2009年1月30日金曜日

金融マンは賢いか。

日本でも米国でも一般的に金融を扱う人は普通の人より賢いと思われ、また本人たちも賢いと考えているかもしれない。確かに有名大学卒が多いのは事実だ。だが、本当に彼らは賢い人々だろうか・・。

メリルに続きバンカメやCITIの一般社員のボーナスも明らかになり始めている。「一般社員に罪はない」という意見も本人たちからは聞こえるが、普通に潰されてしまう他産業の一般社員と比べればその悲鳴は筋が通らない。また、少なくとも「金融」や「相場」という変動やリスクを扱う会社に入った以上、自身にどんなリスクがあるか。そんな事さえ認識せずにこの様な泣き言が通るとすればおかしな話だ。そしてそのような「先を見通す力のない人々が集まって先の事を語る」のが今の相場である。実はこの実態が究極の反市場原理である。恐らく、大きな意味では金融を取り巻くこの矛盾が矯正されるまで本当のあく抜けは終わらないだろう。そしてそれがいつになるか。私には判らない・・。

2009年1月28日水曜日

アイディアと実行力

昨年度のAIG保険のボーナスの内容がマスコミの知るところとなった。同社が救済金として国税4兆円を受け入れる事になった直接の原因である証券化商品の部門400人には$400M強(400億円)が支払われた。一方サイン会長はメリルのボーナス支払いについて、「あの時点でも過去の失敗を認める事は可能だが、未来を否定する事はできない。従ってメリルの未来のためにはどうしてもボーナスを支払わざるを得なかった」としている。

それにしても人間はお金の前では無力だ。ハドソンに不時着したUSエアーの乗客の多くは直後、命拾いをした事を喜び機長をヒーローだと叫んでいた。しかし朝のラジオによると、同社は水没した所持品の弁済として一律5000ドル(50万円)を支払ったが、乗客の多くは納得せず法的手段に出るという。命拾いを神に感謝する間もなく現実の世界は厳しいという事か。

そんな中でそもそもバットバンク/グットバンクのアイディアは何も新しいものではない。ただアイディアを実行するためには力技が必要になるだけだ。前述のように救済される銀行側が強欲なら、それを認めるかどうかの国民の側にもUSエアーの乗客が示す様に余裕は感じられない。この両者の間を議員とマスコミがどう結び付けるか。それが結果として金融相場に反映される。ただ最後は力技。そしてそれを実行した人間は最後落とし前を付けなければならない・・。

明治維新では討幕派から新しいアイディアがどんどんでたと聞く。しかしいざ実行の段になると、旧勢力(抵抗勢力)とのバランスや理想論が空回りして堂々巡りが続いた。そしてそんな時、最後はいつも西郷が「全ては短刀一つでかたがつく」と凄んで事が動いた言われるのは有名だ。では覚悟を決めた西郷役をこの国では誰がをやるのか。もし誰もいなければ、相場だけが振り回されて終わりだろう・・。



<今日の視点>一流の条件

昨日こちらで放送されたNHKのプロフェッシナルでは市場原理に真っ向から挑戦しているマグロの仲買人が紹介されていた。一体彼のどこが市場原理に反しているのか。そもそも仲買人はブロカーだ。即ち相場そのものである。仕事はいい商品を安く仕入れる、そこに市場原理が反映される。そして彼の特徴は競争相手が産地に気を取られて見向きもしない隠れた極上モノを探すことだという。ならばもしその商品を自分が安く仕入れる事が出来ればそれは本来相場師としては最高のロマンのはず、だが彼は敢えて其れをしないという・・。

そんな彼からは昨年ミシェランで星を得たすし店10店の内6店の店主がマグロを買っている。数寄屋橋次郎に代わり、そこから独立して今や日本で最高の呼び声が高い「水谷」の水谷八郎氏もその一人として登場していた。そして築地で他の仲買人が大間のマグロに群がっている時もこの主人公は独自の眼力で「掘り出し物」を探す。そして「掘り出し物」の地方産の極上マグロを競争者がいない時でも彼は高値で買う。しかしなぜそんな事をするのか。

彼曰く、「好い魚にはそれなりの値段をつける」それが彼のポリシーだという。そして彼は続けた、「好い魚にはそれなりの値段をつけないと、良い漁師がいなくなる。良いい漁師がいなくなれば、好い魚は入らない・・。」「それは結局仲買人の自分と、自分を信用してくれるお客さん(この場合は水谷氏などを指す)に跳ね返る・・」これが、彼のプロとしての理論であった。

ここまで市場原理に挑戦するのはそれはそれで別のロマンかもしれない。だが、このまま経済が更に収縮し末端の消費者が更に苦境に落ちいれば、恐らく彼も、水谷氏も、そして、良い漁師もいなくなるかもしれない。それが市場原理である。その結果、回転寿司には「アナゴとウミヘビ」「鯛とティラピア」の区別がつかない庶民がこれまで以上に押し寄せる。庶民はそれで満足であろうし最近の回転寿司は皆企業努力をしている。

ただ、そんな時がいつかは来るかもしれないのを覚悟の上で、彼らは孤高のロマンを追い続けていると個人的には考える。なぜなら最後は自分が本物を楽しめばよい。そしてそれが一流の条件、回転寿司とはやはりどこか違うはずだ。また本物が分かる人はいずれ再び彼らのまわりに集まるだろう。

最後に、本物だけが生き残る点では金融も同じだ。その淘汰は先に始まっている。最早ブロカーなど金融ではいらない。彼らの様な一流とまではいかないが、本物だけのサークルを求めてそろそろ自分もこの領域に挑戦する時が来たのかもしれない・・。


2009年1月27日火曜日

<今日の視点>学校の教え

今年の大学入試センター試験では再び英語のリスニングテストで器具の不具合があったという。そもそも私は受験反対派ではない。過去を振り返っても、自分の場合はごく短い期間だったが集中力を養う上でも必死に勉強したあの時は無駄ではなかった。だが社会人になって20余年、米国で暮らして15年の経験から大学入試のためのセンター試験で英語のリスニングのテストをする意味が全く分からない。科挙的な案記力はそれはそれで重要。ただそれ以外の能力を試したいなら、他にいくらでもあるはずだ。

ところで米国では遂に金融経済の基盤が崩壊したが、同時に揺らぎ始めたモノの一つにハーバードのMBAの権威があげられる。まずハーバード大学基金の1兆円前後の大損はこちらでも話題。そして建国より古い歴史のハーバード全体の権威がこのまま落ちぶれるとは思えないものの、MBAはあのブッシュが卒業した事実から違和感があり、また卒業生を代表して最近まで煌めいていたGEのイメルト会長、JPモルガンのダイモン会長、そして何と言っても自分の部屋を1億円で飾ったメリルのサイン会長らがこぞって輝きを失いつつあるのは偶然だろうか。いずれにしてもハーバードのMBAとそこで教えられる教義も金融と同時に曲がり角を迎えているようだ・・。

さて、日米の教育の比較する上で無視できないモノがもう一つある。それは各種免許の年齢条件だ。例えば大統領就任式にも急きょ招待された英雄といえばハドソン川への緊急着陸を成功させたUSエアーのあの機長さん。彼の経歴を見て気づいた。なんと彼は14歳で小型飛行機の免許を獲得していた。確かにIL州も小型飛行機の免許は14歳から取得可能である。まだ声変わりもしていない長男の同級生も先日取得したと聞く。では自動車の免許が16歳でなぜ飛行機の免許取得が14歳から可能なのか、この感覚は日本人の生活習慣からは絶対に分からないだろう。ただあの機長のNY上空での判断力は軍隊とそして14歳の頃から空を飛んで体得したモノである事は間違いない。言い換えるなら、平時の一般的教育はトレンドがあって当然、しかしいざという時の判断力はやはり学校では教えてくれないモノなのかもしれない・・。

そしてこれからの日本の学校教育について一言。小中高で英語のリスニング環境を整える必要はない。しかし彼らが大人になって相手にする人間像がグローバルに性悪説を展開する欧米人である事を前提に、古来の日本的道徳を守りながら同時に対局としての「駆け引き講座」があってもよいと考える。欧米社会におけるこの講座の必要性はリスニング力よりも大きい事は実感している。そう言えば先日NHKで放映された「その時歴史が動いた」ではあの岩倉使節団が米国から英国に渡ったところで英国人銀行家の訪問を受け、そこで銀行の仕組みを教わりながら、彼の銀行に誕生まもない明治国家から持ち出した当座の旅費を勧められるまま預金した話が紹介されていた。彼らは言われるまま現在価値に直して5億円を預金。ところが数日してその銀行は倒産してしまった。NHKの語りは「岩倉使節団は途方に暮れながらも金融の仕組み肌で感じた」などと悠長な解説だったが今の現実はこうはいかない。日本人が世界で生き残るための勉強とは何か。まずはポーカーでも教えてみるのも面白いかもしれない。



2009年1月22日木曜日

新しいページ

昔から長野は「教育県」と言われる。だが実態は大きな産業が育たない地形のため、本を読む以外にする事がなかっただけというのが出身者としての持論である。その長野では私が知る限り地元の地上波TV局を通してテレビ東京の番組が全く見れなかった。理由は経済番組が多かった同局の番組は長野では視聴率が取れなかったからだ。今は知らない。だが少なくとも5年前までは見れなかったはずだ。なぜなら5年前まで同局の朝の番組で米国の金利市場についてのコメントをシカゴから提供していたが、中継のない長野で暮らす両親には自分の姿を見せてやる事が出来なかったのである。

そのテレビ東京は米国の経済番組で圧倒的な影響力を持つCNBCの日本の代理店でもある。だが本家のCNBCと比べその影響力はまだ限られている様子だ。その米国CNBCは元々の市場・経済専門番組から飛躍し、政治が専門の弟分のMSNBC、また3大ネットワークの一つであり兄貴分のNBCでさえたじろぐ圧倒的影響力を米国内で誇示してきた。その背景にはこの5年間で米国はモノ造りが退化し、株や債券などの金融市場が経済の中心となった現状がある。その市場動向を詳細に報道する専門番組のCNBCは、我々金融市場の専門家だけでなく茶の間の奥様、また2000年前後のハイテク不況で職を失いそれ以後自己トレーダーに転身した中高年男性にとってもバイブルのような存在となっていたのである。

さて、オバマの大統領就任で盛り上がった昨日、そのCNBCの番組であるコメントを聞いた。常連の評論家が「CNBCの時代は終わった。これからはCNN(生で全世界の動向を中継する番組)の時代になる」と発言したのである。CNBCの常連として出演料をもらっている立場でそのCNBCに対して「貴方の時代は終わった」と発言するのは勇気がいる。だが私の意見も同じだ。ではその意味するところはなんだろうか。

オバマが大統領に就任した昨日株は暴落し、あのCITIグループは3ドルを割ってしまった。他の銀行株もそれに続いた。この暴落を見てCNBCを見ている金融の世界の人々は真っ青だった。だが個人的にはその暴落を見ながら遂に「その時」が来たと感じた。「その時」とは米国の本質が変わる時、そう、米国の主役が下落相場を眺め呆然とする金融マン、即ちCNBCの世界から、CNNが中継したオバマの就任に熱狂した200万人に代表される実体経済に戻る時だ。そしてこの本質の変化はオバマ政権がこれから始めるであろう米国の新しいページの余白である。これで株が戻せる。今の金融銘柄中心の下落局面が終われば株は本格的に一旦戻るだろう(ダウで10000~11000)。そしてその道筋は以下の通りである。

考えてみると、一昨年まで米国の大手証券5社のボーナスの総額が数兆円という水準に到達した過剰流動性の顛末が中途半端で終わるはずがない。ピーク時の金融派生商品の総額が6京円、そしてサブプライム等の証券化商品の総額が6000兆円と言われた金融の世界で仮に20%の損失が生まれれば既存の資本金など吹っ飛ぶ。それどころか、元金、あるいは純資産を上回る損失が世界中の金融機関のあちこちで発生する。すると金融機関が相手を信用しなくなりお金の流れはが止まる。そしてその「出血」を止めようと中央銀行が大量にマネーを創造しても、市場機能が存続する限りは一旦始まったネガテイブスパイラル(負の連鎖)は止まらない。それがここまでの展開である。

金融危機以降、米政権はまず金融機関に資金を提供し、銀行からその公的資金を民間に流す事を試みた。しかし保身に懸命な金融機関はその資金を民間に流す事はせずに自分でため込んでしまった。これでは政府の意図はいつまでたっても機能しない。なぜなら金融が産業の中心だった一昨年まで年収が数十億円だった強欲金融マンがまだまだごろごろしている。彼らは政府の救済資金をまずは己の将来の巨額報酬の再現の布石にするため簡単には貸し出さないのである。この状態が3か月続き、ついに新政権の発足と同時に米国は動きだした。ここからは民間に市場経済を任せる時代が終わり、政府が実質銀行を支配する。そして銀行の利益を犠牲にしても実体経済をまず復活させる。そんな絵図を描き始めたと考えてよい。

そもそも昨年末の金融危機での金融機関の責任の取り方はあまりにも中途半端だった。中途半端な状況ではどんなプログラムで金を流そうとしても死に切れない民間金融機関は新たな損失を恐れ資金など回せるはずがない。その中途半端がどの位続くのか。実はそれが株式市場にとって最大の難関だった。しかしオバマ政権は80年代までのフランスと同じ状態(全ての銀行が国有化)をついに覚悟した様子である。結果的に民間企業として自由を死刑宣告された金融機関の株は下落する。(配当が出せない)。しかしこれで金が周りそしてモノが動く。後は皆が新しい時代に慣れる事である。

そして暴利を貪った上、己が倒れると実体経済まで奈落の底に引きずり込んだ銀行の粛清が終了すれば時代が元に戻る。この輪廻が完成してやっと次が始まるのである。ただ気の早い株式関係者は理想とするレーガン政権はスタートして3週間株が下がり続け、その後ゆっくりと米国が復活する道程を歩み始めた事例を既に言い始めている。能天気の繰り返しではだめだ。しかし金融機関の自己否定(金融株の暴落)が完成する事で、米国経済と株式市場の新しいページが始まるだろう。






2009年1月21日水曜日

<今日の視点>去りゆく例外大統領

米国の公立小中学校は歴代の大統領の名前がついた学校が多い。我が家の子供たちがシカゴとNYで通った小中学校の名前にはルーズベルト、リンカーン、ワシントン、ジェファーソンなどの名前がついていた。また学校以外にも公共の道路でも大統領の名前がつく事がある。シカゴのダウンタウンの中心部を東西に走るストリート名はほとんどが大統領の名前だ。ただ違いは学校の名前には優れた大統領の名前がつくのに対し、道路は歴代の大統領が順を追ってつけられる事がある。従って必ずしも名大統領とは限らない。例えばこのCBOTをはさんで北に向かうストリートには順にジャクソンからワシントンまで人気がある大統領の名前の通りが多い。しかし南に向かうとそこにはバンビュラン ハリソン、テイラーなどの人気のない大統領の名前を付けた通りになる。そしてどういうわけかその辺りは北に比べ治安が悪くなる。

さて大統領就任式の本日米国はオバマ一色である。だが敢えて去りゆく大統領のブッシュにもう一度注目したい。このブッシュが今後どのような評価になるかは彼が答えた通り歴史の判断だろう。だがデモークラシーの国米国はこの大統領に対してここ数年は20~30%の支持率しか与えなかった。そしてTIMESが評価したこのブッシュ大統領の評価は歴代43人の大統領の中で37位、ワースト10である。TIMESの判断基準はMEDIAとしての自己責任というより、過去何十年に渡り行われた民間の投票を総合したものだ。よって直近まで大統領だったブッシュが37位に位置するのは将来の伸びしろもあるが逆に過去どんな統計でも常に断トツで最悪の大統領の汚名を着せられてきたブキャナンを将来抜く可能性を秘めるのである。

ところでこの歴代ベスト10とワースト10の大統領を比べて気がつくのは彼らの任期である。彼らの任期はその善し悪しはともかく米国のデモクラシーが機能していた事をが明確に物語る。ベストテンは上位はリンカーン、ワシントン、ジェファーソンのトップ3に中位群は二人のルーズベルトとアイゼンハワーで構成され、ここまでは定番だ。残りの4席はトルーマン、レーガン、ポルク、ウィルソン、ケネデイー、ジャクソン、ジョンソンなどが入れ替わる。そして彼らに共通するのは暗殺されたケネデイーとコレラで体を壊し引退したポルクをのぞくと全員が再選を果たしている事である。対してブキャナンを筆頭にワースト10の大統領は二つの例外を除いて全員が再選に失敗しているか、或いは4年の任期さえ全うできていない。ただ例外の一人はニクソンである。彼は現代において人気はブキャナンよりも低い。だが識者が純粋に国益に貢献した大統領を挙げると彼はベスト10に入る事もある。従って評価が難しい男。その意味では本当の例外がGWブッシュである。彼は真に8年の任期を全うしながらワースト10に入るという米国史上で初めての大統領だ。一体これは何を意味するか。それは米国が建国以来受け継いできたデモクラシーの機能の退化であり、言い換えるとそれは米国民自身の劣化とも繋がっているとみる。

ただ米国という国を一つのサンプルとして考えると、自分たちが評価しなかった大統領を8年間も大統領の職につかせた責任は重く、その傷は限りなく深いものになった。これ程の失敗例は自分が知る限り米国史上で初めてであり、この傷の深さは経済システム上の金融危機などという狭義で考える話ではない。ただだからこそ神はオバマという存在を送り出したのかもしれない。最悪だったブキャナンの直後に最高とされるリンカーンが生まれた様に、仮に近い将来にブッシュがそのブキャナンを蹴落としても今度はオバマがリンカーンを上回る事でこの米国は復活する。はたしてこの方程式は実現可能か。実現しないとこの国には悲惨な運命が待っているだろう・・。



2009年1月19日月曜日

妖怪の提言

NYTIMESの高級版、ヘラルドトリビューン12日版に、あのキッシンジャーが新政権に向けて提案した「NEW WORLD ORDER」なる寄稿文が掲載された。

http://www.iht.com/articles/2009/01/12/opinion/edkissinger.php

簡単に要約すると、既に世界がここまでグローバル化した以上、この金融危機で各国が内向きになるのは避け、危機打開のために新しいグローバルシステム(右傾化しすぎた米国主導の市場原理ではない)を構築するべきである。そしてその先導役としてオバマ政権はこの金融危機をその切欠にしなさいとの趣旨である。また各論の中で米国は太平洋においては中国との共存がカギであり、その為にもメキシコとカナダとの経済ブロックを強化しながら日本などを取り組んでいきないさいとのアドバイスである。

そもそも米国発の金融危機で世界がここまで困窮しても、米国の代替がない以上キッシンジャーのこの持論に反論はできない。ただ他国民にも感情がある。全てを合理性だけで米国の国益中心に回していこうとする彼の姿勢ははたしてこれまで通りに受け入れられるだろうか。そしてアジアと太平洋経済圏の話題では殆ど無視された日本。この話が日本で話題になる頃には再び「日本無視論」を心配する愚か者が出そうだ。そこで勝負事においての駆け引きを知らない日本に提案する。ここでキッシンジャーの言う事など無視してもよい。今は頭を使ってあえて外国から無視されよ、その間に力を貯えるのだ。それを世界にされること米国が困る。だから彼はこのメッセージを出している。そして彼は日本が彼の話を無視するとは考えていない。

そもそも私が日本にいたころまで、NHKは毎年キッシンジャーに新年の所感を述べさせていた。しかしキッシンジャーは米中関係が雪解けした当時、彼はニクソンの使いで毛沢東に面会した時に日本について次の様な趣旨の事を述べたと言われている。「日本という国は僅か30年でちょん髷の江戸時代からあのロシアを倒す国になった。そして原爆を落とされ、あそこまで壊滅的打撃を受ながらまた30年でここまで復活した。本気にさせると怖いのでずっと眠らせておいた方がよい・・。」


日本人がずっと眠らされたとは思わない。だがこの期に及んでも言いように操られているだけでは起きていても眼(まなこ)を開いている事にはならない・・。








2009年1月18日日曜日

<今日の視点>バンカメの恥



朝から気分が悪い。政府に救済されたバンカメのルイス会長の弁明を聞き、同じ市場に生きる者として怒りを感じる。まず本日バンカメとCITIが同時に決算を発表した。それぞれ元々のスケジュールを変更しての決算発表には大統領就任式という一大イベント直前の米国の喧騒の中の中央突破の意味がある。言い換えると株式市場の決算に対する過度の反応を嫌いドサクサに紛れての発表だ。ただし、ここに至るまでに米国を代表する大企業の顛末としてはそれ相応の非難と屈辱を受けてきたCITIに対して、昨年の金融危機までは強気一辺倒だったルイス会長率いるバンカメは立場が違う。そして両者に対する政府の救済もモラルという点では異質なものである。

一言で言うとルイス会長は明らかに無謀な経営者だった。金融危機が時間の問題となる中で住宅市場は2年で回復すると叫んでカントリーワイドを買収、更にメリル買収の際も強気な態度を崩さなかった。一方のCITIは怪物ワンマン会長のワイル氏が去った時点で崩壊は時間の問題だった。無論その後の外部環境の変化に対応が遅れた経営陣は非難されるべきだろう。だが彼らにCITIの命運を変える術がなかったのは事実、その意味で彼らは無能かもしれないが無謀ではない。そして本日、ルイス会長が政府資金を請うた後で発した弁明は「市場の悪化の度合いは自分の予想をはるかに越えたものだった」である。そのバンカメに政府はドサクサに紛れて資金を提供、また保有資産の保障までつけた・・。


これでは米国債に投資する投資家はたまったものではない。ここまで無謀で相場感のない経営者とその会社を殆ど議論をしないまま救済する政府。株はブッシュが去る事で上昇し、更にこの政府の姿勢で有頂天にも上昇するだろう。そして一方の米国債は下がる。だが今起こっている事、そしてこれからもどんどん起こるであろうこれらの救済は判っていた事でもある。従ってこれからはこの米国に対して他国がどう付き合うかを見極めなければならない。個人的には市場で生きる弱者として怒りを禁じえない。ただこの怒りを緩和するために心情的には許し難い株を今は買うしかない。それが市場の宿命でもある。 

2009年1月17日土曜日

<今日の視点>膵臓がん

昨年放映された倉本総のドラマの主人公が膵臓がんだったせいか、設定上同世代の自分には突然「膵臓がん」が急に身近に感じられるようになった。そんな中で偶然にも米国のマスコミを賑わしているのは二人の膵臓がん患者である。一人は「ゴースト」でデミムーアと共演した映画俳優のパトリックスウェイジ。そしてもう一人はアップルの創業者のステイーブジョーブ氏だ。二人とも発病したのは随分前。ただ米国の医療のレベルの高さの証明だろうか、がんの中でも死亡率が高いと言われるこの難病を二人は克服、二人とも職場に復帰していた。

しかし先週まずP.スウェイジが緊急入院。そして昨日は市場で燻っていた健康悪化説を否定していたS.ジョーブが突然病気悪化を理由に任務を離れる事を表明した。結果アップル株は暴落である。ただジョーブ氏がアップルの象徴とはいえなぜ彼の病気でここまでアップル株が下がるのか、逆説的解説としては丁度いい話が数年前に発表された「フラット化した社会」中にあった。

要約すると、マイクロソフト社はOS開発ではアップルに遅れ、インターネットのブラウザではネットスケープに遅れた。また根幹のアドレスのWWWを開発したのはマイクロソフトには無関係のヨーロッパ人。要するにマイクロソフトはインターネット社会の根幹に位置する発明の大部分で後発だった。しかし90年代、そのNET社会を制したのはマイクロソフト。それはマイクロソフト社の政治戦略が長けていたからで、ゲイツ氏自身の発明力に頼った経営ではなかったからだとの分析だった。

逆にアップルはIマック、IポットIフォーンで株が復活したが、その中心には常にSジョーブ氏個人の開発の才能が存在した。万が一にその個人の才能が消滅したらどうなるか、アップルの今日の株価はその経営資源の問題を揺さぶっているのである。

さて、一方でマイクロソフトも転換点を迎えた。既にビルゲイツは一線から引いて久しいが、本日のWSJには実現すると同社としては上場以来初めてとなる大リストラの噂が載っている。会社はレイオフ(解雇)をしないための方策を模索中との楽観論あるが、発表があるとすれば来週中でそしてその規模は全世界で13000人程度との事である。いずれにしても金融以外にでも大津波がすぐそこまで迫っている・・。

2009年1月15日木曜日

賞の安売り

個人的に石原都知事に共感する部分は年を追って減った。ただ未だ共感するのは彼が毎回選考委員としてバッサリと切り捨てる事が多い芥川賞の選評である。文藝春秋には芥川賞受賞作が選考委員の論評とともに掲載される。だがここ数年は受賞作を読み始めても2ページが限界、それ以上進まない。理由は内容に引き込まれる前に、本来純文学のはずの芥川賞のイメージとはかけ離れた近年の作品の文体に違和感を覚えてしまうからである。そしてこの芥川賞の選考において他の選考委員と比較しても毎回突出して辛口なのが都知事だ。ここ数年の作品で彼が褒めた作品は殆どない・・。

そもそも賞では受賞者のレベルと同時に選考委員のレベルも明らかになる。従って選考者のレベル次第でその賞のレベル(価値)が左右される。だが大衆のレベルが同時に変化すればその価値は変わらない。それが今だ。ただ専門家でもない自分が言うのも僭越ながら、なにやら近年は「賞の安売り」の気配を感じるのは私だけだろうか・・。

さてそんな中で本日は朝からCNBCに近年ノーベル経済学賞を受賞した二人の学者が出演し番組から米国経済に対し提言を求められた。しかしその内容は新鮮味に欠け私には全く役に立たなかった。そもそも仮に一つの時代が終わったとするなら、今必要とされる人間は新しく物事の基準を決めて実行する力のある人。その意味では通常平和時に正論を研究している学者に即効力を期待しても無駄だ。ただ言い換えるとこの様な中で徐々に閉塞感から行き場を失った人間の感情の行き着く先がヒトラーのような行動力の場合もある。行動力が間違った方向に進むと、社会はその報いを受けなければならない・・。





2009年1月14日水曜日

<今日の視点>世紀の実験、

研究大好きな学生がこれまで自分が学んできたテーマの集大成の実験にのめり込んでいる・・。本日、経済学の権威のロンドンスクールオブエコノミクスで話したバーナンケはそんな「青年の眼」をしていた。最早彼にとって議会が問題視する国税を使う救済上のモラルや、誰が助けられて誰が見捨てられるかという政治的駆け引きは興味がない話。純粋にやりたい事をやるだけだ。ただそれが世紀の実験であるとしても、中央銀行総裁が純粋にやりたい事をやれるという事態が本当にあるとすればそれは100年に一度程度の話ではない。恐らくそれは300年に一度、300年前に英国で中央銀行制度が生まれてから最大の変化であると考える.

そもそも「今日の視点」ではまだ金利が上がるか下がるかの議論をしていた2006年頃より、「次に金利が下がる時は住宅市場が崩壊する時。そしてそのマグニチュードは最早金利水準の調整ではどうにもならず、市場原理が終焉する。だから簡単にはFEDは金利は下げられない」という立場を強調してきた。結果その通りになったと考えるが、最近のバーナンケを見る限り彼はじっとこの時を待っていた様な気がする

一方で前任のグリーンスパンが自分への批判を予想して昨夏に発言した「100年に一度」の表現は今人によっては「弁明や保身」また別の人には「諦め」の代名詞のように安易に使われている。ただこの現象はその言葉を使う多くの人は、実は現実に対して眼を閉じているか、或いは今回の金融危機が本当に意味するところを理解していないのどちらかの様に私には思える。「眼(まなこ)を開け、日本は必ず負ける・・」特攻に散ったあの京大生の遺稿がまた思い出された・・

2009年1月13日火曜日

<今日の視点>天下は金の回りモノ・・。必殺仕事人

社会人1年目、証券営業での最初の顧客は駅前の金貸し屋だった。「~商事」の看板。いかにもそれらしい雑居ビル。恐る恐る飛び込んでみるとサングラスをかけた初老の男性に睨まれた。「どちらさん~」。それが最初だった。結局その後の5年間私はこの人の世話になった。仕事に息詰まると用もなく尋ねた。儲けさした訳ではない。だが、ゴルフクラブを貰い、柿安本店で本物の松坂牛の網焼きの味を教えてもらった。しかし究極的に何を教えてもらったかというと、それはマネーマスターの原理だ。即ち世の中にはお金を使う人と、お金に使われる人がいるという事だった。ところでこの週末は録画しておいた正月番組を見た。そこで感じたのはTV朝日の勢いである。以前も触れたが私はTVを見る時間が長い。ただ番組にのめりこむ前に数百あるケーブルTVのトレンドに注目する。同じ感覚で一見くだらない日本の正月番組を眺めると、昔ファンだった必殺シリーズが復活していた。そして番組の冒頭で次のような「語り」が入った。「金は天下の回り物、でも今の世は天下は金の回りモノ」。なるほど、確かに的を得ている。だからこの様な時代になるといわゆる朝日系列が目立ってくるのだろう。

いずれにしてもマネーマスターと呼ばれる人々は、その時代、人と金のどちらがどちらの下僕になるのかを先取りする事に長けている。そして米国では冒頭で社長の様な町金業者に強烈なライバルが登場した。それは究極のマネーマスター「FRB」である。では中央銀行が「街金」になるとはどういう事か。簡単に言うと金融システムの維持という錦の御旗の元、FEDは金融危機発生後から融資対象を商業銀行から証券会社に拡大、また担保として受け取る証券を国債からモーゲージ債、MMF(CP)、仕組み債まで掘り下げてきた。そしてそこまでは中央銀行による非常時の緊急処置として理解可能な範囲である。しかし、今年から始まったTALFというプログラムではその融資対象が米国籍の投資家まで広がった。要するに本当に認可されるかは別としても、論理上はFEDは金融機関ではない投資家、即ちヘッジファンドまで彼らの保有するトリプルAの債券を担保に資金を融通する事ができるのである。だとすると少しタイミングがずれていればFEDはNASDAQの会長まで務めた偽りの名門ファンド、あのマードフにまで資金を提供したかもしれないという仮説が成り立つのである。


さて、視点では以前から先進国で社会主義に転換する国がでるならそれは日本でも欧州でもなく米国であると主張してきた、理由は米国が多数決の民主主義国家である事。ブッシュ政策によって中間層が極端に消滅した社会を目の当たりすれば米国社会の右から左への大ブレは予想可能だった。そして今それは金融システムの在り方も大きく変えようとしている。この週末もオバマ政権は金融機関による「貸し渋り」を徹底的に取り締まるという表明をした。この環境では民間の金融機関なら貸し渋りは避けられない現象だ。しかし米国でも殆どの金融機関に国家の資金が入った。そして今、オバマ新政権による救済はこれまでの金融の常識を超えた新次元になる可能性がある。そこではその先頭を走るのがFED。ただこのFEDの変貌は「糸の切れた凧」なのか、或いは「コロンブスの卵」なのか私にはわからない。ただ確かななのはこれも民主主義の結果である。

最後にそもそも中央銀行制度は17世紀の終わりに英国で生まれた。そして今のFEDは日銀よりも歴史が浅い。しかしその中で最初に変貌していくのは米国の中央銀行ならそれはそれで米国らしい。だが個人的にはどうでもよい。共和党政権下の解りやすい不正に比べ、全体主義の民主党政権では見えない不正がはびこる。だがそれは救済という御旗があり大がかりすぎて普通は見えない。個人的感情ではこの不正もできれば「仕事人」に始末してもらいたい・・

2009年1月8日木曜日

諸行無常

あまり話題になっていないがまだ市場主義を信じる人には悪いニュースがある。実は昨年の11月の米国の総選挙の結果がまだ決まっていないレースが一つある。それはミネソタ州の上院選出レースだ。有効投票数300万弱に対し、二人の候補の得票差数が200票という稀に見る接戦となり、先日まで延々リカウント(再集計)を続けてきた。そして年末ついに民主党の新人が僅差で共和党の現職を破った事を選管が正式に決定した。しかし敗れた共和党現職が裁判を起こし、昨日から始まったワシントンでの本会議上の議席は空席のままである。

そして空席はもう一つある。それはイリノイのオバマの後任の席だ。渦中の現職州知事が任命した黒人議員は昨日議会まで登庁した。しかし上院幹部によってドアが閉められ、中に入れてもらえなかった。無論これもポーズである。民主党上院幹部は、一度逮捕され、批判を浴びても未だに辞任しない州知事が任命したこの議員をそのまま受けいる事が出来ず、昨日はこの様な政治的なパーフォーマンスを強いられたのである。しかし本日は態度が変わりこの議員そのまま受けいる方向に傾いている。

実は今の米国議会などはこの程度である。建国の父たちが命がけで政争をした黎明期の議会は遠い昔の話だ。民主党が議会を支配する様になり、あの金融法案も、またBIG3救済法案(不成立)も最後まで反対したのは共和党保守派のみ。今彼らは孤立無援状態である。そして市場主義者にとっての悪いニュースとはオバマの後任が誰になっても民主党である事は変らず、ミネソタがこのまま民主党候補を輩出すると上院の勢力図が次のようになる事だ。 民主党59 共和党40 中立1。そしてこの中立1は以前は民主党だったリーバーマンだ。(リーバーマン氏は2000年、ゴアが大統領候だった時の副大統領候補であるリーバーマンは前々回の選挙で民主党の公認を取り損ね無党派になった。そして彼は外交はマケインの盟友としてタカ派。)一方内政は生粋の民主党である。要するに、仮に彼が経済や貿易などの法案で民主党と足並みを揃えると、上院は民主党によるフィルバスター(牛歩)阻止が完成する。(60票)

上院でフィルバスター(牛歩)阻止の布陣が完成したのは1977年以来。ただ当時のカーター政権は盤石とはいえず、下院も今ほど民主党色が強烈ではなかった。しかし時代は変わった。今は最強の布陣のオバマ民主党政権を、ナンシー率いる圧倒的民主党色の下院と、共和党にとって最後の抵抗手段のフィルバスターすらできない可能性が高い上院が囲む。ついに、米国史上最強の民主党国家の誕生である。しかしどうだろう。 まるで「平家(民主党)にあらんずんば人にあらず。」の米国。だが盛者必衰か。近々諸行無常の時代を迎えるだろう。

(諸行無常;この世の現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。 WIKIPEDIAより)

2009年1月7日水曜日

<今日の視点、年初号>「正論」、必ずしも正解にあらず。

年初から重責を感じている。なぜなら私は市場のプロとしての自覚はある。だがFEDを頂点とする短期マネーマーケットの世界は専門外だ。実はその私にFEDに関して記事を書いてほしいとの依頼が飛び込んできたのである。引き受けるかどうか一瞬考えた。そして記事の趣旨が市場から見たFEDの変貌が次の世界にどんな意味を持つのかという点である事を確認し、引き受ける事にした。なぜなら、その趣旨なら今年の自分自身のテーマである「正論、必ずしも正解にあらず」と本質が一致するからである。
即ち、これまでのFEDがどうだったかは最早問題でない。時代は先にコロンブスの卵をぶっ立てた者を次世代の勝者として待っている。そしてそれは誰か、やはり米国か。従ってこのテーマは組織に属さず、金融の専門というより、米国の専門として、市場を通して世界の動静を探ってきた自分がやはりやるべきだと判断した。

そして文章のイメージを模索していた時、日経新聞にFED関連の記事を見つけた。「サバイバル」と冠したシリーズの中に、「それまでJPモルガン個人に頼っていた米国の金融システムは1907年の混乱を機により安定した金融システムの構築を目指して中央銀行制度を導入した・・」との説明があった。確かにこれは一般常識として正しい。だが厳密にはFRBは米国の最初の中央銀行ではない。

ウイキペディアにも記述があるが、実は「BANK OF  NORTH AMERICA」と「FIRST BANK OF  THE UNITED STATES」という二つの銀行が独立戦争前後に米国の中央銀行機能を担うために設立されている。そしてこの二つの銀行設立の立役者は10ドル紙幣のあのアレクサンダーハミルトンである。
当時の米国は大陸を支配した英仏蘭などの国の通貨と、国家体系の中興の祖であるベンジャミンフランクリンが中心となり、物との交換のみを目的に(よって金利がつかない)発行した紙幣が流通していた。だが独立戦争でハイパーインフレに見舞われた国内経済を立て直す為にハミルトンは「BANK OF ENGLAND」を参考にこの二つの銀行設立に奔走したのである。しかし結果を言うと、この二つの初期の中央銀行は3代大統領トマスジェファーソンらの反対で長続きしなかった。                                                                         
  
そして続いて1816年に「SECOND BANK OF THE UNITED  STATES」設立された。だがこの銀行も20ドル紙幣の顔、7代大統領のアンドリュージャクソンによって葬り去られたのである。結局、次に米国に国家紙幣発行権を有する中央銀行が登場するのはそれから70年以上経ての1913年のFED誕生まで待つことになる。

ところで、銀行が発行した紙幣を嫌って金利のつかない国家紙幣発行に踏み切った100ドル紙幣の顔、ベンジャミンフランクリン、また中央銀行設立とその中央銀行による紙幣流通を目指したアレクサンダーハミルトン、また初期の中央銀行制度を完全に葬り去ったアンドリュージャクソンの全員が英雄として現在紙幣の顔になっている。そしてハミルトンを潰したトマスジェファーソンは独立宣言を創案した優れた大統領としてマウントラシュモアに顔が刻まれている。                             
要するに中央銀行設立を巡りの意見の相違から政治的死闘を繰り広げた人々(実際に後年ハミルトンは決闘で死亡)が現在は全員が英雄である。一体これはどういう事だろう。実はこれが米国の中央銀行とは何かを考察する上での本質だと考えている。そしその歴史は日経新聞が年初の紙面で紹介した単純な経緯だけではない事は確かである。

この後の話は考察として記事にするのでここでは触れない。ただFEDをめぐる議論も、「正論、必ずしも正解にあらず」である事はこのFEDの初期の変遷から垣間見れるのではないか。いずれにしても、自分が生き残れるかどうかは別として、今年も面白い年なるだろう。そして最後に紹介したい、「面白き、事も無き世を、面白く・・。」(高杉晋作 辞世の句)



2009年1月1日木曜日

大みそかの市況

盛んに今の米国債市場はバブルであると言う人がいる(金利が低くなりすぎるほど買われた。即ち、安全志向が強すぎるという意味)。その多くは米国経済の強気派であり、これ以上の金利低下(日本型)は受け入れられないという立場からの発言である。

ただこの意見は楽観が過ぎるというより、時代の変化を理解していないとしか思えない。なぜなら、民間の活力による需要喚起はもはや期待できない。従って金利が低位で安定し、国によるケインズ型の景気対策が可能である事が復活の絶対条件のはずだからだ。

そんな中であのケース・シラー指数のシラー博士(エール大学教授で米国住宅市場研究の第一人者)が久しぶりにCNBCに登場した。彼は住宅バブル崩壊の引き金を引いた?後ろめたさからか、米国の住宅価格は「十分調整された」とのとても「本意」とは思えない発言をしていた。またFEDや財務省の国債とドル札乱発について質問を受けると、米国債の発行額は対GDP比ではまだ大事ではないと言明していた。

確かに対GDP比を持ち出されると日本の方がデフォルト(破産)の確立が高い。しかし米国は債務を自国の資金で賄う力はない(代わりに中国や日本が米国債の買い手)。にもかかわらず、シラー博士の発言や(当然本人は判っているが、今や本当の事を言うのは無理)、一部のエコノミストやファンドマネージャーの米国債バブルへの認識は、米国が謙虚さを取り戻していない証拠であり、またその意思を持たない証明である。この事から、2009年は2008年以上の波乱が待っているだろう・・。

ところで、困窮の時代に面白い話を紹介しよう。以下のWEBで紹介された住宅は1億円以上の価格では高すぎる。しかし、困窮の時代に「頭を使う」という意味では、この家のオーナーの試みは参考になろう。 http://www.fiftydollarhouse.com/index.html


今の住宅市場の現状ではこの家を1.5億円で売ろうとするのは無理だ。だが本来市場でなら5000万円がやっとでも、WEBを通してRAFFLE(くじ引き)のアイデアを導入した事で既に2万人以上が掛け金の5000円をを払っている。今ここでRAFFLE(くじ引き)を断行しても1億円(2万人×5千円)は回収できるわけだ。実は、ピンチは頭を使う好機でもある。