2008年12月5日金曜日

FED(中央銀行)の絶対性再臨

BIG3の公聴会が始まった。GMのワゴナー会長はデトロイトからワシントンまで恐らく10時間以上ドライブした旅の疲れで顔には焦燥感が漂っている。彼の疲れきった顔を初めて見た。これまで彼は困窮の際も頼んでいるといるよりも要求しているといった、こちらのMBA経営者の特徴を備えていた。しかし今は憐れみが必要だ。また労働組合を代表したゲトルシャフトUAW会長は、「CITIを初め金融機関には白紙手形を渡した貴方達(議員)が我々BIG3 を救わないのは道理が通らない」とはっきり主張していた。そしてそれを応援する新聞広告。そこには「私たちは金満家の金融機関ではない」と意見広告がついた労働者たちの浅黒い顔写真があった。

いずれにしても国民のレベルが昔より脆弱になった今、米国議会の役割はその国民が納得する劇を演出することである。それで国民の過半数が満足すればそれでよし。そんなカオス(混沌)の真っ最中実体経済のかじ取りはカオスを引き起こした主犯の一人である中央銀行の手中にある。そしてその中央銀行は救済の番人として今は絶対的な権威を取り戻している。要するにこれが共和党保守派のロンポールなどが主張してきた愚かな民衆を手玉に足る「世紀の詐欺者、中央銀行」の面目躍如であろう。

それにしても今の米国からは嘗ての米国の時代が終わった事を実感する。その理由はFED(中央銀行)の軍門に下った今の米国社会から窺える。「中央銀行の軍門に下る」という言い方をすると普通の日本人は違和感を覚えるだろう。なぜなら日本では日銀は明治維新以来国家の中枢機関であったからだ。だが米国史では違った。

米国は建国して10年足らずでNYに株式市場を作った。しかし現在のFED(米国中央銀行)ができたのは1913年、明治維新直後の1882に設立された日銀よりも時代が新しいのである。そしてそれは偶然ではない。そもそもベンジャミンフランクリン等の「建国の父」達は米国が独立した当時に欧州を支配していた金融カルテル(例えばロスチャイルド等)の影響を嫌った。そして新大陸の米国では中央銀行は設立せずにドル紙幣の発行は国家、即ち財務省が管轄したのである。

この建国の精神が米国の直接金融の発展を支えた。だが皮肉な事にその証券化商品はサブプライムというモンスターまで産み出してしまった。そして今、混乱の中で米国の救済政策の舵取りは完全にFEDの手中に落ちた。これは米国建国の精神の崩壊に他ならなず、ここが私が米国社会がFED(中央銀行)の軍門に下ったと表現した背景である。

いずれにしても米国自動車業界の救済にもFEDは中心的な役割を発揮するだろう。そして救済の連鎖はますますFEDの支配を加速する。今のバーナンケ議長が黒幕とは言わないが、FEDによる米国支配は私たちが知っている古き良き米国の時代の終焉である事は間違いないだろう。

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