2009年11月25日水曜日

一日一生 (素朴な喜び)

米国ではお金を持っている人は当然として、持っていない人さえもお金を使わないと罪悪感を感じるホリデイシーズンがいよいよ始まる。その起点がサンクスギビング(感謝祭)。このサンクスギビングは日本で言うなら正月だ。大昔、明日はどうなるか判らない厳しい環境の中、新年を迎た喜びを感じたのが正月なら、クリスマスとは違って「今年も生きる事が出来た」という「素朴な喜び」に感謝する時代がこの米国にもあった事を思い出させるのが本来のサンクスギビングの意義である。

さて、私事ながら昨年まであるご家族のサンクスギビングの七面鳥ディナーに毎年招待された。ご主人とは同世代。子供も同じ学年と言う事もあり、ここ数年はご好意に甘えた。そのご主人は元々北陸のお寺の生まれだ。仏教系の高校に通い大学は関西のミッション系大学へ進学した。その後米国の大学に留学。そこで米国育ちの帰国子女である奥さんと知り合ったらしい。そんな彼と初めて会ったのは94年、シカゴにある財閥系企業の親睦会だった。グループ末端の証券のシカゴ支店の駐在員だった私と財閥の中枢の銀行の現地社員として活躍していた彼、我々は親睦のゴルフ大会で同じ組となった。

その後彼は別の金融会社に転職。話題の豊富さと天性の人当たりの良さでそこでも活躍した。その一方で仏事に拘るシカゴの日本人社会からの依頼で法要などでお経を唱えていた。その後NY転勤に伴い疎遠になったが、シカゴに戻る頃、今度は彼がNYに転勤となり、情報交換を通して付き合いが復活した。そしてNYとは違い、シカゴの日本人社会には仏事の需要が高い事に気付いた彼は9/11のテロを機に再びシカゴに金融の仕事を見つけて戻った。それからは毎年サンクスギビングに招かれた。

考えてみれば彼の人生は興味深い。日蓮宗の名跡の跡継ぎでありながら大学はミッション系だ。渡米し、異国で金融マンとして活躍する傍らお経を唱える副業でも成功した。そして多彩な才能に加え美食家でもあった。そんな彼とはいつも食材の話で盛り上がりながら彼が実家を継ぐための本山での修行に一旦はチャンレンジしたものの、事情があって途中で諦めた話をしてくれた事を思い出した。

ところで、そんな中日本のニュースで英国人女性死体遺棄事件の市原容疑者が遂に弁当を食べたと聞いた。彼が何のために何日断食したかはしらないが、悟りを開くための究極の断食は、何と言っても比叡山延暦寺の修行「千日回峰行」の途中にある「堂入り」だろう。「千日回峰行」は有名なので詳細は省くが、地球一周に等しい4万キロの距離を1000日で踏破する修行(継続ではない)の700日目から始まる「堂入り」の苦痛は想像不可能。9日間 断食 断水 不眠 不臥で不動明王の真言を10万回唱える。そしてこの「堂入り」を完了し、残り300日を終えると大阿闍梨(だいあじゃり)の称号となるが、途中で諦めるとその場で自害する事が決まりというこの修行の成功者は延暦寺の記録では47人との事である。

そして日本人でありながらサンクスギビングを共有する恵まれた時代に生きる自分にとっての幸運は、この「千日回峰行」を2度達成した酒井雄哉師がまだ健在である事。恐らく殆どの現代人は師の真似は出来ない。だが代わりに我々はこの「生き仏」から教わる事ができる。師の本を読む事もできるしNHKのアーカイブで師の「千日回峰行」のドキュメンタリーも観れる。そして師がNHKのインタビューや著書で語っているのが「一日一生」の言葉だ。これは一日を一生として生き、人生はその積み重ねであるという意味らしい。ならばこの言葉が含む「素朴な喜び」はサンクスギビングの語源となる過酷な時代を生きた初期の米国人が共有した「心の豊かさ」と同じではないか。

最後に毎年招待されたサンクスギビングの食事だが、今年その予定はない。なぜなら知人は帰国準備で忙しいからだ。知人は実家とは別の寺を継ぐという。非常に見事に日米と言う世間を渡り、またタイミング良く諸事の判断をした知人が出した答えはお寺への回帰だった。確かにこのご時世寺は安泰かもしれない。ここでも流石の判断。残念ながら自分には彼の様な才覚は無い。だが酒井師の経歴を知って驚いた。師は私と同じ証券マンだった。戦後様々な職を経験する過程で一時株屋として成功した。だが1953年のスターリン暴落で借金取りに追われる身となり新妻が自殺。その49日の法要の際に気分転換に出かけた比叡山で「千日回峰行」に挑む修行僧に出会い師の人生は変わる。師、40歳での遅い再出発だった。そこで師の言葉を紹介したい。

「私は頭が悪く、この道で頑張るしかなった・・。」 仏教や儒教からの「自虐の美」が随所に残る日本。その日本と「消費が美学」の米国の間でジプシーになった今の自分には勇気づけられる言葉である・・。





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