮捕されたという。これだけ聞くと、さすが暗黒の時代にあのカポネを擁して汚職の街の汚名を維持しただけの事はある。ではそんなイリノイの今はどんな州なのか。

実は今のイリノイ州は民主党色の大都市シカゴを中西部特有の保守色が残る郊外の白人層が包み込む2色性を持っている。この点が郊外も比較的リベラル色が強いNYやLAとは異なる。よってここでは長らく民主党のシカゴ市長と共和党の州知事が仲良くバランスをとってきた。ところがそれが前回の州知事選挙から知事までも民主党になっていたのである。

そしてオバマ政権にはこのシカゴとイリノイ出身者(勿論大半が民主党員)が大勢名を連ねる。有名どころではヒラリー国務長官とマニュエル首席補佐官だが、それ以外にもオバマは側近をシカゴ人脈で固めている。率直に言って、オバマ政権は皆が期待する程のクリーンな政権になるだろうか。

そもそも政治にクリーンなどを期待してはいけないが、軍事産業を中心に権勢を誇った共和党のロビーイストが次々に失業する中で、今ワシントンのロビイスト専門派遣会社は民主党の有力者確保にやっきになっているという(NYTIMESより)。そういえば中国では豪傑が国を造り変えてもやがては内部崩壊を起こし、末期は宦官に支配された歴史が繰り返された。そんな中、強面の共和党の人脈に対して、民主党人脈にはどこかで宦官のような陰を感じるのは私だけだろうか。

そのあたりは次政権の鍵を握るであろうマニュエル首席補佐官の考察で触れたいが、それとは別に今日の知事逮捕に前後してのシカゴトリビューンの倒産はシカゴの凋落の予兆ではないか。いや、もしかしたらレギュラーシーズンを圧勝したカブスがプレーオフでずっこけた辺りから実はシカゴのピークも過ぎていたのかもしれない。だがここは一つオバマに期待したい。東京には申し訳ないが、オリンピックはシカゴであって欲しい。なぜならロンドンの後で東京になるパターンは歴史的にあまりにも不吉である。

2008年12月5日金曜日

FED(中央銀行)の絶対性再臨

BIG3の公聴会が始まった。GMのワゴナー会長はデトロイトからワシントンまで恐らく10時間以上ドライブした旅の疲れで顔には焦燥感が漂っている。彼の疲れきった顔を初めて見た。これまで彼は困窮の際も頼んでいるといるよりも要求しているといった、こちらのMBA経営者の特徴を備えていた。しかし今は憐れみが必要だ。また労働組合を代表したゲトルシャフトUAW会長は、「CITIを初め金融機関には白紙手形を渡した貴方達(議員)が我々BIG3 を救わないのは道理が通らない」とはっきり主張していた。そしてそれを応援する新聞広告。そこには「私たちは金満家の金融機関ではない」と意見広告がついた労働者たちの浅黒い顔写真があった。

いずれにしても国民のレベルが昔より脆弱になった今、米国議会の役割はその国民が納得する劇を演出することである。それで国民の過半数が満足すればそれでよし。そんなカオス(混沌)の真っ最中実体経済のかじ取りはカオスを引き起こした主犯の一人である中央銀行の手中にある。そしてその中央銀行は救済の番人として今は絶対的な権威を取り戻している。要するにこれが共和党保守派のロンポールなどが主張してきた愚かな民衆を手玉に足る「世紀の詐欺者、中央銀行」の面目躍如であろう。

それにしても今の米国からは嘗ての米国の時代が終わった事を実感する。その理由はFED(中央銀行)の軍門に下った今の米国社会から窺える。「中央銀行の軍門に下る」という言い方をすると普通の日本人は違和感を覚えるだろう。なぜなら日本では日銀は明治維新以来国家の中枢機関であったからだ。だが米国史では違った。

米国は建国して10年足らずでNYに株式市場を作った。しかし現在のFED(米国中央銀行)ができたのは1913年、明治維新直後の1882に設立された日銀よりも時代が新しいのである。そしてそれは偶然ではない。そもそもベンジャミンフランクリン等の「建国の父」達は米国が独立した当時に欧州を支配していた金融カルテル(例えばロスチャイルド等)の影響を嫌った。そして新大陸の米国では中央銀行は設立せずにドル紙幣の発行は国家、即ち財務省が管轄したのである。

この建国の精神が米国の直接金融の発展を支えた。だが皮肉な事にその証券化商品はサブプライムというモンスターまで産み出してしまった。そして今、混乱の中で米国の救済政策の舵取りは完全にFEDの手中に落ちた。これは米国建国の精神の崩壊に他ならなず、ここが私が米国社会がFED(中央銀行)の軍門に下ったと表現した背景である。

いずれにしても米国自動車業界の救済にもFEDは中心的な役割を発揮するだろう。そして救済の連鎖はますますFEDの支配を加速する。今のバーナンケ議長が黒幕とは言わないが、FEDによる米国支配は私たちが知っている古き良き米国の時代の終焉である事は間違いないだろう。

2008年12月4日木曜日

ミシガンからワシントンへの旅

先月GM,フォードなどBIG3の経営者達は税金による救済を求めて自家用ジェット機でワシントンに乗り付けた。そしてそこで議員に提示された改善案があまりにも生温い事て議会の顰蹙をかい、結局は救済の確約をもらえないまま帰った。そこで今回はGMのワゴナー会長は来年の給料を返上することを表明し、フォードの社長は本社があるミシガン州から自社のハイブリット車でワシントンに向かっているという。おそらく12時間はかかるだろう。まるで喜劇の様な話である。

最早BIG3の救済は誰も疑わない。だが赤字続きでもGMのワゴナー会長はここ数年の年収は5億円は下らなかったはず。そういえばかつて山一證券が倒産した時、泣いてしまった社長を多くの人は馬鹿にした。しかし有名大学の大学院で経営学を学んだ米国の大企業の経営者達、彼らは人間としてのモラルを学んでは来なかったのだろう。日本はこんな国の経営学を模倣していていいのだろうか。

さて株を見る限り救済に対する株式の反応はCITI以降確実に変化した。なぜならGSEとAIGまでは株主責任がとわれたが、CITI救済からはそれさえもなくなった。よってBIG3の救済にも株は警戒していない。それが今日の相場の特徴である。米国がBAILOUT(救済)のための資金調達をつづけられる限りは株は不安定ながらも底割れは回避される状態が続くという事だろう。

2008年12月2日火曜日

<国家の焦点>ソマリハは語る。

先日のNHKの「その時歴史が動いた」で幕末の激動の60日の特集をやっていた。偶然にも先週の今日の視点で西郷隆盛を引き合いに出した事もあり興味深く見た。そこで今日の題材にしたいのは「大政奉還から王政復古」までのドラマである。その前に徳川幕府は264年続き、米国は建国以来今年で230年が経過した事を触れておく。無論関連はない。だが徳川幕府も米国も誰かに打ち負かされた訳でなく、その終局は寿命からの改革のうねり、即ち「チェンジ」が主役だった事が共通しているとみている。

そして米国の建国からの年表を徳川の年表に入れ込むと、今年の米国は福沢諭吉が生まれた天保5年あたりである。従って本当の変化はまだ先かもしれないが、大政奉還から王政復古の間に興味深い事があった。それは人材不足の露呈である。薩長を中心に倒幕は完了したものの(大政奉還)、西欧列強が植民地の利権を窺う国難に際し、徳川に代わり政権を担う人材は天皇の周りは皆無だった。よって天皇が薩長に並ぶ勢力の土佐などの有力大名に呼び掛け、新体制に向けての御前会議を開いた。ところがその会議には薩長以外には殆ど集まらなかったという。そして土佐藩も新政権が徳川抜きで発足する事には、徳川に対する義理とまた260年徳川が仕切ってきた実力を考慮して反対だったという。(NHKから)

其れは竜馬も同じだったが現代の日本人の感覚からもこの土佐藩の考えは至極もっともではないか。しかし西郷隆盛は違った。彼は天寿が尽きた徳川ではこの国難を乗り切れないと確信していた。そして彼は自然のサイクルの中から次の新しい力が生まれ、その構図の中では己の自身も去る(死ぬる)時が来るとの原則を守っていた。即ち、それが本当の変化だという事を彼は貫いたのである。人材不足の危機の中、当時の日本に西郷がいた事は本当にラッキーだったと思う。それはチェンジを叫んだオバマの新政権が、現実の困窮に対応するという理由で実際は第三次クリントン政権になってしまったの陣容をみると尚更である。この陣容は徳川慶喜が明治新政権の総理大臣に座った姿を想像するとよい。機能したかどうかはこれからの米国が教えてくれるだろう。

さて、米国一国支配がもたらした悲劇はその一国支配の事実上の限界の露呈と同時に何を語るのだろうか。私はにはソマリアの海賊は世界の混沌の予兆にしか見えない。そもそもソマリアは冷戦時代はまだまともな国だった。それがソ連崩壊の煽りで内乱になり、飢饉が重なるとアフリカで最悪の無政府地帯になってしまった。そして冷戦が終わり、余裕の生まれたはずの国連は貧弱なパキスタン軍でゲリラに対処しようとしたが全く役に立たなかった。そこで遂に人類史上初の単独超大国になったばかりの米国が乗り出した。しかしその米国はクリントン政権に代わったばかり。そしてあの「ブラックホークダウン」で衝撃を受けると単独超大国の責務を投げ出しソマリアを見捨てたのである。

個人的にはこの決断は親父ブッシュが再選されていれば違ったと考える。いずれにしてもベトナムを回避した連中で組閣されたクリントン軟弱政権は以後単独超大国米国の影響力を金融市場を中心にシフトし、高成長を達成した。そしてその反動からブッシュ政権が生まれ、またその反動で今度はオバマ政権が誕生した。しかし、今の米国は再び自身の責任を投げ出したかのようだ。ただ今回は判断ミスではない。徳川政権の末期と同じく天命が来たのだ。そして米国を中心とする金融市場はかつての原則(プリンシパル)が消え去り、痛みを無くする事が正しい政策であるが如くである。そして周りの世界も全く代替案を出せない。ただ米国の行動は自らが導いた市場原理を率先して見捨てているに他ならず、その顛末は近い将来金融市場にうごめく海賊が支配する無法地帯として世界は知る事になるだろう。その時日本は既に餌食になっている予感がする。