2011年4月16日土曜日

ストップオーダー(損切り注文)

メキシコの麻薬カルテルを追った秀逸なCNBCの特集を観た。もろもろの話はもう触れないが、メキシコのGDPの78%が何らかの形で非合法ビジネスとつながっているとの米国の分析は衝撃的だ。麻薬はその根幹。歴代の大統領は皆カルテルとの対決姿勢を示したが、政治も警察も上層部はカルテルとつながっている中、正義感に感化された下級の兵隊、警察官が殺され続けている。こんな国がこの国の隣にあることが不思議だ。カルロススリムはこの国の格差を利用し世界一の資産を誇る。だから彼の携帯電話会社の料金はべらぼうに高い。なぜなら、何かを恐れ誰も参入しない。一方米国はマネーがメキシコの麻薬になった。麻薬と同じようにそのリスク(インフレ)を皆が口にする。だが最早誰も駆逐できない。そして国にもメキシコのような格差が生まれしまった。では日本はどうか。震災から1カ月。被災地を支えるコマーシャルが流れ続ける。だが本番はこれからである・・。

ここでは米国の現状を踏まえいろんな事を言ってきた。ただここに至り一番大事な日米の違いを指摘したい。それは、日本は国家を家族・会社・自治体などの組織の延長として考えているが、米国ではその感覚は州まで。米国人にとって国家は組織ではなく小世界である。では小世界と組織の違いはなんだ。それは絆だろう。この国で絆と言えばマフィアの血や兵隊が仲間を思う気持ち。国家のレベルで絆を感じた事はない。そして大統領の考える国益は小世界が永続するためであって組織の利益ではない。その違いはストップオーダーだ。小世界では損切りは必須。一方で組織では損切りを前提する事は難しい。

その国の相場はその国の社会を反映するという。大昔野村を頂点に4大証券が勢力を誇った頃、日本にストップオーダーはなかった。さすがに今はそうはいかないだろうが、米国に来た頃初めて知ったストップオーダーの合理性に感激した。そしてストップオーダーがない日本を遅れていると感じた。だが今は違う。市場にストップオーダーが必要でも、社会に損切りが必要かどうかは別だ。全滅を避けるためにストップオーダーが出すこともあるかもしれないが、日本という国は誰のためにあるべきか。メキシコや今の米国をみると、その本質に帰る重要性を感じる。震災は間違いなく日本にそのテーマを突き付けている・・。


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