金融危機後に自分の論評が掲載された事もあり、新潮社の「フォーサイト」の最終号を興味深く読んだ。そして最終号の記念にふさわしく、冒頭の記事は秀逸だった。タイトルは「待ち受ける二つの未来」。オックスフォードからドイツの留学。そして今はハーバードの教授のニーアルファーガソンが寄稿している。彼の記事は過去も読んだがどれもその分析力は秀逸。金融と世界情勢を歴史家の観点で分析する能力において今彼以上の人を知らない。ここではその記事ついては触れないが、フォーサイトを購入した事がない人もこの記事は読んだ方がよいだろう。英国人にしか書けない米国の記事がそこにはある。
ところで、ジャーナリズムを志して英国への留学を希望する長女がハイスクールを卒業する。その最後の記念として春休みにフロリダまで旅をした。フロリダまでの車の旅は2度目だ。そして往復4000キロのこの旅を支えるのはワーゲンのユーロバン。天井がポップアップしていつでも寝台になり、また後部座席が走行中でも御座敷に変えられるこの新車を購入したのが2001年。既に10年が経過し走行距離が10万キロを超えた今も全く問題がない。04年にワーゲンが輸出を止めてからは米国内にも流通がなく、今も2万ドル弱の買値がつくこの自慢の名車での旅は意外に楽しいものだ。
そして片道2000キロの道程が苦にならないのはアパラチア山脈のおかげである。アパラチア山脈は中西部と東海岸を分ける。つまりこの山脈は米国の発展の歴史や現代の米国人の政治的な心情の境界線の意味でも重要である。そもそも平たんすぎるシカゴでの暮らしの中ではドライブは楽しいものではないが、インディアナを過ぎてケンタッキーからテネシーのこの山脈の山道は故郷を思い出す。そして雪のシカゴから15時間程過ぎ、サウスキャロライナのなだらかな傾斜を下り、アトランタを抜けるとそこにはサンシャインフロリダが広がる。この間の高速料金は0である。
そしてフロリダではシカゴでの近所の家族に出くわすのも常だ。なぜなら、3月の休みは中産階級と言われる家ならどこの家でも家族旅行をするものだが、その階層に属し長い冬を我慢したこの町の人々は皆がフロリダを目指す。だが最近はそんな家の親達もベービーブーマーとして複雑な時期を迎えている。今回も浜辺ではそんな話題になった。彼らにとって金融危機の後遺症は大きく、失業したまま子供のために旅行に出かける事もめずらしくない。子供には出費の痛みはみせたくないが、恐らく彼らは内面はフロリダの空のようにどんよりとした晴れだ。(3月のフロリダは晴れてもどこかどんよりとしているのが特徴)
ただそんな同世代の彼らとの会話では時よりこんな会話が出る 「HOW LIFE TREAT YOU?」直訳するなら、今あなたの人生はどんな局面ですか・・。私はこの表現が好きだ。なぜなら社会の不条理を一瞬忘れさせてくれる効果があるからだ。簡単にいうと解脱感か。現世の憂さとそこでもがく自分を人生を主語にして乖離した場所から眺める事での心の安定。そしてそんなものを「解脱」とするなら、その難問をさらりと表現する器用さが日本語にはあるだろうか。あるとしても自分の経験では普段の会話でそんな言葉の効果を感じた事はない。そもそも日本人は休暇が下手だが、言葉での休暇も自分は貧困だったと思う瞬間だ。
そしてフロリダではベテラン女性調教師がショーの最中にシャチに殺された事故があった水族館を訪ねてみた。そこでは新しい女性が笑顔でショーを仕切り、観客は人間とシャチの戯れを楽しんでいた。事故への言及や女性への哀悼の儀式などは全く無かった。日本なら観客の子供の目の前でシャチが人を殺せば大変だろう。責任の所在やシャチをどうするかを巡って大騒ぎになるはず。結果少なくとも水族館は一旦休館しなければ世間が許さないのではないか。だが米国は停滞を嫌う。不幸があってもいつまでも引きずらない。ここに米国の楽天主義をただのノー天気ではかたずけられない日米の違いがある。そして停滞せず前に進むにはやはり「休暇の力」は大きいのかもしれない。日本人は「休暇の力」を身につける時が来たのではないだろうか・・。
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