2008年12月2日火曜日

<国家の焦点>ソマリハは語る。

先日のNHKの「その時歴史が動いた」で幕末の激動の60日の特集をやっていた。偶然にも先週の今日の視点で西郷隆盛を引き合いに出した事もあり興味深く見た。そこで今日の題材にしたいのは「大政奉還から王政復古」までのドラマである。その前に徳川幕府は264年続き、米国は建国以来今年で230年が経過した事を触れておく。無論関連はない。だが徳川幕府も米国も誰かに打ち負かされた訳でなく、その終局は寿命からの改革のうねり、即ち「チェンジ」が主役だった事が共通しているとみている。

そして米国の建国からの年表を徳川の年表に入れ込むと、今年の米国は福沢諭吉が生まれた天保5年あたりである。従って本当の変化はまだ先かもしれないが、大政奉還から王政復古の間に興味深い事があった。それは人材不足の露呈である。薩長を中心に倒幕は完了したものの(大政奉還)、西欧列強が植民地の利権を窺う国難に際し、徳川に代わり政権を担う人材は天皇の周りは皆無だった。よって天皇が薩長に並ぶ勢力の土佐などの有力大名に呼び掛け、新体制に向けての御前会議を開いた。ところがその会議には薩長以外には殆ど集まらなかったという。そして土佐藩も新政権が徳川抜きで発足する事には、徳川に対する義理とまた260年徳川が仕切ってきた実力を考慮して反対だったという。(NHKから)

其れは竜馬も同じだったが現代の日本人の感覚からもこの土佐藩の考えは至極もっともではないか。しかし西郷隆盛は違った。彼は天寿が尽きた徳川ではこの国難を乗り切れないと確信していた。そして彼は自然のサイクルの中から次の新しい力が生まれ、その構図の中では己の自身も去る(死ぬる)時が来るとの原則を守っていた。即ち、それが本当の変化だという事を彼は貫いたのである。人材不足の危機の中、当時の日本に西郷がいた事は本当にラッキーだったと思う。それはチェンジを叫んだオバマの新政権が、現実の困窮に対応するという理由で実際は第三次クリントン政権になってしまったの陣容をみると尚更である。この陣容は徳川慶喜が明治新政権の総理大臣に座った姿を想像するとよい。機能したかどうかはこれからの米国が教えてくれるだろう。

さて、米国一国支配がもたらした悲劇はその一国支配の事実上の限界の露呈と同時に何を語るのだろうか。私はにはソマリアの海賊は世界の混沌の予兆にしか見えない。そもそもソマリアは冷戦時代はまだまともな国だった。それがソ連崩壊の煽りで内乱になり、飢饉が重なるとアフリカで最悪の無政府地帯になってしまった。そして冷戦が終わり、余裕の生まれたはずの国連は貧弱なパキスタン軍でゲリラに対処しようとしたが全く役に立たなかった。そこで遂に人類史上初の単独超大国になったばかりの米国が乗り出した。しかしその米国はクリントン政権に代わったばかり。そしてあの「ブラックホークダウン」で衝撃を受けると単独超大国の責務を投げ出しソマリアを見捨てたのである。

個人的にはこの決断は親父ブッシュが再選されていれば違ったと考える。いずれにしてもベトナムを回避した連中で組閣されたクリントン軟弱政権は以後単独超大国米国の影響力を金融市場を中心にシフトし、高成長を達成した。そしてその反動からブッシュ政権が生まれ、またその反動で今度はオバマ政権が誕生した。しかし、今の米国は再び自身の責任を投げ出したかのようだ。ただ今回は判断ミスではない。徳川政権の末期と同じく天命が来たのだ。そして米国を中心とする金融市場はかつての原則(プリンシパル)が消え去り、痛みを無くする事が正しい政策であるが如くである。そして周りの世界も全く代替案を出せない。ただ米国の行動は自らが導いた市場原理を率先して見捨てているに他ならず、その顛末は近い将来金融市場にうごめく海賊が支配する無法地帯として世界は知る事になるだろう。その時日本は既に餌食になっている予感がする。

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