2010年11月30日火曜日

三猿

NHKの「龍馬伝」が終わった。視聴率は思った程ではなかったらしい。年初のコメントで、「今の日本に必要は龍馬にあらず」としたが、竜馬の描き方はその人間性の魅力に軸を置きながらも、彼がいなくても時代の流れは決まっていたイメージをにじませた事を評価したい。そして重要な脇役の幕末の四賢候の一人、山内容堂を演じた近藤正臣を見ながら私的な事実を思い出した。それは自分にとってのメディアの威力。正直に言うと、まがりなりにも自分が歴史に興味を持った切欠は、大昔の彼の大河ドラマでの演技が切欠だった。

昭和40年代自分にとってメディアはテレビだけだった。それもNHKが主体。その環境下、親が見ていた大河ドラマを自然に受け入れた。そして9歳の自分が見た最初の「大河」は「国取物語」。その最終回、高橋英樹演じる織田信長の本能寺での自決シーンと、その信長を裏切った明智光秀役の近藤正臣の脇腹に暗闇から突然竹やりが刺さるシーンは一生モノになった。今でも明智光秀役は近藤以外には評価に値しない。そしてこの偏見が戦国時代を起点に日本史への探究心に代わり、以後歴史が持つ意味は今の仕事を通して拡大していった。

その意味で今の子供を見ると複雑な心境になる。彼等はありとあらゆるメディアに埋もれている。パソコンのYOUTURBEに興じる長男と二男に、そこからどんな刺激があるのか聞いた事がある。他にも多様のデジタルメディアを使いこなす彼等からはの反応はなかった。膨大な情報に漏れる現代社会では、ほっとくだけでは子供が探究心を育てるのは難しいのかもしれない。学校の宿題は無難にこなしながらも、彼等が歴史に興味を持っている様子はない。

そしてメディアといえば、政権は平常心を装っているが、WIKILEAKが米国に与えたダメージは甚大だ。なぜなら米国がいくらWIKILEAKを非難しても、情報が米国人の手で内部から漏れた事実は変わらない。これは諸外国は無論のこと、国内の不満分子に対しても今の米国のグリップの弱さを象徴している。ただリークで馬鹿にされていた事が明らかになった他国のリーダー達がこれで反米になる事はないだろう。なぜならリークの量は膨大でも、今のところ広まっている情報の質は低い。裏を返せば米国はニューヨークタイムスには敢えてWIKILEAKへのアクセスを認め、本当の危険なその意味で質の高いリークには庶民の注目が当らないようにしている可能性を感じる。

だが、そんな事はせずとも今の米国人はこの種の話題にあまり興味を示していない。隔世の感だが、70年代前後の米国は、アイゼンハワーの時代に生活が豊かになっても、また共産主義の脅威に晒されても、国家の正義や人権運動に人々が関心を寄せていた。それだけメディアも骨太だった印象だ。だが、その時代の多感な学生は今はベービーブーマーとして現実に直面している。そして今の彼等には「太った豚か、痩せたソクラテスか」の議論は不要になった。なぜなら彼らは少数の太った豚か、大多数の痩せた豚に行き着いてしまったからだ。つまり90年代のクレジットブームと世界経済のスプレッド消失は、米国を痩せたソクラテス不要の国にした。(清貧に象徴されるデフレ社会の否定)

いずれにしても、世界の潮流がここまで明確では、通常のメディアが運ぶ情報に本当の緊張感は乏しい。それは殊のほか経済ニュースでは顕著だ。ギリシャ アイルランド ポルトガルと主役がころころ変わる欧州も、先進国はどこも最後は救済に落ち着き、また中国が乗り出した以上は、本質は小学生が予防注射の順番待ちをしている喧騒に似ている。また国際政治の緊張も当事国に死ぬ覚悟がないなら不測の事態とは内部崩壊のみだろう。ならば相場にあるのは危機ではなくチャンス。つまり先進国はどこも過剰量流動性の現実がまずあり、最優先の金融市場ではマッチポンプを必要としていると割り切る事が可能である。

ならばそこでのメディアの役割とはなんだろう。今の米国庶民が己の消費力の向上以外に興味がないとするなら、そこでのニュースはCNBCの女性キャスターのごとく騒々しく派手なだけで、庶民が求める本質は「見ざる 言わざる 聞かざる」なのかもしれない・・。




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