2009年7月30日木曜日

天災・人災・政災

冷静に考えて今株が下がるケースは三つ。天災/人災/政災である。裏を返すとサイドラインに大量の資金が待ち構えているとここまで脅さては、その信憑性はともかく自立調整は難しい。そしてこんな時は経済指標は重要ではない。なぜなら人は自信に満ち溢れている時、どんな指標にもプラスの可能性を感じてしまうからだ。

そして株は大きく下がるならばギャップダウンで始まる可能性が高い。今の市場参加者にとって重要なのはチャート。それはこの上昇でも確認できた。よって論理的にはその逆も起こりうる。だが、参加者が強気で自律調整が難しいとなると、下がるためにはギャップダウンで始まり、窓埋め後に下落が始まるパターンが必要だ。その可能性としては「天災」と「人災」が有力。

「人災」はテロ行為を指し、「天災」は中国などの成長地区での疫病の発生などのケースが考えられる。いずれにしても人々の活動が停止するのが条件であり、需要を発生する地震などの破壊的災害は今の地合いでは米国株にとって買い材料になる可能性がある。

そして最後の「政災」は結局は元の姿に戻ろうとしている米国をオバマ政権がどうするかという意味だ。或いはその米国に対して世界が、特に中国がどう出るかである。例えば本日のNYTIMESには次の様な記事がある。

米国の企業年金が破たんした場合の政府の保証機関PBGC(Pension Benefit Guarantee corporation )ではその50B(5兆円)の運用を担当する「旨い仕事」を巡って一騒動があった。まず同社に2007年に新しい運用責任者が着任。すると早々にGSとBLACK ROCKが接触した。そして数々の接待をを含めた営業活動が功を奏しこの2社は運用を任される事になった。

しかしその運用担当という「美味しい仕事」を巡る「入札」(この場合は総合的な提案)で担当者が2社に便宜を図ったとの論議が巻き起こった。その結果この2社と「サブ」として任命されたJPモルガンは入札の正当性を主張したにもかかわらず、PBGCの管轄当局はPBGCが決めた3社との契約を破棄させる異例の処置を断行したのである。

そもそも米国の金融機関の生き残り競争は既に勝負がついている。常識からすればその勝者であるGS / BLACK ROCK/ JP MORGANの3社が選ばれる事は自然だ。しかし接待がグレーの部分を誇張したとしても、管轄当局が参加の国営企業がいったん決めた契約を破棄させるという強硬手段に出た事は驚きである。

これは日本の簡保問題と比較しても興味深いが今後米国政府が金融機関に対してどういうかじ取りをするつもりなのかのヒントにもなる。政権は政府と特定の金融機関の癒着を糾弾するMEDIAの最近の動向に非常に敏感になり始めた。この様な動きが結果に株にとって「政災」につながる事もある。

最後に、個人的に「株の下げ」を望んでこの様な話をしているわけではない事を触れておく。ただ今の時代はあらゆる事態を事前に想定しておくことが重要であるという事である・・。






2009年7月29日水曜日

イカサマは悪か

今のアメリカの金融機関と比べれば、バブル崩壊後に日本の金融機関が受けたバッシングは相当なモノだった。ただ銀行と証券ではバッシングの内容に多少違いがあり、銀行は日本の銀行に期待される社会的責任を果たさなかった事を非難され、一方で証券は4大証券に誘導された日本の株式市場そのものが評論家からは個人投資家を食い物にする「イカサマ博打場」と言われた。そしてガリバーの野村証券はその「胴元」という金看板を背負っていると言われた。しかし相場とは基本的にイカサマ博打だ。その本質は古今東西変わらず、イカサマが定期的に明るみに出ると、誰かが代表で禊を果たす事で人々はその罪を忘れた。そしてまた欲望は同じ事を繰り返した。

ただイカサマは素人がいなければ成立しない。ならば情報とシステムの格差が潰れた今、世界中からの有象無象の参加者が参入する株や債券、また為替等の主力市場では値動きにイカサマを張る事は最早難しい。よって今の時代のイカサマとは国家戦略そのものになった。そうなると最早誰もイカサマとは言わない。そんな中で大量の素人が純粋な相場をイメージして参入したのが昨年までの商品相場だ。特に原油の先物市場は華々しかった。(コーンなどはイカサマというよりは完全にブームだった)

そもそもオイルに関する指標ほど信憑性が疑わしいものはない。以前にBPの米国のオペレーションの関係者の話を紹介したが、元々はBPやシェル等の生産者のサークル、言わばプロ同士が鎬を削った先物市場に素人が参入した事は素人にとって本来愚かしい事だった。なぜならBPやシェルは統計上の数値も提供する立場。例えるなら、FRBが純粋な市場プレーヤーとして牛耳る金利市場でそのままFEDの指標の賭けに突入するに等しい話だ。結果、BPでも$100M(年収100億)プレーヤーが簡単に生まれた。

その原油の先物市場を終にCFTC(米国の管轄局)が規制を始めるという。だが欧州の当局は同じ規制に反対している。この違いは、生産者のサークルといっても先物を使わないエクソンを抱える米国と、トレーデイング収益が重要なBPとシェルを抱える欧州とでは多少立場が異なるのだろう (最大手のエクソンが先物市場を殆ど使わない話は前述のBP関係者の話。また彼によれば、原油先物の4強と言えばBP,シェルにゴールドマンとモルガンスタンレーを指すという) 。またCFTCはスペキュレーターの縦玉を規制する事で異常な価格変動を抑えるとの建前を言う。だが本当の意図は違うはずだ。そもそもCFTCは大した役所ではない。従って不正の実態を承知していてもソレをただす政治力がこれまで無かったのである。

その象徴がブッシュ政権初期のデリバテイブ関連の部分的規制強化だろう。この時規制の対象外とされたのが金融以外では電力とOILだった。OILと電力はまさにブッシュのお膝元に直結していた。結果CFTCはその後に起こったエンロン崩壊や昨年のオイル高騰では全く無力だった。だが政権が変わり状況が変わった。ただしCFTCが主張するスペキュレーションの縦玉を更に規制する案は市場の効果を削ぐとの批判が強い。確かに現状では誰がスペックで、誰がヘッジャーなのかの業際もはっきりしない。ただ一つ言える事がある。それは仮にスペキュレーションを素人と定義するなら、その参入を規制する事で原油先物市場を元のプロ同士の市場に閉じ込める事は出来るかもしれない。プロだけならイカサマはできない・・。


2009年7月28日火曜日

9兆ドルの不思議

著名エコノミストのエドハイマン氏によると、現在「米国経済は底打ちを完了したと」考えるファンドマネージャーの8割はLONG ONLY(株の買いだけを行う)のファンドを担当しているとの事。そもそも今の時代にLONG ONLYのファンドがどのくらい存在するのか定かではないが、確かに警戒心を解いていないファンドマネージャーは散見されるものの弱気な評論家は完全に姿を消した。姿を消したというのはそういう人はもういらないという事だろう。よってCNBCにも出してもらえない・・。

一方今日の相場ではサイドラインのマネーの金額がCNBCに登場したファンドマネージャーによると9兆ドル(900兆円)まで増加していた。先週までこの数字は4兆ドルと言われていた。恐らく4兆ドルの根拠は現在MMF等に停留する資金。ではこの9兆ドルの根拠とは何か。彼は説明しなかった。ただ根拠がなんであるにせよ、MMFを含めてサイドラインの資金がそのまま消費と投資に向かうなら米国人の貯蓄率は再びマイナスへ転じる事は必定である。

そしてクレジット市場ではリーマンショックの前の水準に戻ったというのが合言葉になっている。その時点で米国のダウは10000以上を維持していた事から強気派は株も当然その水準まで戻ると確信している。しかしならばリーマンショック以前の異常なクレジットの緩和が最終的に崩壊を招いたという反省も今の米国からは消えた事になる。

いずれにしてもここから先の相場感はその人の哲学によって決めればよい。無論資金の運用は現実に沿う必要がある。だがここから先は相場感と実際の対応が違うのは不自然ではない。ただこの米国が最終的にどんな運命になるか、その賭けに世界はいずれ直面する。その最大の荒波を生き残る為には本質の相場感をどこかで感じていなければならない。そのためには日々の相場にも哲学が必要だ。米国人にはこの哲学はただの弱気、だが日本人には最後は贈り物と確信している。

そしてそこにまだ人が生活し、多少なりとも金があればどこかで必ずボトムアウト(景気の底打ち)は形成される。それが「日本の失われた10年」型になるか、或いは80年代の米国が経験したWボトム型になるかがこれまでの争点だった。ところが今米国ではそのどちらも回避できると多くの人が考え始めた。理由は「バーナンケはボルカーではなかった」という事だ。確かにボルカーは病み上がりの米国を超高金利で痛めつけた。ただそれが彼の信念だった。  (ボルカーはグリーンスパンの前任のFED議長。70年代のOILショック後のインフレを政策金利を20%まで引き上げる事で対応した。しかし結果放漫経営だった住宅ローン会社が逆ザヤから破綻、政府は今回と同じく救済策を余儀なくされた。ただその過程では60人以上の逮捕者を出し、経営者のモラルの立て直しには貢献したと言われている・・)

不思議な事に今ボルカーはバーナンケと同じ船に乗っている。これがこの政権の実体だ。オバマは個人として魅力的、でもやはり若い。彼の魅力だけでは政権の人脈を統治する事はできない。結果この政権からはブッシュ政権を支えた金太郎飴の様な統一性は消えた。そしてこの政権は危機直後に市場を司る金融機関に対し強く反省を促したが結局は場当たり的対応を余儀なくされただけで終わってしまった。そして今は何も変わっていない実態がここにある。

本当に9兆ドルがそこにあるなら米国は借金を返す事を考えないのか。これまでの米国は借金を返すのではなく、その資金を投資や消費に回し世界経済をけん引してきた。その恩恵を債権国は受ける事が出来た。だから債権国が米債を購入してバランスを保ってきた。だが世界の新しい枠組みでは世界経済をけん引する消費大国としての期待は米国から中国に移り始めている。そんな中でオバマはこの実体をどうするのだろう。そして世界はその米国にどう対処していくのか、それがそのまま現実の相場にも反映されるだろう・・。



2009年7月24日金曜日

マネー主義のその先

NHKのマネー資本主義、全5回を見終わった。見終わった感想は、過去のNHK特集の中で、ここまで「米国的なモノ」を否定した作品はあまりなかったという印象。

この事は、米国との同盟関係は不変ながらも、価値観においては米国からの日本の独立を後押しするNHKのスタンスを明確にしたと言える。その意味でこの特集は画期的だった。

そもそもこのシリーズは、初回で雑誌に提供した自分の比喩が使われた事から注視してきた。
そしてその最終回は、ハーバード等のMBAでの教えが金融危機を招いたと自己批判を展開するハーバードの教授の紹介で始まった。

そういえばブッシュがハーバードのMBA出身だった事に関連し、MBA編重がこの国を滅ぼすだろうとの「視点」を出したのは3年前だ。背景はフラット化が加速した当時、国家間のスプレッドが消滅したの事を受け、米国は国内にそれまではなかったスプレッド(極端な格差)を創造し、市場原理の有利性を維持する政策に出たと感じたからだ。

丁度その前後から健康保険を持たない人の不満が高まり、学費高騰が真剣に議論され始めた。そして思い出すのはバフェットとビルゲイツの憂いだ。二人は当時の対談で、MIT等の優秀な学生は外国人で占められ、米国人の優秀な学生は理系でさえも学費が高騰したためにそのコストを速く回収しようと多くが基礎研究を辞めて給料の高いWSに向かっていると嘆いていた。

またその最終回では他にも面白い顔ぶれが登場していた。糸井重里氏は流石にコピーライター、彼は「人は自分の身長や体重は知っている。だが欲望を測った事はなく、また学校でもソレは教えない」と、本質を短いフレーズで現わす技は冴えていた。

また実業家の原丈人氏は「実は今ほど日本が有利な状態に置かれた事はない」と断言。理由として「先進国の中でも日本の様にお金以外の価値観とテクノロジー基盤の両方が備わった国は他にはない」と、悲観論者には目から鱗の話をしていた。

そして究極は米国人投資家のジムチャノス氏だ。彼は著名なヘッジファンドのトップでCNBCにも時より出演する。NHKでは「カラ売り王」などと紹介されていたが、彼は昨年の相場の主役のCDSと株の空売りの裁定を仕掛けるようなヘッジファンドではない。

むしろバフェットの逆。長い時間をかけ矛盾が露呈されるのを待つ本質重視の投資家である。その彼はどこまでも「市場原理は正しい」としながらも、但し、市場原理が機能するなら中途半端な救済をしてはならないとし、今の米国は問題を先送りしているにすぎないと米国人の彼が一番自国の状態に悲観していた。

そして番組は最後に「金融危機を繰り返さないためには」というテーマで締めくくった。だがそのコーナーは無駄だ。なぜなら資本主義である以上は金融危機は必ず繰り返すからだ。その意味ではNHKの試みとは別に、マネーの主義の先にはまた別のマネー主義が待っているにすぎない。

ただこの様な番組を継続する事で、今の米国から距離を置く事は可能だ。チャノス氏が危惧する様に、今の米国は市場原理と社会主義の混合状態。そしてその米国では危機の教訓さえ薄れ始めている。そんな米国をみていると次の危機は早くやってくると感じる。米国が学ばないとしたら最早その米国に付き合う必要はなく、世界が先に米国を見放すはずだ。

サマーズ/ガイトナー/バーナンケの3人は、金融システムを救う名目でまず金持ちを救くった。今のところその政策は間違ったとは言えない。ではなぜオバマがこれ程情熱を注ぐ新しい健康保険制度が成立しないのか。

それは負担増になる可能性がある富裕層が反対しているからだ。繰り返すが、今回の社会主義的救済処置で最も救われたのは彼ら富裕層。しかし彼等は自分が社会主義政策の負担をするのは今度は市場原理を持ちだして嫌だと言っている。だがそんな矛盾が続くとは思えない・・。


2009年7月23日木曜日

TVの主張

唐突だが、テレビ朝日の「必殺シリーズ」は緒方拳が藤枝梅安を演じていた頃からみていた。あの番組が始まったのは1970年代。70年代はどことなく今に近い。世界経済が低迷した70年代には日本でも、また実は米国でもその後何度も再放送されたTVの人気シリーズが生まれている。今の子供が親しむ人気キャラクターの多くが70年代に生まれているし、米国でも70年代モノは「大草原の小さな家」等の教養モノ以外でも3大ネットワークの一部はゴールデンタイムに再放送の枠を設けている。その意味では経済が停滞しても、そんな時代にはそれはそれで何か価値があるものがどこかで生まれているのだ。

さてその必殺シリーズも時代と共に俳優の格は堕ちてしまったが、最新シリーズで流れていたこのセリフだけは良かった「金は天下の回りモノ、しかし今じゃは天下が金の回しモノ・・」そして今日は録画しておいたNHKのマネー資本主義の第4回を見た。第4回は金融工学の特集だった。恐らく専門家が指導したのだろう、CDSやCDO等の難解な商品を普通の人にも理解できるように解説した製作者の力量には驚嘆した。そして内容はこれまで同様に暴走した金融機関に反省を促す構図だった。米国ではまだこの趣旨の番組を流していないが、番組では最後に危機が遠ざかり、再び動き始めたお金は今度は災害を予想した保険(証券)に向かい始めている事を紹介していた。

お金がありすぎるとお金の方が世の中に居場所を要求する。その結果新しく市場が生まれ、そしていつか行き過ぎてつぶれる。お金が余る以上は同じことが起き、またつぶれる。まさに今の時代、天下とはその時に有り余ったお金が人間に向けて遣わした社会である。ならば災害保険にお金が行くという現象は、人間社会は終に自分でアルマゲドンを呼び込んでいるような気がしてならない。

ところで米国では本日モルガンスタンレーの決算が発表された。同社の決算に対して、CNBCのゲスパリーノ氏の本日のコメントが最も本質を現わしているので紹介する。彼は「GSは政府から銀行の肩書を得ると、その安い資金で再び巨額のリスクを取り始めた。当初自分は(ゲスパリーノ本人)ソレはモラルの点で問題があると感じた。だが間違っていた。なぜならGSにその行為をさせているのは実は政府だ。政府はこのままでは不良資産の解消が進まないので、金融機関が市場で再びリスクを取って儲ける事で損失を解消させる事を容認している。GSにはその流動性を市場に提供する役割を期待している。だからモルガンスタンレーもGSと同じ事が出来たはずだ。しかしモルガンスタンレーはしなかった。・・」

ゲスパリーノ氏の分析は正しい。だがオバマ本人はその流れに同意してるとは思えない。彼が現実と理想の間でどんな舵取りをするのか、その覚悟が試される。さてこの様に米国はNHKが日本の社会に発しているメッセージとは全く逆の行動でている。ならば米国を模倣してきた日本がこれからどうするかにも注目だ。日本がどんな方向を望んでいるのか、それはこれから人気となるTV番組が教えてくれるだろう。


2009年7月22日水曜日

民主党の仕事

日本でも終に歴史的瞬間になるかもしれない総選挙の日程が決まった。 一方黒人大統領の誕生と議会勢力の大逆転の意味では先に歴史的選挙を経験したのが米国だ。しかし実際にオバマ政権が走り出した時米国は金融危機の真っ只中。結果その対応に追われて選挙戦を通して共和党と民主党が激突した新しいの米国の大綱は手つかずで放置された。そして金融危機が最悪期を脱したとの認識が広まる中、やっとオバマ政権と民主党議会はその本題に着手した。それが「健康保険」である。

そもそもブッシュ政権末期、大統領選挙は「健康保険を制した者」が勝つと言われた。よって健康保険制度の改革に大統領夫人だった頃から直接関わったヒラリーを中心に序盤の選挙戦は回った。だが結果は別の意味で歴史的。ただオバマにとっても健康保険が最大のテーマであった。またそれは同時に選ばれた多くの民主党議員も同じだ。言い換えればブッシュ政権にとっての「錦の御旗」が対テロ対策だったとするなら、本来この政権の御旗は「国民皆保険の実現」でなければならない。さもないと私の様な「第三者」としては歴史的だった選挙の意味が無くなるのである。

その「第三者」として資本主義が齎した消費社会の頂点ともいえた米国で暮らしながら5000万人の米国人が健康保険を持たずに困窮する様を見るのは不思議な気がした。高齢者と低所得者には不完全ながらも政府による保険制度が存在した中、世帯年収が400万円から1000万円の中間層にとっても保険は高額だった。その実体を眺め、表向きは「自分の事は自分で責任を持つ」との開拓者精神を標榜してこの問題に手をつけなかったブッシュ政権の本当の狙いが在米期間が長くなるにつれて次第に理解できた。それは高騰した学費も同じ背景だった。まず保険が最も必要な子供を抱える中間層が保険を十分に持つと、当然保険会社は儲からない。これは市場原理で資本家優遇策を取ったブッシュ政権には受け入れられなかった。そして学費に関しては徴兵制が廃止された今の米国でも十分に若い兵員を補充するためには大学のコストが安すぎると実は困る。なぜなら若者の多くは年間の学費が300万円を超えた大学にはいけない。その欠陥を補ったのが軍隊である。米軍には8年の強制兵役を終えれば学費補助制度が適用される。実はこの制度が200万人の米軍の補充を支えていたのである。

この様な市場原理と右傾化の極致だったブッシュ時代の論理を敢えて例えるなら、政府は中間層に対し、保険料が高すぎて給料からでは払えないなら代わりに保険会社の株でも買えと促していた様なモノだった。だがやはりソレは行き過ぎた。結果限界に達した中間層の多くが民主党支持に回った。そして先週、終に民主党議会は新しい国民皆保険の草案を提出、その予算として130兆円を提示した。内容は国民は現行の民間保険と政府保険のどちらでも選択できるモノ。そして民間から政府保険に大移動が発生した場合、国家予算の超過分は年収3000万円以上の富裕者層が負担する内容となっていた。これはオバマが選挙戦で主張した案に近い。

ただ年収1億円超の層の負担が5%まで上昇するのに対し、3000万円以下の負担増がないのは極端すぎた。この案では高所得の民主党支持者から反発が予想されるため、本日民主党議会は修正案も提出した。ただ一方で本日オバマは別件で面白い声明を出している。そこで彼は金融機関が再び過剰利益を追い求める事は許さないと強調していた。実は今回の救済劇で最も助かった個人層は前述の年収1億以上でどちらかというと民主党支持が多い都会の金融関係者である。私にはこのオバマの声明は変則ながら彼等に対しての警告にも感じられた。そして警告とは次の様なモノだ。「確かに貴方の負担は大きいかもしれない。だが救済で最初に助かったのは貴方のはずだ。ここは同じ米国人としてこの程度の負担は当然ではないか」と。そう、オバマの取り巻きにはブッシュが残したスプレッドをそのままに、一方で民主党主導で始まった救済の恩恵も十分に受けたいと願うクリントン政権から引き継いだ輩がまだまだ多い。この矛盾がオバマ政権の限界をいずれ露呈すると感じる中スプレッドを適正水準に戻したい彼の覚悟が試される。

いずれにしてもこの保険制度法案がどんな妥協点を見出すかが米国の残りの夏のテーマである。そしてその顛末は秋口の金融市場にも影響を及ぼすだろう。繰り返すが、民主党政権が誕生したのそれなりの歴史的転換を促進するエネルギーがあっての事である。従って結果米国の行く末がどんなものになるかとは別に、傍観者としては民主党には「民主党らしい仕事」をしてもらいたい。そしてそれは日本の民主党にも言えるのではないか。





2009年7月21日火曜日

もう一つの投資銀行 

その投資銀行の株主構成が一般に知らされる事はこれまで殆ど無かった。だが昨年あたりから大手メディアのフォーカスが当たるようになり、最早隠す事はできなくなった。そして今日のワシントンポスト紙によれば、今のトップ、GS出身のダッドレー氏は大株主のJPのJMダイモンとGEのイメルトが推薦したようだ。ただこの投資銀行が他と違うのは株主に配当を出さない点。利益は国庫に入る。だから一般的にはこの投資銀行は政府系機関と勘違いされている。だがそこはやはり「投資銀行」だ。実際にマンハッタンのWS近隣にあり、構内にはバーもある。コロンビア大などのMBA出身、30歳前後のスタッフがWSのトレーディングルームさながらの緊張した部屋から解放されるために集う。

確かに他の投資銀行に比べ少しばかり給料は低いかもしれない。それでもオバマ政権の閣僚の大半の年収が20万ドル以下である中、200人前後のスタッフの給料は20万ドルを超える。彼らはWSと直結して任務を行うのでそこにあまりの給料格差があると支障をきたすのだろうか。そしてこの投資銀行はワシントンで決まる政策を実際に遂行する要である。だからワシントンに向けて現場の立場に立った意見を述べる事もある。その際は実務経験のないワシントンは黙るしかない。ただ学者達はそれでは結果的に視野が目先の利益にとらわれ過ぎると批判する者もいる。実務の現場の意見を優先するのか、あるいはあくまでも机上の論理を追求するのか。どこの組織でも繰り返された議論。個人的にはここまでのその投資銀行の役割は否定しない。だが最近の人事の歪さとこの状況下でその投資銀行にレギュレーターとしての役割まで任せる事には無理を感じる。

お判りだろう、その投資銀行とはNYFEDの事だ。そして今米国では、オバマ本人への評価はともかく、各政策に対する支持率が軒並み低下している。金融のGDPが全体の4割を超えた米国では、実はNYFEDを取り巻く構造は米国の縮図でもある。言い換えるとこの銀行を探っていくと今の米国の本質が見える。だから今までは隠れていた話をメディアもするようになった。理由は二つ。国民が知りたがり始めた事。そして今の米国にはとりあえず危機を脱したという余裕がある事だ。

金融危機を脱するために様々な手段を講じたFEDは助かった金融機関からすればヒーローだったはず。だがそのFEDに対して同じ米国人でもは逆の怒りをもつ人々も大勢いる。そんな風を受けて今FEDは永年あのエンロンを擁護した著名なロビイスト雇って議会対策をしている。FEDが真に国家機関ならなぜそんな事をする必要があるのか。これも永年に渡る自民党と官僚による中央集権体制と単一のメディアの論調に慣れてしまった日本人には判りにくい米国の民主主義の一面である。






2009年7月17日金曜日

GS回廊

本日はブッシュ政権の財務長官だったポールソンが議会証言に立った。理由は金融危機でリーマンに続きメリルリンチが崩壊しかかった時、一旦はメリル買収を表明していたBA(バンクオブアメリカ)のルイス会長の腰が引けたのをみると、ポールソンがバーナンケと結託してルイス会長を脅し、強引に買収を成立させた事が問われたのである。しかし質疑応答は途中から本題のメリルとBAの合併話から外れ、質問は混乱の中で巨額の利益を上げたGS(ゴールドマンサックス)との関係に移った。

ポールソンがGS出身である事で彼の持ち株、またNY FEDの会長と頭取の人事(共にGS出身)更に政権内の重要ポストを占める旧GS関係者の利害関係を議員達は集中的に質問していた。ところでなぜこの様にGSばかりが目立つのか。改めてこのトレンドの起点を思い出してみると、浮かんだ結論はルービンである。

GSは昔から人材面で一流だったにせよ、ここまで躍進したのはやはりクリントン政権でルービンが財務長官になって以降である。ただそのルービンは本来は財務長官の第一候補ではなかった。クリントン政権の最初の財務長官はベンツエン。だが政権発足から高齢の彼が2年で交代する事は既定路線だったらしく、私が渡米した93年には既に次の候補が言われていた。そして確実視されていたのが副長官だったロジャーアルトマンだった。リーマン出身の彼はカーター政権でクライスラー救済等に活躍。その後リーマンとブラックストーンで重役を務めた。そしてクリントン政権発足と同時に財務副長官に抜擢され出番を待っていた。ところが彼は長官就任目前で突然スキャンダルにみまわれる。代わって選ばれたのがのルービンだった。

その後アルトマンは民間で充電、選挙期間中はヒラリーが大統領になった場合の有力な財務長官候補だった。ではもしクリントン政権でルービンでなく予定通りアルトマンが政権に入っていればリーマンの運命は違っていたか。ソレは判らない。だがGSは上場を90年代後半までしなかった事が示す通り、「秘密主義が儲かる」という事を実践した点で明らかにGSはリーマンより上である。逆に90年代は上場商品のトレードでGSが強かったイメージは全くないが、冷戦が終結し世界が緊張から米国型の市場原理への収斂に向かう過程ではGSの力はまさに時を得たといえる。

そして今はその市場原理が揺らいだショックの最中だ。だがここでもGSだけが活躍している。これはブッシュ政権があまりにもイラクに偏りすぎ、金融はグリーンススパンFEDに任せた期間が長すぎた為、GSは「オセロゲーム」を完全に支配してしまい、今は市場原理が揺らぐ事態が発生しても、崩壊を防ぐためには四隅を抑えているGSを頼りにせざるを得ないという自然の成り行きである。

そして勝負は次の段階に入った。今日はオバマ政権がCIT救済を拒否。オバマ大統領自身がその決断をしたという話が流れた。これはWSと自動車の救済が終わり、今後は安易に企業を救済しないという姿勢を示す事で他の重要案件を進めたい意向の表れだ。だがこれでは生殺与奪を政権が決めるという非アメリカ的状況である。

全員を救うと社会主義。ソレは嫌だが生殺与奪を政権が決めるとなると普通は権力に逆らえない。WSでは既に四隅を抑え政権側に立つGSとその変化に素早く対応したダイモン氏のJPモルガンの評価が高い。その意味では政府の意向に背いた先のPIMCOの決断は興味深いが、このまま米国が政権主導の経済を万進すると最後にどこに行きつくか。米国の歴史をどう眺めても、ソレは第二次世界大戦前のフランクリン ルーズベルトの時代しか見当たらない。


2009年7月16日木曜日

雑草の青芽

まるで中国経済の傘下に入った様な米国の株式市場。この国は国家より先に金融市場が中国に降参している。ただその中国の指標も明日が終われば30日まではない。よって明日株はピークだろう。そしてその後の相場の主役はアーノルドシュワルツネッガーになる・・。(カリフォルニア州の破綻の可能性など)

ところでCNBCでは今週の株の戻りが本物がどうかの議論で盛り上がっていた。その過程で某ファンドマネージャーが現在4兆ドルの資金がサイドラインにあるとコメントしていた。そもそもCNBCに登場する人々はファンドマネージャーは当然のこと、時より見かける若輩アナリストを除けば大半が年収1M以上の金融市場関係者だ。私からすればその彼等が何をどう分析してもその視点は彼等自身のモノであり、真実は普通の生活者が一番知っている。そしてその4兆ドルはそのままでは一般大衆を潤す事はない。なぜならその資金は以前にも増して非情なリターンを追い求める宿命にあるからだ。この構造はバーナンケが今後どれだけ流動性を提供しても変わらない。そして次に災いが起こる時、それは所謂バブルの破裂ではない。寧ろ市場の外に行き場がなかった資金がどこかに溜まり自身の重みで自滅する。或いは過剰リターンを追い求めた過ぎた結果、最後は自分自身を殺しに行く展開ではないかと考える。

結局待ち受ける宿命は次のどちらかだろう。上記のパターンを避ける為、米国でも政治が更に経済に介入、経済は流動性を管理しながらより計画経済に移行する。或いは最後に市場原理がぶり返して死にかけの構造を完全に破壊し切ってから次世代へつなぐ。政治情勢は前者が圧倒的優勢である。ただ後者を望む共和党保守派が今後どんな巻き返しに出るか、個人的には彼等に注目している。そして一つはっきりしている事がある。それはCNBCでこれまで言わてきたGREEN SHOOTSは本物ではないという事だ。朽ちかけた巨木も全体がゆっくりと死んでいく過程で季節によって枝葉には青葉が付く事がある。今の米国はこの状況に等しい。なぜならGREEN SHOOTSを盛んに叫ぶ人々の大半がその巨木自身だからである。本当のGREEN SHOOTSとはその昔は隆々とした森林の巨木群が根まで朽ち果て、その後どこからか飛んできた種が発芽した青芽の事だ。そしてその芽は雑草の強さを持つ。いずれにしても今の米国はまだその過程ではない・・。


2009年7月11日土曜日

ワイマール共和国

私事だが妻は時より洋菓子教室を開く。そこに昨日は珍しい中国人の女性が来たという。40歳前後らしいその女性はメーカー勤務の日本人男性の妻として今は「駐妻」をENJOYする立場。だが幼少の頃は普通の中国の生活を経験したという。そして彼女が妻に話した普通の中国の生活は非常に興味深かった。まず母親は動物園の飼育係だったらしいが、その動物園では飼っていた動物が死ぬとその死体を切り分け、スタッフで持ち帰って夕飯のおかずにしたという。おかげで彼女は幼い頃からクマやサルは当然の事、トラの肉まで食べたという。そしてその動物園では毛沢東や鄧小平等の国家主席級が亡くなると、彼らに因んで名前が付けられていた動物たちもみな殉死させられたという。

そんな話を聞きながら最近の米国を改めて眺めると、大底を確認したはずの経済の雲行きが怪しくなり、ここまでに使った大金に対する責任やこれからの処方箋に対して喧々諤々の議論が始まっている。FED議長の再任を巡る話が今から出ているのはその一端だが、米国と中国のG2体制が出来上がりつつある中米国の民主主義の伝統と中国の一党支配国家主義は今後の国際情勢の中でどちらにどんな影響を残すのか。

まず米国ではワシントンに足を向けられない金融や自動車関連と、古き良き保守をめざす西地区がミシガン湖を挟んで割れている事を紹介した。現状ワシントンは東の富を守る政策と、その既得権益を守る勢力が議会では重要なポストを占めている。その政府の意向に対してバッシングを承知でPIMCOが自己の利益を優先した。私には同社は仮に国家として米国が沈んでも、自分は沈まない選択をしたと考えているが、ソレが可能なのが米国である。だが民主主義は時に国家として纏まりの弱さを露呈する事もある。ただソレは米国が未経験の民主主義だろう。ざっくり言いうと、これまでの米国は資本主義との両輪で究極的には「右肩上がりの民主主義」を経験した。そしてこれからは「右肩下がり」の民主主義がどんなものになるか。その実験段階に入ったと個人的には考えている。

ところで繁栄の象徴としての資本主義と民主主義が鼓動をはじめた頃、国家主義が一番強い瞬間があった。いうまでもなくそれは第二次世界大戦前の日独だ。だが先週シカゴにオープンしたホロコースト記念館に行き、そこの資料から当時の日独は似ている様で実は似ていない事が改めて確認された。言い換えるとヒトラーは当時世界で最も民主的とされたワイマール憲法下で民主的に選ばれたが、東條内閣は同国の優れた憲法を土台にしながらも統帥権という付属物の結果として生まれた。ヒトラーはこの民主共和国の憲法下で徐々に議席を拡大、国民の意思で権力を手中にした。そして大統領の死後、権力を統合してドイツ帝国を誕生させたのである。

ではなぜ民主主義体制だったワイマール共和国はナチスドイツへと変貌したのか。理由は困窮である。敗戦(第一次世界大戦)からのハイパーインフレと世界恐慌からの失業はドイツ国民を民主主義などどうでもよいところまで追い込んだ。道は二つ、共産(社会)主義か国家主義だった。ドイツではヒトラーを擁した後者が勝利、そしてこの国は強かった。スペインを除く欧州大陸の殆どを支配、残ったのは英国だけ。その過程で教養も理性も優れていたはずのドイツ人はヒトラーに陶酔した。そうだ。私にとっての「右肩下がりの民主主義」の象徴がこのワイマール共和国である。ただたとえ米国がワイマール共和国の苦痛をこれから味わったとしてもこの国がドイツ帝国化する事はない。寧ろ可能性としては無意識の内に「非」資本主義国家へ変貌してしまう可能性は残る。一方でその米国に組みしながらも嘗てドイツの強さ源泉だった国家主義を捨てないが中国ではないだろうか・・。


最後に、妻の話を聞いていた米国育ちの子供たちは改めて中国に対して嫌悪感を現わしていた。彼らは日本人がクジラを食べる事もいやだという。しかし思想も自由、何もかも恵まれたこの米国という環境で育った彼らが最後中国の支配下に入る可能性を私個人はどうしても否定できない・・。




2009年7月9日木曜日

影の主役

ケネディーが主役の様々なドラマに必ず登場してきたマクナマラが遂に亡くなった.93歳の大往生だった。彼の現役時代は知らない。だが一回見れば絶対に忘れない風貌とあの時代の貴重な生存者として研究の対象だった。ここで仮定の話をする。仮に不測の事態が今オバマに起こると、大統領は今話題のバイデンになる。

近年ジョンソン副大統領は映画などで露骨にケネディ暗殺の黒幕の一人のように扱われる。ただ当時の米国人は暗殺を受け、ケネディーの持っていたカッコよさと(恐らく日本人が石原裕次郎に感じたモノ)、政治家として年輪を重ねる事で染み付いたジョンソンの風貌との落差にまずはショックを受けたという。(HISTORY CHANNEL :THE PRESIDENTから・・)

それに比べれば、今のオバマとバイデンの風貌の落差は小さい。そしてケネディとジョンソンの時代、米国にとっての最大の難題はベトナムだった。その意味ではこの時代の表の主役はケネデイーとジョンソンとしても、陰の主役は二人が抱えたベトナムという難問を一貫して仕切ってきたマクナマラであったと考える事も出来る。そんな中で市場では週末のバイデンの発言めぐって新たなる材料が飛び出してきた。早速オバマはバイデンの発言を否定したが、政権発足以来初めて表舞台に登場したバイデンが意図せず早々にオバマに否定される展開を強いらた事はどこかにしこりを残さないだろうか。

バイデンは陽気なおじさん、オバマが選挙に勝つ為に用意された存在と片付ける事も可能かもしれない。だが大勢がそのような軽挙な風潮に傾くと、歴史は思わぬ結果を用意している事がある。個人的にジョンソンは暗殺には絡んでいないと考えているが、そのような嫌疑をかけられる状況が常に存在したのがあの時代である。そして其れが今はないと言い切れるだろうか。

本来この様な重要人物だったマクナマラの死は日本でもNHKが特集として取り上げてもよい題材である。そしてマクナマラ以降米国政治の影の主役はキッシンジャーに移り、今は影の重要人物としてブレジンスキーの名前が出る事がある。(カーター政権の要人)ただキッシンジャーはさすがに老いた。またその著書からはブレジンスキーを裏の要人とするのは抵抗がある。

まあこの政権の命運がどんなものであるにせよ、米国という国はよりドラマ性の強い展開に自然と引き込まれていく運命にあると感じてきた。一方で自分も含め、ことの他相場関係者は何事も相場の材料としてしか考えない風潮がある。言い換えるとソレ意外には興味を示さない割には自分が万能だと勘違いしている人もいる。だが予感がある間は市場の話題に関しての軽挙妄動は控えたい。根拠はないがその謙虚さが歴史が今を生きる現代人に対して与えるメッセージではないだろうか。


2009年7月8日水曜日

オバマ チルドレン

こちらから見てもどうやら日本の政局が煮詰まってきた。自民党は静岡県知事選や東国原宮崎県知事との関係をみてもその衰退感を国民に露呈した。そんな中で東国原氏個人に対しては賛否両論がある様子。実は米国でも似たような現象がある。ソレはミネソタ州の話だ。ミネソタは白人の比率が高く(88%)、カソリックよりもプロテスタントが多い「古い米国」を色濃く残した中西部の州だ。シカゴからは7時間ほどなので何回が車で通ったが、はっきり言って田舎の州である。だが州民一人辺りの所得は米国で10番と高く、また昨今は大半の州で雇用が削減される中で州都のミネアポリスでは地方公務員の雇用を拡大。都会で職を失った金融マンが同地に移り住む話まで特集になったほどである。

そしてこの保守中の保守であるミネソタ州は政治家を選ぶ点では実は米国で最も革新的な結果を残している。まずは90年代後半にはカリフォルニア州知事であるシュワルツネッッカーと映画プレデターで共演し、その後プロレスラーに転したジェシーベンチュラ氏を州知事として選んだ実績があり、また今回は政治家としては州知事より名誉職的な意味合いのある上院議員にコメディアンだったアルフランケン氏を選んだ。ミネソタの現状の好業績とその州民の特質からしてこの事実は大変興味深い。

では一体政治家に求めらる資質とは何か。当然時代によってその要素は異なるだろう。だが近年の米国史で最も輝やかしい評価のあのレーガン大統領の経歴が然り、結果的に米国の影響を受けてきた日本国民が政治家に対してどんな資質はを求めているいるかについて、気付いていないのは実は日本人自身なのかもしれない・・。

<オバマ チルドレン> 市況から

やはり昨日のSPの値動きがまやかしだった事は皆が知っていたた様子。本日は再び売り圧力が強い。そしてCNBCに登場するエコノミストには急に弱気ムードが漂い始めた。恐らくは本日発表された住宅ローンの延滞率が全く改善されない事、それどころか4~6月の株の上昇期間も悪化が続いていた事実にさすがの楽観論者も出番を失ったのだろう。ソレを受けて一部の人気取り優先の民主党上院議員はタイソン女史等の政権外部の民主党実力者に加わり、早速景気刺激策の第二段を言い始めた。まだ市場からその声は大きくない中で政治家が先に動いた様子である。この動きは昨日のバイデン副大統領の発言(政府は第二の刺激策を今は考えていない)を受けての事だろうが、これで政権がどう動くか。そこからが市場へのインパクトとなろう。今のところ株は昨日の安値を更新するリズムにある。(結果もその通り)


さてこれらの動きも含め、ミネソタの元コメデイアンが民主党として上院議員になった事で民主党のフィルバスター(牛歩)阻止体制が完成した事は米国にとってとんでもない結果を齎すリスクを感じる。なぜなら上院の任期は6年で任期が2年の下院とは違い、名誉職的な上院で一旦ついた「色」は簡単には変化しないからだ。また、そもそも下院は民意を反映する事でその時点の国の傾きを現わすのが使命としても、それを永年の知識と豊熟した人間性で党派を超え調整するのが本来は上院議員の使命だ。だから彼等を敬意を込めてセネター(SENATOR)と呼ぶ。(下院はCONGRESSMAN)。
しかしブッシュ時代の反動は大きく、オバマ大統領を生み出した勢いは多くの民主党系の新人を上院議員として「元老院」に送り出した。この状況は政治経験や無論実績も乏しい「トレンドの落とし子」である「小泉チルドレン」が米国においてはより重要な参議院を占める事態と考えればよい。民主主義(議会選挙)結果とはいえ、上下両院の存在する意義までも台無しにするような政治勢力のバランスの崩壊のリスクは大きい・・。








2009年7月7日火曜日

ジレット社の選択

この10年、世界の一流スポーツ選手の中で、「相場師」としても勝てるだろうと感じたスーパースターが二人いた。その二人とはタイガーウッズとロジャーフェデラーだ。その二人は昨日粗同時にスポーツ中継の主役になり、そして当然の如く勝った。ゴルフの不確実性からタイガーの試合は観戦してきた。ただフェデラーの試合は彼の独走態勢が始まってからは殆ど見なくなった。だが昨日のウインブルドン決勝では久しぶりに彼のプレイを堪能した。そしてその印象は最後に彼を見た時と同じだった。

その昔の試合もロディックが相手だった。当時二人の評価はそれほど開いていなかった。試合は地元の声援を背にロディックが優位に進めた事を覚えている。ところが雨の順延で流れが変わり、翌日ロディックは自滅した。そして昨日。確かにフェデラーの満月は欠け始めたのかもしれない。ロディックにもチャンスがあった様に思えた。だが史上最多数のゲームカウントとは裏腹に、状況に応じた勝ち方の着地点をイメージしているフェデラーに対し全力でぶつかるだけのロディックの無邪気さは5年前と同じ印象だった。

素人なのでテニスの技術論は控える。だがこの二人の差は技術の差というより、相場にも通じる全体の流れの中で、どういう形にせよ、最後に自分が勝ち残るパターンを意識している冷静なマネッジメント能力の差に思えてならない。そして一方のタイガーは今大会の格と選手の顔ぶれからしても、またゴルフ特有の不確実性を持ってしても彼のマネッジメント能力の方が勝っていた。楽勝だった

ところでこの二人に別の黒人スーパースター選手が加わり、3人で共演したTVコマーシャルがあった。2年前から始まったそのCMとはジレットのカミソリのCMだった。その商品は私自身も愛用していた。この3人のスーパースターと同じ商品を愛用する偶然に子供の様な喜びを感じた。ところが今年のCMでは3人目の黒人スター選手が降板となり、代わりにヤンキースのDジータが加わった。理由は明らかだった。大半の米国人とっては彼が誰だか判らない。何のスポーツの選手なのかさえ多くは知らなかったはずだ。だが彼は欧州ではタイガーとフェデラーと共演させてもさほど違和感はないと想像する。その黒人選手とは、バルセロナに移ったT オンリーだった。

今から思うとジレット社はなぜロナウジーニョを選ばなかったのだろう。当時のロナウジーニョはナイキのCMにも登場し、米国でもそれなりに顔は知れ渡っていたはずだ。まあよい。究極的結論は米国におけるゴルフとテニスに比べてたスポーツとしてのサッカーの価値。もっと言うなら他国では単なるスポーツの意義を超越する事もあるサッカーの米国における存在価値である。

そんなサッカーの価値に関してCNBCの常連コメンテーターであり、歴史家としても評価がある珍しい経歴のザッカリーカラベラ氏が面白い分析をブログでしていた(添付参照)。彼は先のコンフェデレーションカップで米国がブラジルに惜敗した事を喜んでいる。簡単にブログを要約すると、現在の欧州のサッカー列強であるスペイン/イタリア/蘭/英/独はそれぞれ皆が一時世界を支配した。だが今は国家の経済支配力は衰えた。そして国民はサッカーに夢中になった。また往年のサッカー王国ブラジルは近年BRICに数えられるられるようになり、その経済力が世界の注目を集めるようになった。だが逆にサッカーのランキングは下がっている。(現在はトップに返り咲いた)

この歴史的現象を米国に当てはめるなら、カラベラ氏からすると米国は絶対にサッカーが強くなってはならないという事である。なぜなら米国のサッカーが強くなるという事は、歴史的には米国の衰退の動かぬ証拠になるという分析である。最後に言うまでもなくゴルフやテニスは個人スポーツだ。よってタイガーやフェデラーの個人の卓越した能力はそのまま評価される。だが集団スポーツであるサッカーの個人評価は難しい。その分オンリーは不運だった。個人的にはストライカーでありながら状況に応じて力任せだけのシュートだではないオンリーの判断力は、日計りに徹すれば十分相場でも通用すると感じている・・。


<参考>

http://blog.rivertwice.com/2009/06/30/you-can-be-great-at-soccer-or-globally-dominant-you-cant-be-both/


2009年7月1日水曜日

桃源郷への懲りない願望

サブプライムなどの新商品を次々にぶち込んでは机上の空論で永遠の右肩上がりの成長を謳ったクレジット市場は、結局金融市場における幻の桃源郷だった。そして今、人々はその愚かさを悟り、様々なところでその反省が流行りになった(例えばNHK特集マネー資本主義など)。だが桃源郷はなにも小難しいオルタナとしてのクレジット市場だけではない。今の米国の株式市場は全く根拠のない回復説を前提にしている。いいかえればこれも新しい桃源郷である。本日はその話をしよう。

まず、3月から世界の株式市場は回復基調に入ったが、理由は二つある。一つは中国などの新興国が積極的な財政政策を打ち出した事。そしてもう一つは危機の震源地米国でも、それまで直因となった金融機関に対して厳しい態度だったオバマ政権が方針を変えた事だ。いくら金融機関が問題だったとはいえ、まずはその金融機関を助けない事には落ち込んだ実体経済にも回復のメドが立たない。その事に気付いたオバマ政権は3月中旬から金融機関への懲罰的態度を緩めたのである。

その結果世界の株式市場は回復した。だがその中でも米国の株の戻りは鈍い。そしてその戻りの鈍い米国の株式市場の戻り方を分析すると、まずは金融機関のうち政府の助けをかりながらも自発呼吸のメドが立った金融株が買い戻された。そして次に材料になったのは中国だ。ここがこれまでとは違う点。これまで米国の実体経済とその株式市場は世界経済の中心だった。しかし今はその米国の株式市場は中国という他国の成長(回復)に頼っているのが実情である。これでは世界の株式市場が戻り基調になっても米国が遅れるのは当然である。

ただそれでもここまで株が戻った事で、その効果が米国内の一般消費者の購買力に還元される期待が生まれていた。それが昨日までWSのエコノミストが掲げたストーリーだった。そして4月と5月の指標をみる限り順調に消費者の自信は回復したかに見えた。しかし本日発表された6月の消費者の自信は再び下落基調へと転じた。これはWSには衝撃的である。だが当然だ。なぜならいくら株が戻っても、米国の一般消費者の財布である住宅価格は下落のペースが鈍ったというだけで完全には下げ止まっていない。米国人は失業中でも住宅価格が上昇した事で消費を続けた。それがあのテロから金融危機発生までの米国の姿だ。それほどまでに重要で根幹である米国の住宅価格は簡単には上昇基調に戻せない。それほど住宅バブルの規模は大きかったのである。

では一体このWSのエコノミストのいい加減な予想は何だ。無論WSには株式市場の旗振り役としての使命がある。よって彼らがいつまでも悲観的では国家戦略上もプラスにならないのは事実だ。だが問題は彼らの予想が自分が政府に最初に助けられた事をいいことに、政府の救済が届かない一般庶民の懐までも簡単に回復すると錯覚している事である。

そこでちょうどいいCITIの事例がある。CITIはまだ政府からの税金による援助を受けている身。しかしその最中にもかかわらず、残った社員の給料のアップを発表した。その表向き理由は、早く救済処置の税金を返還する為には優秀な社員に会社に留まってもらう必要がある。そのためには給料の上昇が不可欠だというもの。しかし同社がタイタニック号だった事は先見性のある社員はとっくに悟って会社を辞めたのが実情である。言い換えれば、現在会社に残っている人はそれが出来なかった人々だ。その人々をして「優秀な社員に残ってもらう必要がある」とは笑い話である。

結局は米国の限界が露呈したという事だろう。限界とは寿命ともいえる。米国は、どんな時でも米国は永遠に成長すると公言してきたが、現状は矛盾している。なぜなら米国が本当にこれからも成長する若い国なら金融危機という大失敗も甘んじて受け入れたはずだからだ。受け入れる事は相当な苦痛を伴う。その痛みとは恐らく我々が昨年来経験してきた苦境などは序の口にすぎないモノだ。それが本来「100年に一回」の意味である。だが米国はバーナンケを擁してそれを回避し、残りの世界もその方針に続いた。そしてその過程で金融機関は助けられた。理由は金融システムの崩壊を絶対に回避するとの公約である。

一見この公約は正しい響きを持つ。だが見方を変えれば敗者を救い、成長への新陳代謝を妨げたともいえる。要するに皆がいい時代を享受しすぎ、自己否定ができなくなっただけではないか。そして米国は建国以来その発展の原動力だった新陳代謝の精神を捨てた。この米国の姿は復活への荒療治が不可能となり、薬に頼りながら残された時間を過ごす老後と同じである。結果愚かにも自己反省のない金融機関では、そこのエコノミストによる根拠ない予想が繰り返えされている。だがこれはサブプライムを育んだ桃源郷の再来であろう。そして運命は変えられない。起るべき事はいずれ必ず起こるだろう・・。