2009年3月31日火曜日

英語だけの人々

当たり前だが、実は当たり前と考えてはいけない話がある。それは注目のG20サミットには母国語が英語の国と普段は英語を使わない国が参加する事だ。実は普段から英語だけを話す国の代表は米国と英国、それに存在感はまだ薄い豪州だけだ。(カナダは英語だけではないので除く。)言い換えるとG20のそれ以外の大多数の国は母国語を別に持つが、国際会議では英語で参加する国である。

いったい英語が世界の公用語として使われ始めたのはいつからだろうか。私自身は答えを知らない。ただ数百年に渡り英米の覇権が続いた事で、英語圏外の国も無意識に公用語として英語を受け入れてきた事は間違いない。では、誰にとっても英語が一番便利である事は承知の上で、仮に或国がそのルールに異を唱えたらどうなるかを想像してほしい。あまりの非現実性に皆が困惑する事は間違いない。だが今回のG20サミットの本質はこの仮想の困惑と大差はない。だがまだ今はソレが前面に出る事で誰かが利するわけでもない。よって声明は中身に乏しいモノで終わるだろう。

そもそも米国はモンロー主義の影響で国力が発達途上だった19世紀末までは欧州の大会議には無関心だった。そして第一次世界大戦後いきなり実質トップに躍りでた後は、言語もさることながら、西側圏内での国際会議で米国は他国の流儀や価値観を前提にする必要はなかったと考えられる。だがその米国の覇権国家として実力が衰える過程での今回の会議ではそうはいかない。ただ英語だけで事足りてきた現代米国人は、言語も含めて物事を客観的に見る癖が付いていないのが実情だ。

そんな中で米国は「成長」を会議で前面に出す。だが参加国の中には成長と社会や地球環境とのバランス、更には金融という虚構の世界に傾きすぎた事を反省し、文化や宗教を通して国家の価値観の再構築に重点を置く国も出てきている。当然オバマ政権はこの状況を判っている。だが、国内の米国人は自分の資産が減った事は自覚しても米国の国力が相対的に衰えたと自覚する機会はまだない。従って彼らには米国が会議の中心であり、その主張はこれまで他国が追随すると漠然と考えているに違いない。


ただ欧州での会議がラテン語系で行われるようになれば、米国人も「その事」に気づくだろう。英国はその可能性が笑い話ではない事に既に気づいているかもしれない。




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