2009年1月15日木曜日

賞の安売り

個人的に石原都知事に共感する部分は年を追って減った。ただ未だ共感するのは彼が毎回選考委員としてバッサリと切り捨てる事が多い芥川賞の選評である。文藝春秋には芥川賞受賞作が選考委員の論評とともに掲載される。だがここ数年は受賞作を読み始めても2ページが限界、それ以上進まない。理由は内容に引き込まれる前に、本来純文学のはずの芥川賞のイメージとはかけ離れた近年の作品の文体に違和感を覚えてしまうからである。そしてこの芥川賞の選考において他の選考委員と比較しても毎回突出して辛口なのが都知事だ。ここ数年の作品で彼が褒めた作品は殆どない・・。

そもそも賞では受賞者のレベルと同時に選考委員のレベルも明らかになる。従って選考者のレベル次第でその賞のレベル(価値)が左右される。だが大衆のレベルが同時に変化すればその価値は変わらない。それが今だ。ただ専門家でもない自分が言うのも僭越ながら、なにやら近年は「賞の安売り」の気配を感じるのは私だけだろうか・・。

さてそんな中で本日は朝からCNBCに近年ノーベル経済学賞を受賞した二人の学者が出演し番組から米国経済に対し提言を求められた。しかしその内容は新鮮味に欠け私には全く役に立たなかった。そもそも仮に一つの時代が終わったとするなら、今必要とされる人間は新しく物事の基準を決めて実行する力のある人。その意味では通常平和時に正論を研究している学者に即効力を期待しても無駄だ。ただ言い換えるとこの様な中で徐々に閉塞感から行き場を失った人間の感情の行き着く先がヒトラーのような行動力の場合もある。行動力が間違った方向に進むと、社会はその報いを受けなければならない・・。





0 件のコメント: