2009年1月7日水曜日

<今日の視点、年初号>「正論」、必ずしも正解にあらず。

年初から重責を感じている。なぜなら私は市場のプロとしての自覚はある。だがFEDを頂点とする短期マネーマーケットの世界は専門外だ。実はその私にFEDに関して記事を書いてほしいとの依頼が飛び込んできたのである。引き受けるかどうか一瞬考えた。そして記事の趣旨が市場から見たFEDの変貌が次の世界にどんな意味を持つのかという点である事を確認し、引き受ける事にした。なぜなら、その趣旨なら今年の自分自身のテーマである「正論、必ずしも正解にあらず」と本質が一致するからである。
即ち、これまでのFEDがどうだったかは最早問題でない。時代は先にコロンブスの卵をぶっ立てた者を次世代の勝者として待っている。そしてそれは誰か、やはり米国か。従ってこのテーマは組織に属さず、金融の専門というより、米国の専門として、市場を通して世界の動静を探ってきた自分がやはりやるべきだと判断した。

そして文章のイメージを模索していた時、日経新聞にFED関連の記事を見つけた。「サバイバル」と冠したシリーズの中に、「それまでJPモルガン個人に頼っていた米国の金融システムは1907年の混乱を機により安定した金融システムの構築を目指して中央銀行制度を導入した・・」との説明があった。確かにこれは一般常識として正しい。だが厳密にはFRBは米国の最初の中央銀行ではない。

ウイキペディアにも記述があるが、実は「BANK OF  NORTH AMERICA」と「FIRST BANK OF  THE UNITED STATES」という二つの銀行が独立戦争前後に米国の中央銀行機能を担うために設立されている。そしてこの二つの銀行設立の立役者は10ドル紙幣のあのアレクサンダーハミルトンである。
当時の米国は大陸を支配した英仏蘭などの国の通貨と、国家体系の中興の祖であるベンジャミンフランクリンが中心となり、物との交換のみを目的に(よって金利がつかない)発行した紙幣が流通していた。だが独立戦争でハイパーインフレに見舞われた国内経済を立て直す為にハミルトンは「BANK OF ENGLAND」を参考にこの二つの銀行設立に奔走したのである。しかし結果を言うと、この二つの初期の中央銀行は3代大統領トマスジェファーソンらの反対で長続きしなかった。                                                                         
  
そして続いて1816年に「SECOND BANK OF THE UNITED  STATES」設立された。だがこの銀行も20ドル紙幣の顔、7代大統領のアンドリュージャクソンによって葬り去られたのである。結局、次に米国に国家紙幣発行権を有する中央銀行が登場するのはそれから70年以上経ての1913年のFED誕生まで待つことになる。

ところで、銀行が発行した紙幣を嫌って金利のつかない国家紙幣発行に踏み切った100ドル紙幣の顔、ベンジャミンフランクリン、また中央銀行設立とその中央銀行による紙幣流通を目指したアレクサンダーハミルトン、また初期の中央銀行制度を完全に葬り去ったアンドリュージャクソンの全員が英雄として現在紙幣の顔になっている。そしてハミルトンを潰したトマスジェファーソンは独立宣言を創案した優れた大統領としてマウントラシュモアに顔が刻まれている。                             
要するに中央銀行設立を巡りの意見の相違から政治的死闘を繰り広げた人々(実際に後年ハミルトンは決闘で死亡)が現在は全員が英雄である。一体これはどういう事だろう。実はこれが米国の中央銀行とは何かを考察する上での本質だと考えている。そしその歴史は日経新聞が年初の紙面で紹介した単純な経緯だけではない事は確かである。

この後の話は考察として記事にするのでここでは触れない。ただFEDをめぐる議論も、「正論、必ずしも正解にあらず」である事はこのFEDの初期の変遷から垣間見れるのではないか。いずれにしても、自分が生き残れるかどうかは別として、今年も面白い年なるだろう。そして最後に紹介したい、「面白き、事も無き世を、面白く・・。」(高杉晋作 辞世の句)



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