物事では各論に対応する専門家の意見と世の中の流れを達観視する人の視点との間には明確な違いが生ずる。勿論日々のマーケットは前者の視点が重要になるが、最終的に自分の立ち位置の地殻変動は後者の視点がなければ確認できないと考える。そんな中でバーナンケは学者として長く研究してきた大恐慌時のFEDの失敗のテーマを今は自分がFED議長として活かす立場にある。金融危機は誰にとっても災難だった。だが研究者としてはこの機会は研究の成果を試すチャンスでもある。そして市場参加者はここまでのバーナンケの行動を評価している。ただ彼を批判する勢力もある事実だ。私にはこの違いは、核爆弾開発に関わった研究者チームを後からどう見るかに等しい。
研究者にとって自分の研究の成果を試すチャンスが得られるという事は幸福だろう。そして研究者はいろんなモノや状況を作り出す。だがそれが政治や戦争の道具である事に後で気づくケースもある。そういえば今のバーナンケに比べると前任のグリーンスパンは、研究者というより歴史感や哲学をその判断に含んでいる事が感じられた。しかしその彼でも全てを的確に判断し、的確に行動に移す事はできなかった。それが人間だ。ではFED議長としてバーナンケの方が良いのか。そんな事はわからないが、今バーナンケが正しいと信じて生み出しているドル札を想像しながら一つ疑念がよぎる。それは米国にとって大恐慌の経験は本当に悪だったのかという事だ。
バーナンケはソレを避けようと最後の手段でもあるドル札の印刷を開始した。だが少なくとも私にはあの大恐慌の経験で米国は強くなったと感じる。ただその条件だったのが当時の米国人には失敗の痛みを受け入れる魂があった事だ。繰り返すと、研究者としてのバーナンケにとって大恐慌はFEDの失敗のサンプルにすぎない。しかし歴史では失敗も必要悪である事がある。この点についてオバマもガイトナーも同じセリフを言う。「我々はこの金融危機から学び、もっと強い米国となり立ち直る」と。だが豊かさが頂点を極めた後の米国のデモクラシーの中で揉まれる政権がここに至るまでに取った救済、またバーナンケFEDによる無限大のドル札の印刷は失敗による痛みの回避ではないのか。魂のないデモクラシーとは恐ろしく醜い。4回に渡ってNHKが取り組んだ特集を見る限り、正直これならプーチンロシアの方が強くなると確信した。(プーチンのロシアシリーズ)
そう言えば最近友人が珍しい癌になってしまった(耳下癌)。彼はまだ若い。今彼は果敢にも最も強い化学療法でガン細胞を断ち切ろうとしている。そばで見ている知人によると、治療からは想像を絶する苦しさが伝わるという。いずれにしても、人は己の失敗よる痛みさえも避けてしまうようになっては、強くなって再び戻ってくる事は絶対にないと私の歴史感は語る。だとするとバーナンケの実験は実はモルヒネ、終末ケアの始まりという事になる。
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