2009年11月30日月曜日

覚醒はまだか。

円高が進み株が下がって困るなら日本のやるべき事は一つ。日銀はFEDを真似バランスシートを3倍にすればよい。そして円を増刷する。FEDがそのバランスシートを一年で3倍弱にしたので、現在120兆の日銀のバランスシートも3倍の360兆円程度したらどうか。ただここからは真っ先に大手金融機関を救った米国とは一線を画し、政府の指示で日銀は国民一人当たりに均等に紙幣をばらまく。日銀がそんな事は出来ないというなら大株主の政府が株を買い増して強引に命令するか、或いは昨年捕まった高橋洋一氏などが提唱した政府紙幣を発行すればよい。

金融危機以後の欧米ではケインジアンがフリードマン主義を唱える無節操が常識。そんな中で仮に日本が国民全員に一律給付金を出してもそれは他国からとやかく言われる事ではない。また今はインフレを怖がる必要はなく、何よりも「ばら撒き」が悪いと言う発想は世界が金融の規律を守っていた時の話であり、そんな概念に日本だけが固執するのは「敵」の思う壺である。そして実現すれば国民一人あたり約250万の給付金、5人家族なら1250万となる。この金額ならば家族を大きくするという民族の義務を日本人が思い出す事にも一役かうだろう。

結果円は大暴落。長期金利も急騰する。だがここで金利の急騰を怖がっては話にならない。そして給付金の全額は消費には回らないかもしれないが、生み出されたこの流動性はやがては株にも流れる可能性が出る。そもそも今は世界の流動性はヘッジファンドの理論で動いている。だが嘗ての日本市場は日本のルールで動いていた。しかし冷戦後のグローバル化と重なった日本の低迷期、日本はキャリーを通して資金の出し手に徹した。そしていつのまにか自国の市場をヘッジファンドのルールに仕切られてしまった。またそれが正しいとする時代が最近まで続いた。だがここに至り、自国のルール、文化を守りながらも米国から妥協を引き出すまでなった中国を見て日本政府が何も感じないのは国民に対して無責任である。

米国は今苦しい。だからいきなり見放すの得策ではなく義理にも欠く。また米国の意に沿わない政策はトヨタなどへの仕打ちが示す通り、別のやり方で米国から反撃があるだろう。だが最低限日本が長い眠りから覚醒した事を米国に判らせるのは必要だ。或いはまだ日本は覚醒するつもりはないのだろうか・・。

ところで覚醒は一方でモラトリアムの心地よさからの脱却を意味する。その上で民主党政権になり国家戦略なるものが言われ始めたが、日本は独自に戦略を考える事から離れて長い時間が立ち過ぎた。よって戦略の中身を考える前にそもそも戦略とは何かを思い出す事から始めなければならない。そんな中で先の仕分け作業では役人案を吟味する議員の専門知識の低さが露呈された。その点米国は2年毎の改選で専門知識は乏しくとも流動的な民意を反映するポピュリズムを是とする下院と、6年の任期中に専門性を高めた100人の上院(元老)が地元の利益だけでなく国益の観点で法案に臨みバランスを取る。だが仕分け作業を見る限り圧倒的与党の民主党議員の知識が官僚政治に代わるだけの実力があるかどうか疑問を投げかける。

そして国家戦略室を立ち上げるからにはどんな戦略にもリスクがある事を国民に納得させる事が最大のポイントである。戦略には必ず失敗のリスクがある。また時には民意に反する事も承知しなければならない。その上で情報をどう開示するか、或いは民意と相反する戦略をどう国民にメッセージとして伝えるか。その最大の難儀を回避しては戦略室は有名無実化する。

いずれにしても米国の衰退が始まった以上、何もしないリスクが戦略の結果としてのリスクよりも大きい可能性がある事をまず国民に知らしめることが鳩山政権の最大の使命だ。そこで提言だが、戦略室とやらには戦後の護送船団方式を支えたエリート層とは別の血も入れるべき。米国流の先駆者でもないバランス感覚。そんな人はリスク&リターンを実戦してきた今元気な中小企業の経営者の中に必ずいるはずである・・。


2009年11月27日金曜日

どこよりも早い予想

日本ではオバマ訪日の余韻がまだ残っているかもしれないが、敢えて今回はどこよりも早い予想を出す。ソレは2012年の大統領選挙だ。まずこちらではマヤ文明の予言とされる2012年地球壊滅説に絡んだ「2012」が公開中。この話が現実になるなら何も心配はいらないが、そうでない限り今日の金融市場の話題の一つでもある米銀が水面下で抱える不良資産7兆ドルのロールオーバー(借り換え)が2012年にあるなど、景気の回復が大命題の中で2012年は大きな試練になりそうである。そしてその年の大統領選挙に勝利しているのは誰か。現状からはオバマが再選される確率は30%。そしてオバマではない時、その時は共和党のジョンスーン(JOHN THUNE)が新大統領になっていると予想する。

彼はサウスダコタ出身の上院議員一年生。そこは上院を一期途中まで務めたオバマと同じ。瘦身でカリズマ性があり、オバマと同じ歳である。現在共和党が少数野党のため、新人の彼が重要案件へのコメントでマスコミに登場する機会は少ない。だが、保険法案では上院での共和党の取り纏め役に抜擢され、米国のプリンシパル(原理原則)に沿った意見を堂々と述べていた。そして彼は上院の前に下院を3期務めた実績があり、上院選初挑戦は惜敗したものの、2004年は現職の上院院内総務(野党のリーダー)のトムダッシェルを破るという快挙を成し遂げた。米国議会史上、現職の院内総務が新人に敗れたのは58年ぶりで、この時点で彼は将来の共和党のエースと目されていた。だがあまりにもオバマの人気が高かった為これまで話題にならなかったのである。

そして共和党は先の知事選連勝から2012年の大統領選には追い風が吹くと確信している。だがまだ戦略は決まっていない。そんな中あのぺイリンとバックマン(ミネソタ下院議員)という2人の女性が今は張り切っている。ただ女性だけで勝てるとは誰も思っておらず、特にぺイリンはあて馬の可能性さえある。いずれにしてもこのまま今の共和党の優勢が本物となるなら彼は立つだろう。その場合ともにカリスマ性があるオバマとスーンの一騎打ちは面白い。そしてその時のテーマは協調主義VSプリンスパル。 だが結局決め手はキッチン&シンク、あるいはブレッド&バターと言わるれる大衆心理。そして冒頭に挙げた経済の難題の山と未知の大津波からは現職がどうしても不利になる。よって私の予想はジョンスーンの勝ちである・・。

断わっておくがこれは個人的な予想。別に信じる必要は無い。ただ2004年にまだ日本人の殆どが知らなかったオバマを将来の大統領として、場合によっては次の大統領として「視点」で紹介した事を覚えている方は同じ程度に考えておくのが良いだろう。正直2008年にオバマ大統領が実現した事には驚いたが、ジョンスーンが2012年に勝つイメージはその時よりも強い・・。




2009年11月25日水曜日

一日一生 (素朴な喜び)

米国ではお金を持っている人は当然として、持っていない人さえもお金を使わないと罪悪感を感じるホリデイシーズンがいよいよ始まる。その起点がサンクスギビング(感謝祭)。このサンクスギビングは日本で言うなら正月だ。大昔、明日はどうなるか判らない厳しい環境の中、新年を迎た喜びを感じたのが正月なら、クリスマスとは違って「今年も生きる事が出来た」という「素朴な喜び」に感謝する時代がこの米国にもあった事を思い出させるのが本来のサンクスギビングの意義である。

さて、私事ながら昨年まであるご家族のサンクスギビングの七面鳥ディナーに毎年招待された。ご主人とは同世代。子供も同じ学年と言う事もあり、ここ数年はご好意に甘えた。そのご主人は元々北陸のお寺の生まれだ。仏教系の高校に通い大学は関西のミッション系大学へ進学した。その後米国の大学に留学。そこで米国育ちの帰国子女である奥さんと知り合ったらしい。そんな彼と初めて会ったのは94年、シカゴにある財閥系企業の親睦会だった。グループ末端の証券のシカゴ支店の駐在員だった私と財閥の中枢の銀行の現地社員として活躍していた彼、我々は親睦のゴルフ大会で同じ組となった。

その後彼は別の金融会社に転職。話題の豊富さと天性の人当たりの良さでそこでも活躍した。その一方で仏事に拘るシカゴの日本人社会からの依頼で法要などでお経を唱えていた。その後NY転勤に伴い疎遠になったが、シカゴに戻る頃、今度は彼がNYに転勤となり、情報交換を通して付き合いが復活した。そしてNYとは違い、シカゴの日本人社会には仏事の需要が高い事に気付いた彼は9/11のテロを機に再びシカゴに金融の仕事を見つけて戻った。それからは毎年サンクスギビングに招かれた。

考えてみれば彼の人生は興味深い。日蓮宗の名跡の跡継ぎでありながら大学はミッション系だ。渡米し、異国で金融マンとして活躍する傍らお経を唱える副業でも成功した。そして多彩な才能に加え美食家でもあった。そんな彼とはいつも食材の話で盛り上がりながら彼が実家を継ぐための本山での修行に一旦はチャンレンジしたものの、事情があって途中で諦めた話をしてくれた事を思い出した。

ところで、そんな中日本のニュースで英国人女性死体遺棄事件の市原容疑者が遂に弁当を食べたと聞いた。彼が何のために何日断食したかはしらないが、悟りを開くための究極の断食は、何と言っても比叡山延暦寺の修行「千日回峰行」の途中にある「堂入り」だろう。「千日回峰行」は有名なので詳細は省くが、地球一周に等しい4万キロの距離を1000日で踏破する修行(継続ではない)の700日目から始まる「堂入り」の苦痛は想像不可能。9日間 断食 断水 不眠 不臥で不動明王の真言を10万回唱える。そしてこの「堂入り」を完了し、残り300日を終えると大阿闍梨(だいあじゃり)の称号となるが、途中で諦めるとその場で自害する事が決まりというこの修行の成功者は延暦寺の記録では47人との事である。

そして日本人でありながらサンクスギビングを共有する恵まれた時代に生きる自分にとっての幸運は、この「千日回峰行」を2度達成した酒井雄哉師がまだ健在である事。恐らく殆どの現代人は師の真似は出来ない。だが代わりに我々はこの「生き仏」から教わる事ができる。師の本を読む事もできるしNHKのアーカイブで師の「千日回峰行」のドキュメンタリーも観れる。そして師がNHKのインタビューや著書で語っているのが「一日一生」の言葉だ。これは一日を一生として生き、人生はその積み重ねであるという意味らしい。ならばこの言葉が含む「素朴な喜び」はサンクスギビングの語源となる過酷な時代を生きた初期の米国人が共有した「心の豊かさ」と同じではないか。

最後に毎年招待されたサンクスギビングの食事だが、今年その予定はない。なぜなら知人は帰国準備で忙しいからだ。知人は実家とは別の寺を継ぐという。非常に見事に日米と言う世間を渡り、またタイミング良く諸事の判断をした知人が出した答えはお寺への回帰だった。確かにこのご時世寺は安泰かもしれない。ここでも流石の判断。残念ながら自分には彼の様な才覚は無い。だが酒井師の経歴を知って驚いた。師は私と同じ証券マンだった。戦後様々な職を経験する過程で一時株屋として成功した。だが1953年のスターリン暴落で借金取りに追われる身となり新妻が自殺。その49日の法要の際に気分転換に出かけた比叡山で「千日回峰行」に挑む修行僧に出会い師の人生は変わる。師、40歳での遅い再出発だった。そこで師の言葉を紹介したい。

「私は頭が悪く、この道で頑張るしかなった・・。」 仏教や儒教からの「自虐の美」が随所に残る日本。その日本と「消費が美学」の米国の間でジプシーになった今の自分には勇気づけられる言葉である・・。





2009年11月21日土曜日

名作の新顔 (独り負けの感性)

キネマ旬報の創刊90周年を記念する映画ベスト10が発表されたらしく、朝日新聞によれば以下の通り。

<日本映画> 1位「東京物語」

以下 (2)七人の侍(3)浮雲(4)幕末太陽伝(5)仁義なき戦い(6)二十四の瞳(7)羅生門(7)丹下左膳余話 百万両の壺(7)太陽を盗んだ男(10)家族ゲーム(10)野良犬(10)台風クラブ

<外国映画> 1位「ゴッドファーザー」

以下 (2)タクシー・ドライバー(2)ウエスト・サイド物語(4)第三の男(5)勝手にしやがれ(5)ワイルドバンチ(7)2001年宇宙の旅(8)ローマの休日(8)ブレードランナー(10)駅馬車(10)天井桟敷の人々(10)道(10)めまい(10)アラビアのロレンス(10)暗殺の森(10)地獄の黙示録(10)エル・スール(10)グラン・トリノ

キネマ旬報によると、選んだのは100人を超える文化人と評論家となっているが、ここに挙げられた30の映画は殆どが25年以上前の古い作品ばかりだ。だがそんな中にぽつんと昨年公開の「グラン・トリノ」が入った。映画好きならこの異質性に気付くかもしれないが、実はこの映画は「今日の視点」で取り上げた。理由は自動車産業が衰退して荒廃したデトロイトの街並みを、制作/監督/主演のクリントイーストウッドが見事に捉えていたからである。だがそんな理由で日本の識者達が選ぶはずは無い、彼らが選んだ背景は別にあるはずだ。まあ評価はそれぞれなのでこのブログの読者にまで押し付けはしない。ただクリントイーストウッドが先日男性誌GQの今年のMAN OF YEARなった際に語った発言は興味深かった。そこでそれを紹介する。

彼は対談で、今の米国社会には戦争を戦った強いアメリカ人はいなくなり、今は「不良上がり」が不平不満を言っているだけの子供じみた社会になったと嘆いていた。まあ戦争が終わりこれだけ時間たつと米国に限らず世界中どこに行っても彼が納得できる社会はないだろう。映画「グラントリノ」のはまさにそんな憤りを引きずっている孤独な老人と、米国に移民したものの社会の底辺(だからデトロイトが舞台)でもがくMONGの青年が反目しながらも次第に惹かれあい、最後は青年が正しい道に進めるように老人が命を賭ける話である。

そして注目はこの映画は一部イーストウッドファンの間では支持されたものの普通の米国人からは特別な評価は得られなかった事。それはそうだろう。これだけ特殊技術を駆使した娯楽大作が溢れていれば、米国人の興味はそちら。私自身も最近映画館まで足を運んで観たのはトランスフォーマーのみである。また同作品が文芸作としてアカデミー賞に絡まなかったのは、格差社会の勝ち組でもあるアカデミーの会員にはこの映画の本質はやや彼等の意図を外れていた。

いずれにしてもこの映画を歴代の名作群と並び評したのはいかにも日本人らしい。だが言い換えるとその感性が日本株の一人負けの要因の一つでもあろう。でも最後に言いたい。怯むな日本人よ。株価が全てではない時代は意外に近いはずだ・・。




ロンポール法案、下院通過

先程CNBCにニューハンプシャーの共和党上院のジェドグレッグ議員が出ていた。言うまでもなくCNBCはマネーを中心とした番組であり、そこに登場する国会議員の多くは金融や予算の小委員会のメンバーが多い。そして予算に精通している彼はCNBCの常連の一人である。だが彼は同じ共和党でも原理原則を守る以上は時には市場の敵と見なされる事も厭わないアラバマのシェルビー議員とは違い、常に市場の味方を心がけている様子。だが彼が風見鶏であるのはオバマ政権の発足時に証明された。オバマ政権は共和党の彼に商務長官のポストで誘いを掛けた。そして彼は一旦は受諾。だが年明け早々から再び株が下がり出すと突然辞退したのである。

元々個人的には饒舌な彼を信用していなかったが、先程の発言でその思いが強くなった。彼が何を言ったかと言うと、市場の予想に反して昨日300人の賛成で下院を通過したFEDの監査を目的にした「ロンポール法案」に対し、「賛成した300人の下院議員は保身の為に米国の国益を考えないポピュリスト集団である・・」と発言したのだ。

確かに賛成した下院議員はポピュリスト集団かもしれない。ただそれは2年ごとに改選される米国の下院の宿命である。私が彼を信用しない理由は彼が「FEDを監査すると中央銀行の独立という米国の国益の根幹を揺るがす」と述べた事。これで彼の正体がばれた。なぜなら彼程のベテランなら、今のFEDが実質NYFEDに乗っ取られている現状と、そのNYFEDにはウォール街の金融機関という株主がいて、ガイトナーや現在のダットレー等の長官の人選はNYFEDの役員に名を連ねるその金融機関の意向で決まる事を知らないはずがないからだ。それにもかかわらず「FEDの独立」のお題目を持ちだし現状を維持しようとする彼の発言は、彼自身がウォール街の意向を強く受けている事が示唆される。

ただ以前からこの法案が下院が通過しても上院を通る可能性はなく、真意はともかくオバマもサインしないと言ってきた。だがこれで益々「反金融機関」が次の選挙のテーマである事が明らかになった。そしてこの法案は潰れても、長期的にはFRBは英仏中銀と同じ運命にあると見る。彼らも初期は有力な銀行が中心となって成立した為に元来純粋な公的機関ではなかった。だが第二次世界大戦後に共に国家機関として定款変更がなされた。よってFRBもいずれ純粋な国家機関にならざるを得ないだろう。

ところでFEDが本当に独立しているかどうかは既に一般のマスコミが取り上げている話。そしてロンポール自身は「監査は必要だが、金融政策はFEDがその裁量で決めるべきモノ」と最初から言っている。従って「FEDの独立」を材料に法案に反対を唱える政治家やマスコミは全くの無知か金融機関の手先のどちらかである。


2009年11月20日金曜日

ガイトナー糾弾

「様々な要因はあるにせよ、君はNYFED長官、そして今は財務長官として危機を防ぐ事も出来なければその後始末も銀行を助けただけだ。君の仕事は国家全体の利益には全くなっていない。今すぐ辞任する用意はあるか・・」とガイトナーに詰め寄るテキサスの共和党下院議員。またその後を受けた同僚の共和党議員は「辞任する必要はないが、そもそも君が財務長官に選ばれた事が間違っている。その責任は現政権にがある・・」と言い放った。ここまで言われてはガイトナー財務長官も黙ってはいられない。顔を真っ赤にして反論していた・・。

これは本日午前中の議会での一幕である。これまで似たような議会中継は飽きるほど見てきたが、今日のTARP(政府緊急救済資金)の使途に関しての中継はこれまでで一番面白かった。そしてその理由は明らか。今日の審議は上下両院ジョイント経済委員会だったからである。

これまでこの様な議会証言は殆どがバーニーフランクを議長とする下院の金融小委員会が質問のメンバーだった。そこにはロンポールなどの共和党を代表する論客もいるが、彼が核心的な質問をぶつけても途中でバーニーが議長権限で持ち時間を理由に質問を終わらせていた。そしてポールカンジョーウスキーやメリビンワットなどの大手の金融機関を選挙区に抱える民主党の有力議員が代わってガイトナーやバーナンケを弁護し、この種の委員会は常に骨抜きになっていた。だが民主党が負けた州知事選挙から雰囲気は一転。金融機関やガイトナーを援護すると落選するかもしれないリスクを感じ始めた議員の変貌した。共和党は息を吹き返し、民主党は政権と距離置き始めた。その代表はNY州上院のシューマー議員。彼は中国を持ちだし、中国の通貨政策に何も意見できない現政権への怒りをガイトナーにぶつけていた。

さすがに二人の共和党議員とガイトナーのやりとりはその後もあちこちのメディアで話題だが、日本からでは2年ごとに必ず1/3の上院と下院全員が総選挙にさらされるこの国の民主主義のダイナミズムが政策に与える影響を理解する事は難しい。またその予想はこんな時期からはブルーンバーグには載らない。だがこの「政災」がオバマ政権の協調主義に裏付けされた今の株価の流動性ゲームをぶち壊すタイミングは必ず来る。その時は株だけでなく初動では必ず長期債も売られるだろう。そしてそのタイミングは年明け前後だろうか。

さてそんな中でCNBCでは日本株が一人負けしている事やたら材料にしていた。株が下がると日本の金融機関が苦しくなるのを承知で、アジア買いVS日本売りを囃したてる輩が多い。だがここは国家としては慌てず、何をすべきが見極めるべきだろう。そもそも「アリ」の日本がむやみに「キリギリス」が得意な「張ったりのゲーム」に参加しても勝てない。ここは日本の強みを認識し、正しい事をすれば結果として後から株価は必ず付いてくるという信念を貫くべき。



2009年11月18日水曜日

困難への挑戦 (リーマン予想)

住宅ローンの支払いに苦しむ一庶民としては、昨日NBCが紹介した売れっ子俳優のフォークロジャー(競売)には憤慨する。その俳優とはニコラスケイジ。言うまでもなく彼は一作の出演料が10億円を優に超える売れっ子俳優の一人。本来彼とフォークロージャーは全く結びつかない。事実彼のスケジュールには2010年迄の出演作が5本あるという。だが彼は友人に管理を任せて投資をした住宅ローンの支払いを拒否。結局その豪邸は5億円の負債を残しフォークロージャーになった。普通ならば彼にも債務は残るはず。だが彼は有力な弁護士を通して失敗の責任は全て友人にあるとの責任逃れの主張しているという。

この様に危機後の救済天国を経て多くが安易な道を求め始めたのは事実。言い換えると皆がゾンビになってしまった後はまともな人間がゾンビだ。そしてその風潮の根幹であるFEDのバーナンケの発言からは、FEDが世界金融の中枢として厳粛な「バイブル」だった時代への回帰は遠のいたと言わざるを得ない。「バイブル」への回帰どころか昨日の彼の発言内容は市場を盛り上げるを事を常に前提する証券会社の関係者の様な有様。ただ考えてみればFED自身が巨大プレーヤーとして市場に直接参加し、そしてその決算に対しても責任が問われる時代になった事を考えれば当然かもしれない。ただそれでは行司やレフリーまでもが同じ金網の中でバトルロイヤルを繰り広げている構造。ただ其処には傷つき血だらけになったケンシュロウーはいない。いるのはミッキーマウスとその仲間たちである。

さてこの様に原理原則が無くなり、快楽へ回帰を成長の善として皆が受けいれる時代になった今、昨晩のNHK特集はそんな時代に一石を投じる意味で秀逸だった。そしてその内容は「リーマン予想」。ただこれはあのリーマンブラザースが自分の崩壊を予想した話ではない。150年前にドイツに登場した天才数学者のリーマン氏が残した数学史上最大で最難関と言われる定説(リーマン予想)の証明にボロボロになるまで挑戦し、そして破れ去って行った数学者達の執念のドキュメンタリーであった。

観逃した人のために簡単に紹介すると、リーマン予想とは「素数からゼータ関数を使って算出したゼロ値は素数自体に法則性が見当たらないにもかかわらず一定の法則で同じ直線状に現れるのではないか」という数学者リーマンの予想。この予想に対してノーベル賞やフィールズ賞を取った歴代の学者がその真理を解き明かすために心骨を注いできたという。だがその魔性の魅力に有名なナッシュ博士は病み、(ノーベル賞学者。彼がリーマン予想に挑戦し精神を病んだ話はラッセルクロウ主演で映画になった。BEAUTIFUL MIND)また最後に登場したフランスの著名な現役数学者のドブランジェ氏は過去3回リーマン予想の証明に失敗。結果それまでに築きあげた名声を汚した。だが80歳近くなった今も全てを捧げて研究に没頭している姿をNHKは追っていた。

そして番組は現在「物理学」と「数学」がこの素数の分析で結びつき、「リーマン予想」を解く事が宇宙物理の解明、即ち万物の原理の解明に最も近づくとの見解で一致している事を紹介して終わる。番組からは「数学」からは程遠い世界に住む自分も「1とソレ自身でしか割り切れない」「素数」の継続の魅力は感じる事が出来る。それは多々あるチャート分析法の中で私自身唯一用いるのがフィボナチである事と無関係ではない。ただボロボロになるまで挑戦する学者達をみて、なぜ彼等はヘッジファンドのルネッサンス(ジム サイモン)のところで研究を続けないのかと下世話な感覚に陥った。ヘッジファンドなら最新のアルゴリズムを生み出す高給アルバイトをしながらいくらでも研究に没頭できるはず。もしかしたら、リーマン予想に嵌った学者達には現在の金融の行きつく先が既に見えているのかもしれない・・。


2009年11月13日金曜日

PUBLIC ENEMY No1 (社会の敵ナンバー1)

日本のニュースは英国人女性の殺害に関わったとされる市橋容疑者の逮捕で持ちきりだ。そんな中で注目したのは1000万という報奨金。当初報奨金は被害者の親族が提供したと考えていた。ところが今回のケースでは警察当局、即ち国家がスポンサーだった。他にも凶悪殺人事件の未解決が多々ある中で1000万という最高額の報奨金の意味は大きい。そしてその政治的決断の背景もこれからは議論されるだろう。

ところで、報奨金を大きくして国民に情報提供を求めた米国内の犯罪史でも突出した存在は1930年代のジョンデリンジャーである。(現在国際手配の最高ビンラデイン等10億円)当時出来たばかりFBIは彼に何度もコケにされ、長官のフーバーは彼を初の「PUBLIC ENEMY NO1」に指名した。そして報奨金も当時としては破格の2万ドルまで上げて国民に協力を求めた。と、ここまでは今回市橋容疑者を追い込んだ状況に似ている。だが結果は違った。デリンジャーはそれでも捕まらなかった。なぜなら2万ドルでも国民は彼を売らなかったからだ。彼を売ったのは恋人。恋人は不法移民の摘発を見逃してもらう代わりに情報を警察に流した。彼女は目印になる赤いドレスを着てデリンジャーとシカゴの映画館に出かけ、出てきたところでデリンジャーは警官に包囲された。そして射殺された。これが一般的なデリンジャーの伝記。だが彼には別の話がある。遺体を引き取りに来た知人が死体を見た瞬間に本人ではないと証言。(確かに公開された遺体写真と生前のデリンジャーは別人の様相)。だが警察は一切聞き入れず、早々に事件を解決として処理した。

本当の事は判らない。だが一つだけはっきりしているのは、当時の国家当局の思惑とは違いデリンジャーは国民に人気があったという事。そうでなければ義経伝説の様な逸話も起きないだろうし彼を主役にした映画が後に何本も創られる事は無い。(去年は今米国の男優でNO1 のジョニーデップが演じた)ではなぜ彼は人気があったのか。まず国家当局が「社会の敵NO1」としてデリンジャーを指定したのは政治的判断、そしてそれは市橋容疑者への報奨金を決めた日本の政治判断と同質だろう。だが当時の一般国民にとって「社会の敵」は別にいた。デリンジャーは鼠小僧の様な義賊とも違う。ただ結果的に警官を一人殺してしまったが殺人は専門ではない。そして1930年代当時は大恐慌から戦争に向かう過程であり、金融機関は淘汰の後で保身に走った。結果今日同様のフォークロージャー等で苦境に取り残された一般国民の銀行への感情は悪化の一途だった。そう。実は当時の国民にとって「PUBLIC ENEMY NO1」 は実は「銀行」だった。そしてデリンジャーは基本的に一般人を殺さずその銀行を痛めつけた。だから彼には不思議な人気があったと考えられる。

そういえば同時期にボニー/クライドの男女のギャングが同じ銀行強盗をしている。この二人は一般人を大勢殺しているのでデリンジャーと同じ扱いは出来ないが、彼等を主役にした映画も何本もありここでも銀行は敵役だ。またその前には「明日に向かって撃て」のブッチ/サンダスがいる。彼らも銀行強盗が専門で最後はボリビアで射殺される。だがロバートレッドフォードが演じたサンダスには地元ワイオミングに義経伝説と同様の話がある。こうみると、やはり米国人は伝統的に銀行が嫌いである。

そんな中で経済が疲弊した後の国民感情が当局の思惑から外れるのは米国だけの話とは限らない。市橋容疑者が捕まった背景に報奨金とマスコミの力があった事は容易に想像できる。だが多々ある他の未解決事件の被害者達の思いはどうか。この事件に優先権を取られたという感情はないだろうか。結局国家を問わず、余裕のない国民は国家が何をしても満足しないだろう。そして民主主義はそこまで落ちぶれると危険だ。当局はその制御に追われが最終的には次のパターンが濃厚となる。①国家として更に大きな敵を必要とする ②その過程ではヒトラーの様な絶対的存在に傾くか、③そうでなければ共産への移行が待っている。そして③の選択下をとる場合、銀行のPUBLIC ENEMY No1の役割はやっと終わる・・。



2009年11月10日火曜日

ゴルバチョフの回想

トマスフライドマン氏が「フラット化した世界」で東西の壁が崩れた11/09を09/11以上の転換点だったと指摘してから5年。どうやら世界は冷戦時代への郷愁を感じ始めている。その中で冷戦終結の立役者のゴルバチョフは今何を思うだろうか。当時私自身が彼に魅了された一人だった。だが今から思えばゴルバチョフは日露戦争で両国の陸軍が激突した奉天の戦いにおけるクロパトキンだったのかもしれない。ならばその時陸軍参謀として奉天での奇跡の勝利を齎した児玉源太郎はレーガン大統領か。今日はもう一度その話をしたい。

まずゴルバチョフが冷戦継続を諦めたのはレーガンが米国の債務国転落を顧みずに掲げたSDI構想だった事は有名だ。そしてその裏話をレーガン政権からクリトン政権までアドバイザーを務めたグレゴリーガーゲン氏が感慨深く語った話はここで何度か紹介した。繰り返すが、SDI構想はレーガン大統領本人のアイデアとされ、あまりの飛躍に当初政権内の専門家は誰も相手にしなかった。(レーガン大統領が俳優出身という事もあり、当時公開中の007映画に感化されたという陰口があった)ところがソレを真に受けてしまったのがゴルバチョフだった。ゴルバチョフは疲弊した共産主義体制を立て直すため、米国との軍事拡大競争を一時的に中段する方向を模索。しかし彼の思惑は大きく外れ、時代のうねりは一気にソ連崩壊まで及んでしまった。即ち、本来妥協は体制維持の為の一時的手段だったはずが、時代の流れはゴルバチョフが考えたよりも大きかった。そして「敵の過大評価」が自軍の崩壊つながったという点が、奉天での児玉の乃木の使い方にも通ずる。

その乃木軍は二百三高地で苦戦を続け、最後は児玉の援軍で旅順を落とした。当然単純な突撃を繰り返した乃木を批判する意見は本部で強く、更迭論は根強かった。ところがその乃木を児玉は天王山の奉天で逆手に使った。司馬遼太郎は小説で最後まで乃木の無能を批判している。だがその無能はロシアにとっては脅威だった。ロシア陸軍内では旅順で敗軍の将として乃木と会見したステッセリの乃木評が一人歩きしており、二人の息子やあれ程の兵を無駄死にさせる作戦を遂行できる乃木は勇猛で恐ろしいとの評があった。その事を知った児玉は奉天に到着した満身創痍の乃木の第三軍をそのまま激戦が続いた左翼に押し出した。すると、陣形がやや不利になっていた事もあり、乃木を恐れた司令官のクロパトキンは撤退を決意した。この瞬間奉天の奇跡の勝利が完成、その後クロパトキンは更迭れた。そして2カ月後の日本海海戦の勝利で歴史上は日露戦争は日本の勝ちとなった。だが当時先に戦争遂行能力が限界に達したのは日本だった事は明らかである。

無論単純ではないが、この様にクロパトキンが乃木を、そしてゴルバチョフはレーガンを過大評価した事がロシア帝国とソ連共産党の崩壊に繋がったと個人的には見ている。しかしここで元来ロシア軍は強いという事を認識すべきだ。それは歴史上一時的には粗ヨーロッパ全域を支配したナポレオンとヒトラーが共にロシア(ソ連)との消耗戦に敗れ、衰退した事が証明している。要するに、元来国民の精神力が試される消耗戦でロシアと旧ソ連邦は無敵だった。例外はアフガニスタン。そしてそのアフガニスタンとは今アメリカが戦っている。

ズバリ言うとこれはロシアと米国のどちらが強いか、その判断をする好機である。だが米国に負けた日本はどんな時も米国が一番との思い込みがある。そしてその思い込みはクロパトキンやゴルバチョフが犯した過ちと同じになる危険性がある。本来沖縄の基地問題もこの視点が介在していいと感じるが、通常兵器で戦う場合、今の国民の忍耐力からは米国がロシアに勝てる気は全くしない。またそもそも第二次世界大戦と言えば日本では原爆と太平洋戦争、そして米国ではパールハーバーとノルマンデイが思い浮かぶはず。だがこれはハリウッドの影響だ。冷静に数字をみれば、第二次世界大戦の本質は双方で1500万~2000万人が死んだ独ソ戦争が主役。同戦争での日本人の死者は300万で米国人は30万、これだけで十分悲惨だった日米には独ソ戦争がどれ程ものだったかは想像できない。その戦争を経験した旧ソ連邦はゴルバチョフ以後一時に米国的な消費の豊かに感化された。だが今はその多くが失望し、過去への郷愁を感じ始めている・・。




2009年11月6日金曜日

お金の街の気骨者

本日市場は雇用統計を明日に控え閑散。その中ではオフィスのテレビが通常のCNBCからスポーツチャンネルに代わっていても違和感がなかった。そしてそのESPNからは「マツイ」への賛辞ばかりが聞こえてきた。ただそれでも専門家の分析ではヤンキースは松井を放出するとの事。そんな中で3日前のNYTIMESのスポーツ面でジーターが松井への思いを語っていた。

ジーターは松井が数字以外の面で見せた人間としての姿を評価。お金だけではない「武士の世界」を持つ松井に対する尊敬の念を隠さなかった。彼は今春に一流選手がWBC(ワールドベースボールクラッシック)への参加を躊躇する中、スーパースターながら同じ30台のオズワルドやCジョーンズと共に参加、その気骨を示した。さすがはジーター。彼はニューヨークと言う「お金が主役」の街で、松井の価値が判る貴重な存在と言える。

ところで、昨日の松井の活躍を一言でいうなら、これで松井は米国における価値でイチローに一気に追いついたと言う事。無論記録的にはイチローに及ばない。だが昨日の活躍は神がかり的。たった一日だが、最高の舞台で米国人に残したインパクトはイチローに追いついたと見る。

日本人としてはイチロー松井の二人の活躍は好ましい限り。ただ二人の努力の方向性の違いが今の時代の中で浮き彫りになって面白い。簡単に言うと、政府の役割が拡大する今の潮流では個人や中小企業よりは大企業。また地方よりはNYなどの大都市。そしてマリナーズよりはヤンキースといったピラミッドの頂点にまずは活力が戻る。

話をイチローと松井に戻すならば「反中央」という反骨精神で孤高の努力を続けるイチローもカッコいいが、ヤンキースという特別な組織の中でここまでプレッシャーに耐えた松井の努力が報われたのは、ソレがヤンキースだからという事実が今のトレンドを現わしているのではないか・・。


2009年11月5日木曜日

N.Y.の「赤旗」

思ったより僅差ながらブルーンバーグ市長が再選、一方でコーザインが敗北した選挙の当日、NY TIMESには面白い記事があった。記事はゴア氏と彼の環境関連ビジネスについて紹介した内容だった。そして興味を引かれたのはその切り口。ズバリ、これまで選挙ではゴア氏本人を応援し、またリベラルとしての総本山であった同紙は、リベラルから更に一歩左に寄った印象である。言い換えると、共産党の機関紙の「赤旗」まではいかないものの、通常のビジネスであっも利権の匂いするものに対しての嫌悪感を出した切り口になっていた。

そのゴア氏のビジネスを簡単に紹介すると、まず公人だった彼が副大統領を止めた時の総資産は2億円弱。それが今は史上初の「CARBON BILLIONAIRE」の誕生と揶揄されるまでに膨張している。知らなかったがゴア氏は選挙に敗れてからアップルやGOOGLEのアドバイザーを務めながら同社株で大儲けしたとされ、その資金に映画や本からの収益を加わえ(尚講演会は一回1000万円との事)、近年はプライベートエクイティーとして数々の環境関連の会社に出資する一方でGS出身のデイビットブラッド氏と組んで英国に資産運用会社まで起こしていた。そして今回記事で批判的に扱われたのは彼が出資した環境関連会社がオバマ政権から500億円のビジネスの発注を受けた事である。

この様にゴア氏は各国が環境に取り組むと何らかの形でその恩恵を預かる体制を既に確立したと言わる程先を走っている。そしてそれは彼がこの課題に30年前から取り組んだ結果であり、その成功はバフェットのモデルと同じと考える事も出来る。ただNY TIMESがゴア氏を批判する共和党下院議員コメントをそのまま引用するのは、過去の立場を活かしたゴア氏の今のビジネスモデルを「逆境におかれた今の読者」がどう受けとめるかというトレンドを読んでの判断だろう。そう、NYTIMESの論調に変化があるならそれは読者側の変化に合わせていると考るべき。そしてそれは今回の選挙結果にも反映されていた。ただ選挙結果は彼らが共和党の原理原則主義に賛同した事を意味するわけではない。彼はら現状への不満をぶちまけたのだ。

他州のことながら個人的にはコーザインの主張は正しいと感じる。だが当事者は受け入れらなかった。ズバリ、これは「中間層がこの国からいなくなった証拠」である。米国はブッシュ時代に意図的に格差を造った。そして調子に乗り過ぎた金融が崩壊し世界が窮地落ちると今度は罪の擦り合いが始まった。民主党と現政権はブッシュ時代の行き過ぎた規制緩和に原因があると主張、一方の共和党はグラスステイーガル法を廃案にしたのは誰かとやり返す始末。(同法が廃案になったのはクリントン政権下)
そして政治が低レベルを演じる一方庶民は不満をぶちまけるだけなら、最後の解決策は政党政治ではない。それは国民を黙らせる国家としての脅威。つまり戦争である。

ところでこの様な滑稽な政治模様の本質には全く無関心に、中央銀行によって新規で生み出された膨大な流動性を運用する市場参加者は、「お友達」になり下がったFEBを材料にニューマネーーゲームを行う宿命にある。ただ中間層を失った民主主義がいかに乱暴な結果を生むか。それは最後は金融市場に必ず跳ねかえるであろう・・。




2009年11月3日火曜日

庶民の変質

ところで明日はNY市長選とバージニアとニュージャージーの州知事選挙などが一斉に行われる。そして趨勢が決しているNY市長選とバージニアの州知事選はともかく、注目はニュージャージーである。同州の現職はゴールマンから政治の世界に打って出たコーザイン氏。彼はGSを辞めてからまず上院選に勝利し後に州知事に鞍替えした。その後10年以上政治家としてのコーザイン氏をシカゴから眺めてきた。彼は民主党が低迷したイラク戦争前後も積極的にMEET THE PRESS(政治討論番組) などに出ては民主党を支え、そして大統領選挙では当初ヒラリーについた。だが比較的早い時期にオバマに乗り換えた。今はオバマ個人にとっては重要なサポーターである事は間違いない。その彼が苦戦を強いられている事は知らなかった。だが接戦を受け、オバマ自身3回も応援演説に駆け付けている。それはそうだろう、一方のバージニアの州知事選では共和党が優勢の中で、万が一にもニュージャージーでコーザイン氏まで敗北するような事態はオバマ陣営も絶対に避けなければならないのである・・。

しかしコーザイン氏はなぜそこまでの苦戦を強いられているのだろう。彼には民主党の有力な州知事だった前イリノイ州知事のブラゴヤビッチの様な悪評はなかったはず。にもかかわらず、民主党の地盤である同州で起きている変化は何だ。そこで思い出すのは雑誌のローリングストーン誌が春に行った反ゴールドマンキャンペーンだ。ホーボーケン辺りにはこの雑誌の影響を受けそうな若者が大勢いるのは確かだが、ウォール街出身でそれもゴールドマン出身である過去が今回は彼のイメージを下げているのだろうか。仮にそうなら気の毒だ。なぜなら彼が会長の頃までのゴールドマンには同紙が吸血蜘蛛に揶揄したイメージはなかった。だが人間の感情の変質は恐ろしい。そもそも2004年にあれほどの大敗北を喫した民主党が僅か2年で大躍進した事もさることながら、昨日は全く別の次元でも「庶民の変質」を実感した。それは昨日、ランボーフィールドに戻ったBファーブに対するがパッカーズファンのブーイングである。(ランボーフィールドはNFLの名門、グリーンベイパッカーズの本拠地)

そもそも熱狂的な全米のフットボールファンの中でもこれまでグリーンベイファンのパッカーズに対するロイヤリティー(忠誠心)は別格と言われてきた。そして日本のプロ野球ファンにとっての長嶋、或いはシカゴ人にとってのマイケルジョーダンに匹敵したのがグリーンベイのファンにとってのブレッドファーブだった。 ところが昨日同地区のライバル、ミネソタバイキングスのQBとして彼が再びランボーフィールドに立つと、迎えたグリーンベイの人々はファーブに対して拍手どころかブーイングだけを浴びせた。そこには試合に負けた感情だけではない一般市民の変質の恐ろしさ見た気がした・・。