トマスフライドマン氏が「フラット化した世界」で東西の壁が崩れた11/09を09/11以上の転換点だったと指摘してから5年。どうやら世界は冷戦時代への郷愁を感じ始めている。その中で冷戦終結の立役者のゴルバチョフは今何を思うだろうか。当時私自身が彼に魅了された一人だった。だが今から思えばゴルバチョフは日露戦争で両国の陸軍が激突した奉天の戦いにおけるクロパトキンだったのかもしれない。ならばその時陸軍参謀として奉天での奇跡の勝利を齎した児玉源太郎はレーガン大統領か。今日はもう一度その話をしたい。
まずゴルバチョフが冷戦継続を諦めたのはレーガンが米国の債務国転落を顧みずに掲げたSDI構想だった事は有名だ。そしてその裏話をレーガン政権からクリトン政権までアドバイザーを務めたグレゴリーガーゲン氏が感慨深く語った話はここで何度か紹介した。繰り返すが、SDI構想はレーガン大統領本人のアイデアとされ、あまりの飛躍に当初政権内の専門家は誰も相手にしなかった。(レーガン大統領が俳優出身という事もあり、当時公開中の007映画に感化されたという陰口があった)ところがソレを真に受けてしまったのがゴルバチョフだった。ゴルバチョフは疲弊した共産主義体制を立て直すため、米国との軍事拡大競争を一時的に中段する方向を模索。しかし彼の思惑は大きく外れ、時代のうねりは一気にソ連崩壊まで及んでしまった。即ち、本来妥協は体制維持の為の一時的手段だったはずが、時代の流れはゴルバチョフが考えたよりも大きかった。そして「敵の過大評価」が自軍の崩壊つながったという点が、奉天での児玉の乃木の使い方にも通ずる。
その乃木軍は二百三高地で苦戦を続け、最後は児玉の援軍で旅順を落とした。当然単純な突撃を繰り返した乃木を批判する意見は本部で強く、更迭論は根強かった。ところがその乃木を児玉は天王山の奉天で逆手に使った。司馬遼太郎は小説で最後まで乃木の無能を批判している。だがその無能はロシアにとっては脅威だった。ロシア陸軍内では旅順で敗軍の将として乃木と会見したステッセリの乃木評が一人歩きしており、二人の息子やあれ程の兵を無駄死にさせる作戦を遂行できる乃木は勇猛で恐ろしいとの評があった。その事を知った児玉は奉天に到着した満身創痍の乃木の第三軍をそのまま激戦が続いた左翼に押し出した。すると、陣形がやや不利になっていた事もあり、乃木を恐れた司令官のクロパトキンは撤退を決意した。この瞬間奉天の奇跡の勝利が完成、その後クロパトキンは更迭れた。そして2カ月後の日本海海戦の勝利で歴史上は日露戦争は日本の勝ちとなった。だが当時先に戦争遂行能力が限界に達したのは日本だった事は明らかである。
無論単純ではないが、この様にクロパトキンが乃木を、そしてゴルバチョフはレーガンを過大評価した事がロシア帝国とソ連共産党の崩壊に繋がったと個人的には見ている。しかしここで元来ロシア軍は強いという事を認識すべきだ。それは歴史上一時的には粗ヨーロッパ全域を支配したナポレオンとヒトラーが共にロシア(ソ連)との消耗戦に敗れ、衰退した事が証明している。要するに、元来国民の精神力が試される消耗戦でロシアと旧ソ連邦は無敵だった。例外はアフガニスタン。そしてそのアフガニスタンとは今アメリカが戦っている。
ズバリ言うとこれはロシアと米国のどちらが強いか、その判断をする好機である。だが米国に負けた日本はどんな時も米国が一番との思い込みがある。そしてその思い込みはクロパトキンやゴルバチョフが犯した過ちと同じになる危険性がある。本来沖縄の基地問題もこの視点が介在していいと感じるが、通常兵器で戦う場合、今の国民の忍耐力からは米国がロシアに勝てる気は全くしない。またそもそも第二次世界大戦と言えば日本では原爆と太平洋戦争、そして米国ではパールハーバーとノルマンデイが思い浮かぶはず。だがこれはハリウッドの影響だ。冷静に数字をみれば、第二次世界大戦の本質は双方で1500万~2000万人が死んだ独ソ戦争が主役。同戦争での日本人の死者は300万で米国人は30万、これだけで十分悲惨だった日米には独ソ戦争がどれ程ものだったかは想像できない。その戦争を経験した旧ソ連邦はゴルバチョフ以後一時に米国的な消費の豊かに感化された。だが今はその多くが失望し、過去への郷愁を感じ始めている・・。
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